発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 疾患分類:精神分析学ははたして精神医学的疾患分類に寄与したか(精神分析 臨床心理 心理療法)
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D.W.ウィニコット(著) 「疾患分類:精神分析学ははたして精神医学的疾患分類に寄与したか」 1959-64年
牛島定信(訳)“情緒発達の精神分析理論-自我の芽ばえと母なるもの-” 岩崎学術出版社 pp148-169

 ウィニコットはこれまでの精神分析の歴史を振り返り、疾患分類がどのようになってきたのかについてレビューをまずは行っている。フロイトの小児性欲を出発点とするヒステリーや強迫の疾患分類。フィレンツィの性格障害論について。メラニー=クラインの精神病的障害について、などが網羅されている。そして、単に記述的に分類するだけではなく、その背景に存在する病理を浮き彫りにし、そこから疾患分類をしていったところに精神分析の寄与があるとウィニコットはしている。

 さらに本論文の後半では、偽りの自己について理論を紹介し、ウィニコット自身の理解を疾患分類に組み込む作業を行っている。そして、愛情剥奪による非行と精神病についての理解を示している。

 実際の精神分析をする時に疾患分類、または診断がどこまで必要なのかについては難しい問題であり、議論する余地があるように思う。詳細の生育歴や病歴を聴取し、何らかの診断をつけたとしても、精神分析中に起こるプロセスは各人のユニークな展開があり、パーソナルな部分に接していくのであるから、診断は必要ないといえばそうなるかもしれない。そして精神分析をしていった結果として、何らかの診断に近いかもしれないと最後に分かることがほとんどのように思う。

 また疾患分類・診断によって、精神分析の適用か適用ではないかということも一概に決めることはできないであろう。精神病なら、境界例なら精神分析はできないか?神経症なら精神分析はできるか?そうは言えないだろう。自身の心を見つめ、分析作業に専念する心意気があれば、ある程度は可能のように思える。逆にいえば、軽症例や神経症であっても、そういうのがなければ精神分析の適用とするのは難しいだろう。

 もっといえば、診断や患者の在り方以上に、分析家自身が「この患者と取り組みたい」と思えることが意外と一番大事なのではないかとも思ったりすることもある。


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