発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 交流することと交流しないこと(精神分析 臨床心理 心理療法)
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D.W.ウィニコット(著) 「交流することと交流しないこと:ある対立現象に関する研究への発展」 1963年
牛島定信(訳)“情緒発達の精神分析理論-自我の芽ばえと母なるもの-” 岩崎学術出版社 pp217-236

 本論文はウィニコットの対象関係論的な側面が十二分に表現されている重要な論文であると思われる。最初にウィニコットは人間が対象と関係を持てるようになるのは単に成熟過程の問題ではないと断言している。

 最早期の段階において、発達促進的な環境は幼児に万能的な体験を与えるが、それは魔術的な支配以上の意味が含まれ、その創造的側面が重要であると指摘している。それらが積み重なり対象の想像が繰り返され、人格が構成されるとのことである。そして対象は見つけ出されるものではなく、創造されるものであるとのウィニコットの言葉には含蓄があるように思う。

 そのような中で発達促進的な環境も失敗する時がおとずれる。これらが幼児の欲求不満を呼び起こす。ここに憎しみを持つことが意義あることとしている。つまり、今は満たしてくれないが、いつかは満たしてくれるであろうという観念を持てるということである。そして、この憎しみによって環境が死に絶えることなく、生き残ることが必須となる。

 これらを経て、主観的に体験された対象と客観的に知覚された対象とができる。前者では交流しない真に分立した独自の自己の中核が、後者ではいくつかの型の交流を活用して楽しむことができるようになる。しかし、環境の失敗などによる外傷が大きいと、本当の自己を守るための偽りの自己が過剰に発達し、その偽りの自己が偽りの交流を行うこともある。その交流は偽りのものなので、楽しみも実感もなく、空虚なものとなってしまう

 そして本論文の後半では分析治療中にあらわれる交流について論が進められている。交流のないところから自然に移行してあらわれてくる単純な交流としての沈黙、と、積極的に交流しないことを表わしてくる否定、とがある。ウィニコットは沈黙も患者のなしうる重要な作業として、腰を据えて待つことが大事と言う。そこで安易な解釈をすると患者の交流における発達的・創造的な作業が停滞してしまうとしている。


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