発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 分析状況における遊び(精神分析 臨床心理 心理療法)
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精神分析においては、子どもはプレイで無意識を表現し、大人は自由連想で無意識を表現する。そして分析家はそれを解釈していくというのが一般的である。しかし、本論文でウィニコットは大人の精神分析の中で遊びをどのように取り入れるのかについて論じている。

ウィニコットはある臨床例をもちいて論じている。ある患者はコーヒーを飲まずに分析に来てしまい、そのためすべての時間を無駄にしてしまったとオロオロとしていたようである。その時ウィニコットは現実のものとしてコーヒーを差し出したのである。ウィニコットは空想の中でコーヒーを差し出されるのと、実際の関係の中でコーヒーが差し出されるのはとてつもない違いがあり、それは現実的な遊びの要素を持ち込み、分析が進展すると主張している。

さらには、他の大人の例でもしばしば紙と鉛筆を提供することもあると言ってる。これは描画を通しての精神分析ということであろう。

上記のコーヒーの例では、僕の観点からするとコーヒーを飲まないことでオロオロしたり、時間を無駄にしたという空想を持っていること自体が重要で、それをそのまま解釈した方が良いのではないかとも思ったりする。また、欲求不満状態に置く方が分析が進展することもよく知られたことでもある。

たぶん、ウィニコットはもちろんこういうセオリーについては知っていたであろうし、敢えてその上でこの現物を提供するということを通して、遊びの重要性を主張したかったのだろうとは思うが。

ここにウィニコットの自由さや柔軟性を見いだすのか、それとも精神分析における分析家のアクティングアウトや逸脱を見るのかはその人の価値観によるかもしれない。


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