発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 2名の患者において例証された罪悪感の存在と欠如(精神分析 臨床心理 心理療法)
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D.W.ウィニコット(著) 「2名の患者において例証された罪悪感の存在と欠如」 1966年
D.W.ウィニコット(著) 北山修(監訳) 「ウィニコット著作集7 精神分析的探求2 狂気の心理学」 岩崎学術出版社 1998年 pp64-71

タイトルのように2名の患者の分析治療の例を挙げながら罪悪感について検討している。ただ本論文では罪悪感の問題だけではなく、分析家の失敗ということについても考察は及んでいる。

分析家の失敗とは、単に技法的に未熟とかトレーニング途中だからということではない。それは患者自身の環境がある重大な段階において失敗したパターンを分析家が転移状況の中でその失敗を再演してしまう、ということである。つまり、患者は自身の親の代わりを分析家にさせた、ということである。

1つ目の例では、ウィニコットが分析とは関係のない個人的な別のことを1~2個話したという失敗である。それによって患者は大きな苦悩を体験したようである。これは患者の母親が患者の妹か弟を妊娠し、次第に身重になっていく中で患者の養育を中断していったという過ちとウィニコットの失敗が等価である、ということのようである。

2つ目は重篤な症例である。患者は社会化のために妥協をすることを極端に嫌っており、それをすることは自分を裏切ることであり、そこに強い罪悪感を感じる、とのことである。また妊娠するかもしれないという可能性が出てきたときにも強い罪悪感が出てきた。そういうときには男性との関係を切るということをしてきたようである。

これはふさわしい男性は他にいる、しかし、その男性があらわれることは決してないだろうという空想である。つまり、患者は自分の父親と性交することである。このタブーを犯そうとする事に対する罪悪感がとても強いのである。

ただ、ウィニコットは言っているのだが、この罪悪感の感覚が強いが故に、この患者は芸術的な才能、真贋を見極めることを可能にしている、と言っている。リアルさへの追求が彼女の能力である、と。

先に挙げた例の分析家の失敗については、そういう風に転移をよみ説いていくことは可能であると思われる。しかし、それに安易に飛びつかないことも大切かもしれない。それはとことんまで突き詰めた先にある失敗だからである


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