発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 詩人と空想すること(精神分析 臨床心理 心理療法)
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S.フロイト(著) 「詩人と空想すること」 1908年

 フロイトの論文の中では文化論や芸術論は、臨床実践から少し隔たっていると思っているところがあったので、今まで一応は読んできたが、あまり気をひくものではなかった。しかし、今回もう一度この「詩人と空想すること」を読んで、とても臨床的リアリズムに溢れた内容にかなり引きこまれてしまった。

 この論文でフロイトは詩人の創作物がこれほどまでに人の心に感動を与えるのはどうしてなのか?という疑問から出発している。僕もどちらかというと芸術的センスがないほうなので、フロイトの疑問に同感なところが多い。そしてフロイトは子どもの遊びと空想することとの類似点を挙げ、論を展開していく。こういう着眼点というのはフロイトのすごいところだなと改めて思うところである。

 さらに空想することは、いわゆる精神分析の中の自由連想に当たるものである。ここで臨床実践とのつながりが顕著に表れてくる。ただ、フロイトは空想することを単に願望充足であるとしており、幸せな人は空想することがないとしている。この部分については僕は直感的に同意できないところである。というのも、空想自体はその人の内的世界の表れであり、願望だけではなく、対象世界そのものが顕在化しているものだと思う。また、そもそも全く幸せである人がどれほどいるのかも疑問である。

 そしてここで自由連想と遊びの関係も出てくるのだが、これはクラインが「自由連想は遊びに匹敵する」といった名言まで残しているように、遊びが精神分析の重要な素材になりうることを発見し、そこから今日の精神分析に重要な概念をいくつも提出してきた。特にプレエディパルな世界を描き出すことに成功し、重篤な患者・重症な患者の精神分析的理解に多くの貢献を残してきた。

 論文の後半になるとフロイトは詩人そのものに焦点をうつしている。そこでは詩人は自我をいくつかの部分に分割して、それぞれを人格化して作品を作っていると論じている。ここではフロイトはそれほど詳しく論じているわけではないが、重要な示唆が含まれていると思う。というのも、この自我の分割については、フロイトが晩年に「防衛過程における自我の分裂」(1939)に書いた論文に通じる理論であり、さらにクライン学派や対象関係論学派における投影同一化やスプリットといった原始的防衛機制の元とも言えるのではないかと思う。この時期のフロイトはまだ構造論そのものを概念化していないのであるが、その片鱗が見え隠れするというのも面白いものである。

 たった9ページほどの短いものであるが、単なる芸術論を超えた含蓄が多く含まれた論文であると思う。


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コメント
この記事へのコメント
読んできました、詩人と空想すること。いいとこで終わってますね^^;

防衛的な反動形成としての創作と、遊びに匹敵するものとしての創作の違いは私にとって重要なテーマだったんですけど。個人的には後者に惹かれます。だって防衛にはなっても、その先の昇華にはならないもの・・・

リルケの「若き詩人への手紙」はフロイトの知りたい詩人の秘密が載ってる気がします。
2009/05/17(日) 20:59 | URL | あづみ # ./qA1Ad6 [ 編集する]

創作をどういう風に理解するのかは難しいところですね。もちろん防衛として取ることも出来るし、適応ととることもできる。文脈に応じて理解しないと行けないのでしょうね。

リルケはちょっと読んだことは無いですけど(^-^;A
2009/05/18(月) 21:57 | URL | ピュアリー # 6fwIY24o [ 編集する]

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