発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 自閉症への精神分析的アプローチと拡充技法(精神分析 臨床心理 心理療法)
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平井正三(著) 「自閉症への精神分析的アプローチと拡充技法」 精神分析研究54巻2号 pp37-48. 2010年

 自閉症とは、コミュニケーション・言語・想像性に問題がある先天的・遺伝的疾患で、基本的に症状は不可逆的で、生涯にわたって問題は継続します。現代的にはその治療方法は確立されているとは言えませんが、主に行動療法を中心とした援助や環境療法とも言えるTEACCH、親支援があります。そして、一般的には精神分析のような技法は中心的に使われることはありません。

 ただ、自閉症に対する精神分析的な援助や研究はイギリスを中心として細々と続いています。クラインのディック症例は自閉症と言われており、その研究が礎石となっています。その後、メルツァーやタスティン、アルバレズなどがクライン学派が自閉症研究を行っています。著者の平井も分析家の資格はないものの、イギリスでクライン学派を学び、日本で自閉症の精神分析的研究を行っている数少ない臨床家・研究者です。

 平井はこれまでいくつかの自閉症に関する研究論文を書いており、その布石の上で、本論文が書かれています。精神分析はフロイト・クライン以後、患者のさまざまな症状や言動の背後にその象徴的意味の存在を仮定し、それを扱うことが基本事項とされてきました。その為、いわゆる「解釈」という分析家の仕事が大きな役割を担ってきました。しかし、自閉症の場合にはその象徴的意味そのものが破壊されている、もしくは育っていないため、そのような精神分析的作業は不可能とまではいかないまでも、大きな困難に直面してしまいます。そこで、タスティン以後の自閉症を対象とする分析家は、積極的に・直接的に関与していく技法に修正していきました。すなわち、解釈するべき象徴機能をまずは育てていく技法を展開していきました。本論文で平井が述べている「拡充技法」はその延長にあるものと説明されています。

 本論文のメインテーマである拡充技法とは「セラピスト-子どもという直接的関係における投影同一化作用の増強」と「遊びの中への投影作用の増強」のことを言い、4つのヴァリエーションから成っているようです。詳しくは本論文を読んでもらえたらと思いますが、簡単にいうと、まだ育ちきれてない自閉症児の情緒を分析家が言語化し、患者に投げかけていくというものです。もちろん、ここには逆転移と中立性という大きな問題が関与していることは言うまでもありません。

 その後、事例を通してこの拡充技法を紹介しています。ここでは拡充技法を自閉症児に適用したら良くなった、という論調で書かれており、それはもちろんその通りだろうと思います。しかし、僕の推測ですが、最初から拡充技法を適用しようとして事例に当たったのではないでしょう。さまざまセッションの場で生じることを今ここでの文脈で理解し、プロセスの中で試行錯誤をまずはしていたのだろうと思います。そして後で振り返ったときに、この拡充技法のようなことがあったのではないかと考察しているのでしょう。これは何もこの論文だけではなく、ほとんどの事例論文はそうだと思います。患者と会っているときに、ああだこうだと難しいことを考えて論理的に技法を適用してということはほとんどありません。分析家と患者が生身の身体でぶつかりあい、そこで体験される生き生きとした情緒を味わうことが臨床だと思います。それを後で振り返ることによって考察しているのであろうと思います。

 そして最後に平井は「遊びを主導することではない」として、精神分析的遊戯療法の原則に反しない、と書いています。さらっと書いているだけですが、これはとても大きな問題をはらんでいるところだと思います。すなわち、そもそも「精神分析とは何か?」といった壮大なテーマがここにあるからです。

 精神分析はいわずとしれたようにフロイトが創始し、初めはヒステリーの治療技法として使われていました。それが対象疾患の幅が広がりもしましたし、そもそも症状除去だけが精神分析ではないとまで言われるようになりました。精神分析とは何か?ということを論じることは大きなテーマであり、それを突き詰めることはできませんが、簡単に定義すると、「真実(あるがままの自分)に出会う方法であり、カウチもしくはプレイを用いた週4回以上のセッション」といえます。この定義にはもちろん異論はあるでしょうが、とりあえず僕はこう考えています。

 この定義の前半部分の「真実に出会う」の部分ですが、これはまさに本論文で書いている、観察-解釈モデルで通用しうるものです。すなわち、さまざまな転移や防衛、抵抗によって患者は真実の自分を覆い隠しているので、それを理解し、あるがままの自分を発見するというモデルです。しかし、本論文において、患者の心にあるものが育っていないので、それを育てていく、ということは成長モデルともいえます。それの良し悪しは置いておくとして、「真実に出会う」というのとは多少違うようにも思います。成長した後に真実に出会うこともできる、という風に捉えることもできますが、難しいところです。

 最近の僕の研究にも関わっているところなので本論文を読みましたが、精神分析的に自閉症児を援助するとはどういうことか?そもそも精神分析とは何か?ということを考えさせられました。


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