発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 集中講義・精神分析(下)(精神分析 臨床心理 心理療法)
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 本書は2006年に上智大学で行われた講義録であり、上巻では春学期に行われた主にフロイトやフロイトの時代の精神分析について書かれてある。そして、下巻では、秋学期に行われたフロイト以後の精神分析、主に対象関係論を中心に書かれてある。

 本書でも繰り返し言及されていたが、単に並列的に精神分析の知識や技術をまるで完成品を扱うかのように講義しても、精神分析の本質については理解できない。創始者やその理論を唱えた人がどのような生育歴をたどり、どのようなパーソナリティを持って、どのような臨床を行ってきたのかを追わなければ分からないのである。そして、もっと大事なことは、知識や技術を本を読んだだけで分かったかのようになったり、自分もできるというふうにはならないのである。パーソナルな臨床を続け、その臨床体験とこれまでの理論との対話を行うことで練り上げられていくものであるとしている。

 フロイト以後の精神分析の大きな流れとして、著者は対象関係論を挙げており、その他にも自我心理学やラカン派なども取り上げている。しかし、自己心理学などは著者自身がきちんと学んでいないということもあるかもしれないが、本書では取り上げられていない。ラカンについても本書では「精神分析の切り口の一つとしてその考え方は面白いが、実践が見えない上、営みとしての精神分析が感じられない」として、どちらかと否定的な扱いを受けている。それは同感に思うところである。

 さらに、50年代60年代のアメリカでは精神分析は精神医学と融合し、大きな発展を遂げた。と同時に失ったものも大きいようである。精神医学的な治療技法としての精神分析は衰退し、生き方や人生を見つめなおすための実践としての精神分析にシフトしてきているようである。それはイギリスのモデルが大きいようだが、医療とは一線を画する形で精神分析は生き延びるものと思われる。確かに精神分析の実践を行っていると、治療をし、症状を消去するという意味では精神分析はあまり有用ではないというのは僕も実感している。単に症状消去だけなら他の治療方法を使った方が良いだろうと思う。そうではなく、精神医学や精神医療の土台には乗らず、一応社会的な適応はできているが、根本的な困難を抱えている人に精神分析は大変役に立つものと思われる。自分の不安や葛藤に直面し、根本からありようを変えて行こうとするところに精神分析の存在意義はあるのかもしれない。そういう意味でも医療とは切り離した精神分析の実践のモデルを今後作っていく必要はあるだろう。



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