発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 エディプス・コンプレックス論争(精神分析 臨床心理 心理療法)
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 妙木先生のマニアックなまでの細かい情報がたくさん散りばめられた良書。単にエディプスコンプレックスの専門的な知識を得るだけではなく、フロイトを中心として織り成された人間ドラマをうかがい知ることができる。

 精神分析家は歪みも偏りもある一人の人間であり、そこには色々な欲望が重ねられており、それを背景に精神分析の様々な理論が構成されている。これは精神分析が人間の学として臨床の学としてきわめて重要で、その創始者の人間性や性格がそのまま理論と合致しているのである。

 だからといってその理論が個人的主観であるとか、普遍性がないということはなく、不思議と色々な事象を説明するのにとても有用となってくる。やはり人間の学というのは泥臭い日常や臨床の中から経験的に積み上げられるものだということかもしれない。

 エディプスコンプレックスを初めとした精神分析の理論は賛否両論はあるが性を考えるところからできてきているものである。そこには人間の根源的な心の動きが関係している。それが現実世界・臨床世界に投影されているだけなのかもしれない。

 精神分析のトレーニングに教育分析というものがある。そして、それは上級分析家が訓練生に対して施行している。上が下に、下が上となり、そのまた下に教育分析をしていく。その無限連鎖が今日の精神分析の形となっている。さらに、当時は分析を受けていた一般の患者がそのまま精神分析家となることもままあったそうである。治療としての精神分析がそのまま教育分析となっていたのかもしれない。

 今日では心理療法をはじめ、精神分析などでも近親者や友人知人に対しては治療を行わないようになってきている。教育分析でもその傾向がある。しかし、フロイトの時代はこの原則は明確になっておらず、自分の子どもを精神分析したりすることも中にはあったようである。フロイトは自分の娘を精神分析していた。精神分析という営みを性関係に例えるとするならば近親相姦的であったといえるかもしれない。

 また、フロイトを中心としたグループの集団力動をみると、エディプスコンプレックス的葛藤が具象化している例が多いように思う。エディプスコンプレックスがあるのかないのか、理論的に整備不整備かは別として、少なくともエディプスコンプレックスが現実の人間関係の中に息づいていることは確かなようである。

 本書は過去の精神分析家の名前を一通り知っており、なおかつ精神分析の理論がだいたい頭に入っている人が読むとそのフロイトとその関係者の関係性が見て取れ、大変面白いように思う。全くの初心者もしくは精神分析をあまり知らない人が読んでも、チンプンカンプンかもしれない。


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