発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 現代の精神分析―フロイトからフロイト以後へ(精神分析 臨床心理 心理療法)
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 フロイト→フロイトの直弟子→自我心理学と対象関係論、という流れの中で精神分析の理論の変遷をまとめている。

 精神分析は良くも悪くもフロイトから端を発しており、それを乗り越えようとして発展してきたところがある。世間で言われているように、現代の精神分析家はフロイトの理論を盲信したり、崇めているのではなく、逆に、その理論を修正し、より精度が高く、より臨床的に使えるものにして行こうという絶え間ない努力がなされている。

 精神分析を学ぶ上で、フロイトの古典を読むことを出発点とされることが多い。しかし、それはフロイトの理論を批判なく取り入れることを目的としているのではなく、フロイトがどのように思考し、臨床をし、どのように変遷していったのかを読み取ることを目的としている。そこで自分自身がフロイトと問答し、格闘し、自分や自分の臨床を見つめなおす一つの機会としているのである。

 フロイト以後の精神分析家はそのような道程を経て、あらたな精神分析の理論を作りあげていっているのである。その道程の中で、この本に紹介されているような対象関係論や自我心理学ができていっている。また、ここではあまり紹介されていないが、対人関係論や自己心理学、ラカン派といったところも同様である。

 フロイトも「自分の理論を信じろ」とは言っておらず、「精神分析は方法論であって、そこから自分の理論を作れ」と言っているようである。精神分析はそれ単体で完結した理論ではなく、人間という現象や有機体を知っていくための道具の一つであると思う。そして、それは日々更新されていくものである。

 この本はそのようなプロセスを歩んでいくための案内図と言えるかもしれない。


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コメント
この記事へのコメント
フロイトから始まるけれど、それを越えていくっていう考え方が私も好きです。
フロイト自らそれを語るところも実は大切なことだったんだと、看護学を勉強した時に思いました。
看護学では、先駆者の理論は過剰に評価され、絶対扱いされがちな傾向があるところが、私は少し苦手です。
専門学校にはほぼもれなく肖像や銅像があるし。
初めて見たとき、本当にびっくりしました。
じゃあ、心理学研究室にはフロイトやフェスティンガーの銅像を置くべきなのかしら?って。
「ナイチンゲール誕生祭」に参加してみたところ、「ナイチンゲール研究」という分野の高名な方が「ナイチンゲールが、来るべき在宅看護の時代を予見していたことが、この著書の何行目からうかがえる」と真剣に語っていて、びっくりしました。
先駆者の理論は押えた上で、それを越えていくことを目指す心理の世界が、私には合っているなあとしみじみ思います。
2007/07/13(金) 16:35 | URL | きょんきち # - [ 編集する]

>きょんきちさん

看護学の分野ではそうなんですね。ただ、京都大学では河合先生の肖像画がかざられているようですよ(笑)。

それは極端ですが、昔の理論の中に色々なアイデアはあるし、使えるなら使う、違うなら修正するといったことをしていくことが重要だと思います。

そして、それらを乗り越えていくところに発展がありますから。
2007/07/13(金) 16:35 | URL | セーイチ # - [ 編集する]

あ、この本、以前買いました♪が、まだ対象関係論のとこ以外は、ほとんど読んでませんf^_^;
そろそろ読まなきゃ。。
2007/07/13(金) 16:36 | URL | としぞう # - [ 編集する]

>としぞうさん

S.フロイトのところは色々と新しい読み方があって面白かったですよ。
2007/07/13(金) 16:36 | URL | セーイチ # - [ 編集する]

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