発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 (精神分析 臨床心理 心理療法)
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序章で現代の日本の臨床実情について述べられている。アウトリーチや隔週面接、30分面接、無構造を余儀なくされる面接、デイケア、等、いわゆる心理療法が設定しにくい構造で臨床をせねばならなくなっている。さらにサイコロジカルマインドに乏しい患者も昔より多くなっている。そのような現代日本の臨床で最初からやっていかねばならない若い臨床家は意外と大変かもしれない。しかし、著者はそのような実情の中で嘆き悲しむよりも、どうすれば良いかを考える方が生産的であるとし、そこに対象関係論が役立つことを示唆している。

対象関係論の役立ち方の一つとして、著者は逆転移からの患者理解を挙げる。その為には個人分析や訓練分析が必要と指摘しつつも、そこまで重視せず、なくてもやっていけるという主張のようにも書かれている。ここは賛否両論かもしれないが。

逆転移の関係から投影同一化の説明。排出としての投影同一化と、コミュニケーションとしての投影同一化があり、特に後者の投影同一化を念頭に置くことが臨床的に有用であるとのこと。

愛と憎しみを見る複眼的視点の重要性を指摘しつつ、やや「愛」の方に比重を著者は置いている。憎しみの解釈をしても憎しみの上塗りになってしまうから、という理由。私は少なくとも憎しみを、特にセラピストへの憎しみは取り上げる。なぜならそれを放置すると関係が破綻するから。憎しみや攻撃性の解釈にやや重要性を置かない理由として、著者は日本文化というファクターを挙げている。欧米では歴史的に攻撃性を潜り抜けてきた文化的タフさがあるが、日本は和を尊ぶので、攻撃性の解釈に耐えることが困難とのこと。確かにそうした側面はあるかもしれない。

自己の悲しみや弱さを通して他者の悲しみや弱さを理解する、という表現は心に染みる。

見立てにはハード面とソフト面がある。前者はセラピーをする場所、セラピストの技量年齢性別、時間、料金、医学的診断、病態水準、性格類型、適応水準が含まれる。後者には臨床像、病歴、生育歴、夢、最早期記憶、生き様、家族、動機、利用可能性が含まれる。診断や病態水準、性格類型などもハードに含めているのは少し意外だが、概ね理解できる。ソフト面は色々とあるが、いわゆる心のストーリーを読み解くところに重点があるとのこと。そこが対象関係論的心理療法らしさかもしれない。生育歴や病歴をかなり詳細に聞き取ることを推奨している。特に事実の列記だけではなく、そこにまつわる情動的情況を重視している。私は以前にはセラピー導入前にはこうしていたが、最近は生育歴や病歴はそこまで詳細には聞かない。アセスメントでも自由に語ってもらうことにしている。

心のあり方を整理しなおしている。情動と思考の動き方として、喪失・愛情・怒り・自己愛を挙げる。別水準として象徴や置き換えの動きとして、自然な動き・抑圧系列・分裂投影系列を挙げる。この2水準(4*3=12)の組合せで心の動きを把握することが有用としている。

パーソナリティ障害のセラピーにおいて著者は「内的マネージメントとしての自我強化」を挙げる。簡潔にまとめると内的な良い自己との繋がりを作るため、良い自己を積極的に解釈していく、ということか。このあたり、自我心理学的、独立学派的な印象を受ける。情動のスプリッティングを扱う前に、思考のスプリッティングを扱う。ただ、多用するとセラピーが考え方の修正のみになるという皮相的な方向に向いてしまう危険がある。

アセスメント面接の実際。実際の生育歴のどこを見て、それをどのように理解するのかを実際のケースから記載している。なるほど、と納得する部分が多い。

最後に著者は「本当のことを言う」ことについて論じている。誤魔化しや慰め、下手な共感ではなく、心の真実に触れていくこと。ここにセラピーの真髄があるように思える。

祖父江先生のビオン理解によると、ビオンは攻撃性について羨望よりも、乳房不在の痛みに対するフラストレーションとして見ているとのこと。その意味ではビオンはクライン派というよりも独立学派に近いか。ビオンは何派にも属さないと言っていたが。

まとめると、本書ではかなり実際の臨床の実感に近いところで、また通常臨床の延長線上で活用しやすい形で論じられており、精神分析や対象関係論にこれからとっかかっていく初学者には大変分かりやすいものではないかと思われる。一方で、精神分析をガッツリとおこなう臨床家・分析家にとってはものたりない内容になってしまうかもしれない。



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いわゆるポストクライニアンと言われる分析家が比較的最近に現した論文を集めたもの。それを元々は自我心理学系の分析家であるシェーファーがまとめているというのも面白いところである。

本書は18つの論文から成っているが、その内の6つはこれまでに既に訳出されているということでここでは割愛されている。といっても、その6つの論文が収録されている書籍は今では絶版になっているので、なかなか手に取ることが難しいのではあるが。また、原書ではその18つの論文は特に決まった順番やジャンルで掲載されてはいないようであり、そこで訳者自身が5つのセクションに分類し、全体の整合性をととのえている。そうすることで全体を通して読みやすくなっているように思う。

また、最後の訳者解題では、様々な精神分析やクライン派でのトピックやテーマ、概念をそれぞれわかりやすくまとめ、整理し、解説してくれている。こちらの方を先に読んでから、本文を読むと理解が深まりやすいのではないかとも思われる。現代の精神分析やクライン派のややこしい議論に馴染のない人や、そもそも興味はないが理解する必要に駆られている人は訳者解題だけでも読むと良いのではないかとも思う。



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フロイトは生涯で膨大な数の論文・エッセイを発表しており、それは世界各国で訳されている。数年前に岩波からフロイト訳の全集が出ているが、22~23巻にもなっている。その全てを読むのは、有意義ではあるが非常に骨の折れる作業でもある。また、一つ一つの論文の内容を理解するためには、その前後やつながり、後世の発展との関連性を踏まえることで、その理解には深みが増す。

本書はフロイトの論文の要約や紹介という側面もあるが、フロイトの論文を個々それぞれで読み進めていく上でのガイドという役割もあるだろう。本書では、53の論文が取り上げられている。それぞれの論文の背景やその時の情勢、人物関連、その後の発展といったことの解説が付け加えられており、理解する上での参考が非常に多く提示されている。そのような構成により、フロイトの論文・エッセイへ接近するハードルを低く感じさせられる。

ただし、本書を読むことで非常にわかりやすくなるが、それだけで終わることは片手落ちだろう。やはり、ホンモノはホンモノに当たらないといけない。つまり、フロイトの原著を読むことだろう。原著はドイツ語だが、SEという英語版もある。日本語でも読める。こうしたところにあたるための準備運動として本書を利用するのが良かろうと思われる。



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ジェンダーやセクシャリティに関する書籍はいろいろと出ているが、その心理支援に特化した書籍はこれまでになく、その意味でオリジナリティがあると言える。

セクシャルマイノリティーは社会的な圧迫や無理解による差別が多く、そうしたことを背景にメンタルヘルスを崩してしまうことが一般よりも多いといわれている。また、性別適合をする上で様々な課題があり、それについての心理支援だけではなく、包括的な支援も必要とされるので、心理学の知識以外にも生物学的・医学的・社会学的な知識も必要となってくる。

本書を執筆している著者陣は大学で研究しているだけではなく、実際の臨床現場で日々セクシャルマイノリティーに接しているいわば実践家によって書かれている。そのため、非常にリアリティのある内容となっており、これからの自分の臨床に実践力として役に立つものと思われる。特にホモフォビアといわれる治療者の中にも気付かない意識があることが多いことも指摘しており、セクシャルマイノリティーに関わる臨床をする上では、そうしたことを治療者自身も振り返り、把握しておかねばならないというのは大変説得力のある議論であると思われる。それは何もセクシャルマイノリティーに関わる治療者だけではないだろうが、自分の振り返りというのは常に必要なことかもしれない。

ちなみに本書ではセクシャリティではなく「セクシュアリティ」という用語で統一されている。些細なところかもしれないが。



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日本ではあまり有名ではない人。ウィニコッとの弟子で、独立学派に属する精神分析家である。もともとは英米文学などを専攻して、精神分析の世界にやってきたらしい。アメリカでは医学と結びついているので、このようなことはほとんどないが、イギリスでは文学などとの結びつきがつよいため、しばしばこのようなことがあるらしい。

本書はそのような文学畑出身の著者によって書かれたからか、詩的で、かつ難解なところがあるように思う。さらには症例・事例がほとんどないので、極端に抽象的な議論になってしまっている。そこが本書のとっかかりにくいところであると思われる。

精神分析に限らず、専門分野で長く仕事をしていると知識や技術が増えていき、それは次第に権威と結びつく傾向がある。しかし、精神分析は権威の中で行われる営為ではない。そのため、そこに副題にあるように専門性のパラドクスに陥ることが多々ある。そこにはさまざまな理由があるが、著者はその一つに恐れを挙げている。恐れがあるからこそ、権威を身にまとうことで防衛するということである。それは精神分析の本質である、真実と出会うということからすると反対のことをしてしまっているということになろう。


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