臨床心理士の労働組合は全国初で、加入した8人は常勤雇用などを求めていくという。
臨床心理士は文部科学省所管の財団法人が認定する民間の資格。同ユニオンによると、資格を持っていても非常勤や低賃金など不安定な立場に立たされていることが多い。
都は東京都社会福祉事業団に養護施設の運営を委託しており、現在、14人の臨床心理士が非常勤職員と臨時職員として同事業団に雇用されている。うち8人が同ユニオンに加入した。非常勤職員の給与は勤務年数にかかわらず月額20万円未満という。
時事通信 2009年4月6日(月)19:30
臨床心理士の雇用条件・労働環境が低いというのは意外と知られていないみたいである。僕自身は非常勤やパートを5ヶ所ほど掛け持ちして週5.5日働いている。昨年は週6.5日働いていたのだが、1ヶ所が事業打ち切りということで急に1日無くなってしまい、年収にすると100万円ちょっともダウンしてしまい、今年はかなり辛い状況にある。
また、社会保険などはもちろんなく、国民年金と国民健康保険を自腹で支払っている。今は健康なので何とか仕事が出来ているが、もし病気などになり、仕事が出来なくなってしまったら保障もないので、たちまち困ってしまう。そのままクビにでもなれば失業保険もなく、すぐに生活ができなくなってしまう。自己紹介するときに自虐的に「もうすぐ50歳、フリーターです♪」と言ったりすることもあるが、実は笑えてない(涙)
経済的な不安というのはかなりメンタルヘルスに悪い影響を与えているのはよく知られていることで、年間3万人の自殺者の内、経済問題によるものがかなり含まれているとも言われている。その辺り、司法書士らによる借金問題の解決が自殺対策にまでなっていたりするほどである。
話はずれてしまったが、こういう経済的な不安がある中で、患者さんの相談に乗れるのか?というのは大変大きな問題で、こっちが相談したくなることもなきにしもあらずで(笑)。実際自分の経済的不安を否認しながら、見ないようにしながら仕事をしているといってもあながち間違いではないと思う。
自分のことをケアできない人間に、他者をケアできるのかといったらそれは「不可能」であると思う。よく精神疾患を持っている人がカウンセラーと同一化して、カウンセラーになろうとすることがよくある。実際にそういう講座とかに行って勉強したりしているようで、そういう行動をすること自体は別に悪いとは思わないけど、実際にカウンセラーとしてやっていけるのかというと疑問である。自分の問題と相手の問題との間で巻き込まれてしまい、しっかりとした援助活動ができないのである。だから、援助をする人は完璧に!とは言わないけど、ある程度自分自身の不安をコントロールし、生活基盤はしっかりとしていることが求められると思う。
そして手段と目的が混同しがちであるが、臨床心理士が経済的に豊かにすることが目的なのではなく、それらは手段であり、このことによって、質の高いサービスを患者やクライエントに提供していくことができるようになり、ひいては全国民の健康と豊かさへの貢献をしていくことが目的であると思う。今後、臨床心理士が国家資格になっていき、最低限の生活が保障されるような時代になっていくことを願う。というより、願うだけではなく、僕自身も行動していかないといけないなと思う。
<追記>
結構色々なブログでこの記事について取り上げられているようです。僕のブログなんかより参考になると思うので、下に掲げておきます。
裕’s Object Relational World
空も、つながっている
著作・学術・教育・臨床活動とそれ以外
さいころじすと日記
ロテ職人の臨床心理学的Blog
臨床心理士の私的スピ系備忘録
Walk Don't Run ゆっくりいこうよ
久留米フォーカシング・カウンセリングルーム
A Forward-looking Child Psychiatrist
はらぶろ
この記事へのコメント
ピュアリーさんお久しぶりです。
紹介されているブログの記事なども読ませていただきましたが・・・
うーん、どうなんだろう。
学部生時代には入学早々、教員から「心理士の資格だけで仕事がある(食っていける)と思ったら大間違いだ。甘い!」とカツを入れられたのを覚えています。
途中で見切りをつけて心理士の道をあきらめ、違う職についた人の話もちらほら聞いたことがあるけれど、それはそれで健康な判断じゃないかなぁとも思います。
それに、援助職をしていても、自らのアイデンティティを臨床心理士に求めていない知人も結構いて、その人たちからはパワフルに仕事してるなぁという印象を受けます。
社会的文脈を見据えた上で、対象者と、対象者に提供しようとするものが、明確にイメージできていて、すごいなぁと思うことしきりです。
そういう人たちを見ていると、逆算の発想なんだなぁと思います。
具体的な対象者イメージ(状況やニーズ)がある。
対象者が集う(利用する)場がある。
そこで自分が提供したいものがある。
そのために役立つものを、臨床心理学(に留まらず、あらゆること)から学んでいる。
私たちが、サービスを提供しようとする対象者のことを、どれだけリアルに具体的にイメージできているかと問われると、案外弱いところなのではないかなと思いました。
紹介されているブログの記事なども読ませていただきましたが・・・
うーん、どうなんだろう。
学部生時代には入学早々、教員から「心理士の資格だけで仕事がある(食っていける)と思ったら大間違いだ。甘い!」とカツを入れられたのを覚えています。
途中で見切りをつけて心理士の道をあきらめ、違う職についた人の話もちらほら聞いたことがあるけれど、それはそれで健康な判断じゃないかなぁとも思います。
それに、援助職をしていても、自らのアイデンティティを臨床心理士に求めていない知人も結構いて、その人たちからはパワフルに仕事してるなぁという印象を受けます。
社会的文脈を見据えた上で、対象者と、対象者に提供しようとするものが、明確にイメージできていて、すごいなぁと思うことしきりです。
そういう人たちを見ていると、逆算の発想なんだなぁと思います。
具体的な対象者イメージ(状況やニーズ)がある。
対象者が集う(利用する)場がある。
そこで自分が提供したいものがある。
そのために役立つものを、臨床心理学(に留まらず、あらゆること)から学んでいる。
私たちが、サービスを提供しようとする対象者のことを、どれだけリアルに具体的にイメージできているかと問われると、案外弱いところなのではないかなと思いました。
すみません
何だか心理士の雇用安定の話題から少しズレてしまいましたね。
何だか心理士の雇用安定の話題から少しズレてしまいましたね。
〉一休さん
管理人のピュアリーさん登場の前の割り込みの悪い癖(--;)は自重するつもりですが。
>すみません
何だか心理士の雇用安定の話題から少しズレてしまいましたね。
いえいえ、私が思うに、問題の核心をついていると思います。
裕さんサイトの卓抜な「臨床心理士は未だ理念であって職業ではない」というタイトルをプラトン的だとすれば、一休さんのご指摘はアリストテレス的(^^)
例えば、私は、「鬱で精神医療に通っているけれども、医者とのコミュニケーションにも鬱の改善にも不満、もっと話をしたいし」という地域の潜在「顧客層」が見えてきた時、自分のリアルな存在意義が明確になりました。
通院の薬代や交通費に年間10万はつぎ込んできたそういう皆様にとって、取りあえず1回とか2回で済むコンサルテーションに1時間半(初回のみ)6000円の投資を求めることは、現在の経済情勢でも何も敷居の高いことではないわけですから。
お医者さんの医師法的な権限を侵犯することなくこのことを進めるのに必要な、カウンセラーの社会性と職業的自己限定倫理規範は、そんなに特別な水準のものではないはずですし。
.....結局、我田引水にまたもやなっていることをお許しください。
管理人のピュアリーさん登場の前の割り込みの悪い癖(--;)は自重するつもりですが。
>すみません
何だか心理士の雇用安定の話題から少しズレてしまいましたね。
いえいえ、私が思うに、問題の核心をついていると思います。
裕さんサイトの卓抜な「臨床心理士は未だ理念であって職業ではない」というタイトルをプラトン的だとすれば、一休さんのご指摘はアリストテレス的(^^)
例えば、私は、「鬱で精神医療に通っているけれども、医者とのコミュニケーションにも鬱の改善にも不満、もっと話をしたいし」という地域の潜在「顧客層」が見えてきた時、自分のリアルな存在意義が明確になりました。
通院の薬代や交通費に年間10万はつぎ込んできたそういう皆様にとって、取りあえず1回とか2回で済むコンサルテーションに1時間半(初回のみ)6000円の投資を求めることは、現在の経済情勢でも何も敷居の高いことではないわけですから。
お医者さんの医師法的な権限を侵犯することなくこのことを進めるのに必要な、カウンセラーの社会性と職業的自己限定倫理規範は、そんなに特別な水準のものではないはずですし。
.....結局、我田引水にまたもやなっていることをお許しください。
対人援助が臨床心理学・臨床心理士だけではないというのは全くその通りですね。様々な援助方法・サービス方法があるし、対象者のニーズや状況を鑑みて、時には臨床心理学とは違うものを提供するのはとても大事です。
ただ、僕自身の感覚ですが、臨床心理学でしかできないことはたくさんあるでしょう。また、臨床心理学から離れたくなる衝動があったとしても、そこにとどまり続けることで見えてくることもあるように思います。臨床心理学の限界はもちろんあって、限界があるから、別のものを取り入れるというのも一つの方法ですが、限界に直面し続けることによって、臨床心理学の枠内の中で枠を広げたり、見えなかったものが見えてくるという体験があったりします。
そこに僕は臨床心理士としてのアイデンティティをもちたいなと思っています。
ただ、僕自身の感覚ですが、臨床心理学でしかできないことはたくさんあるでしょう。また、臨床心理学から離れたくなる衝動があったとしても、そこにとどまり続けることで見えてくることもあるように思います。臨床心理学の限界はもちろんあって、限界があるから、別のものを取り入れるというのも一つの方法ですが、限界に直面し続けることによって、臨床心理学の枠内の中で枠を広げたり、見えなかったものが見えてくるという体験があったりします。
そこに僕は臨床心理士としてのアイデンティティをもちたいなと思っています。
いえいえ、どんどんとコメントをしてもらえたら僕も助かりますし、嬉しいです♪
臨床心理士の場合、医師やその他の援助職との間の守備範囲の重なり、対立などが結構問題になってくることはあると思います。
臨床心理学の守備範囲を明確にすることも大事かもしれませんが、重なりの部分を特定し、そこに臨床心理学でしかできないことを見つけていくことも大事かなと思いました。
臨床心理士の場合、医師やその他の援助職との間の守備範囲の重なり、対立などが結構問題になってくることはあると思います。
臨床心理学の守備範囲を明確にすることも大事かもしれませんが、重なりの部分を特定し、そこに臨床心理学でしかできないことを見つけていくことも大事かなと思いました。
>臨床心理学でしかできないこと
それが何かという議論と同じくらい、それをいかにして提供していくのか?そのための場をどこに見出すのか?ということ「も」大事なテーマですよね。
私が言いたかったのは、臨床心理学の知恵を生かす場は、なにも狭義の臨床心理行為だけではなかろう、ということです。
>臨床心理学から離れたくなる衝動
・・・というより、続けたいのはやまやまだけど、やむをえない理由でこの業界から足を洗うという選択をされた方を、落伍者のように扱ったり、続けていくこと「だけ」が、「高尚である」という空気があるとしたら嫌だなぁということです。
それが何かという議論と同じくらい、それをいかにして提供していくのか?そのための場をどこに見出すのか?ということ「も」大事なテーマですよね。
私が言いたかったのは、臨床心理学の知恵を生かす場は、なにも狭義の臨床心理行為だけではなかろう、ということです。
>臨床心理学から離れたくなる衝動
・・・というより、続けたいのはやまやまだけど、やむをえない理由でこの業界から足を洗うという選択をされた方を、落伍者のように扱ったり、続けていくこと「だけ」が、「高尚である」という空気があるとしたら嫌だなぁということです。
>私が言いたかったのは、臨床心理学の知恵を生かす場は、なにも狭義の臨床心理行為だけではなかろう、ということです。
お伝えになりたかったことが明快に理解できた気が致しました。ありがとうございます。
そういう意味では、例えば、認知行動療法の技法に熟達していれば、ビジネスにおける顧客(クライアント!)との具体的交渉にシビアに深く活用できるのは明白だし、
フォーカシングのクリアリングアスペースに熟達していれば、スポーツ選手のコーチとして、試合直前に上がらない術を授けられます。
いや、フォーカシングを学んでいれば、「言葉にならない違和感・しっくり感」が研ぎ済ませれるから、ブティックのバイトで、お客さんに似合った服のコーディネートの「提案」がうまくなるのは間違いないでしょう。
......あ、この種の応用例の中の極めつけのひとつは、私が今度実際にやって着実に成果を上げ始めてからしかネット上で明かさないことにしているので。
要するに近々稼ぎのベースはそっちに移行させるという、プライドもへったくれもない、それこそあまり高尚でないかもしれない(?)ので、皆様、どう思われるか.....
お伝えになりたかったことが明快に理解できた気が致しました。ありがとうございます。
そういう意味では、例えば、認知行動療法の技法に熟達していれば、ビジネスにおける顧客(クライアント!)との具体的交渉にシビアに深く活用できるのは明白だし、
フォーカシングのクリアリングアスペースに熟達していれば、スポーツ選手のコーチとして、試合直前に上がらない術を授けられます。
いや、フォーカシングを学んでいれば、「言葉にならない違和感・しっくり感」が研ぎ済ませれるから、ブティックのバイトで、お客さんに似合った服のコーディネートの「提案」がうまくなるのは間違いないでしょう。
......あ、この種の応用例の中の極めつけのひとつは、私が今度実際にやって着実に成果を上げ始めてからしかネット上で明かさないことにしているので。
要するに近々稼ぎのベースはそっちに移行させるという、プライドもへったくれもない、それこそあまり高尚でないかもしれない(?)ので、皆様、どう思われるか.....
>それをいかにして提供していくのか?そのための場をどこに見出すのか?
そうですね。臨床心理学をサービスとして考えた場合、そういう視点ってとても大事だと思います。同感です。
>落伍者のように扱ったり
落伍者としては扱ってませんよ(笑)。そういう道を選ぶことが間違いとかダメとかは思ってませんので。
ただ、僕はこういう精神分析の立場にいるからか、何かを選択したり、決定したり、行動したりする時、意識している部分以外の動機について考えてしまう癖があるもので。
そうですね。臨床心理学をサービスとして考えた場合、そういう視点ってとても大事だと思います。同感です。
>落伍者のように扱ったり
落伍者としては扱ってませんよ(笑)。そういう道を選ぶことが間違いとかダメとかは思ってませんので。
ただ、僕はこういう精神分析の立場にいるからか、何かを選択したり、決定したり、行動したりする時、意識している部分以外の動機について考えてしまう癖があるもので。
そういうビジネスシーンへの展開というのも一つの応用・発展ということも言えるかもしれませんね(笑)
心理臨床の経済的側面を考える場合、商品は心理士自身(心理士の人格)であると言えると思うのですが、一方で、この商品の内容はほとんで、消費者(クライント)に対して明らかにされていません。これは、私のようなクライエントサイドの人間から見て非常に問題が大きいし、心理士会全体で考えてほしい問題だと思うのですが、いかがでしょう?適切な情報の提供は、双方にとり極めて重要でありかつ有益だと思うのですが、、、
その通りだと思います。臨床心理士とはどういう存在で、何ができ、何が出来ないのかといったアピールがかなり少ないと思います。そのため、一般の方が臨床心理士とは何なのか?ということについて確固としたイメージが持ちにくいのが現状かもしれません。その弊害として、臨床心理士が役に立つ状況であったとしても、クライエントさんが臨床心理士を訪ねるという選択肢が出てこないということもあります。そればかりではなく、オカルトや占い、宗教(それらが絶対悪ということではありませんが)などに引っかかってしまい、詐欺られることもあるようです。そのあたり、臨床心理士としてもっと啓蒙していかないと行けないと思っています。
レスありがとうございます。
>>臨床心理士とはどういう存在で、何ができ、何が出来ないのかといったアピールがかなり少ないと思います。
私の意図した論点が十分理解いただけなかったと思います。ユングがクライエントを治療するのは分析かの人格である、といった主旨のことを言っていると思うのです「臨床心理士である○○○(つまり具体的個人)は、どのような個性を持った人間であるか、どのような考え、どのような態度でクライエントに会っているのか」といった、その人それぞれの個性が極めて、本質的に最も重要なのであると考えます。臨床とはクライエントと心理士の個性のぶつかる場だとおもいますが、クライエントが心理士を探す際に適切な情報が極めて限定的にしか流通していないということは、問題ではないのでしょうか?例えば、著作を出している人であればある程度、その著作を通して、その人となりを想像することは可能です。心理士会のHPでは、どのような組織・オフィスで心理士に出会えるか、の情報が発信されていますが、それぞれの個性は全く不明です。クライエントが選択するために、心理士一人ひとりが、自分の情報を発信することが必要だと考えますし、それは心理士にとってもクライエントにとっても有益だと思うのですが、いかがですか?
>>臨床心理士とはどういう存在で、何ができ、何が出来ないのかといったアピールがかなり少ないと思います。
私の意図した論点が十分理解いただけなかったと思います。ユングがクライエントを治療するのは分析かの人格である、といった主旨のことを言っていると思うのです「臨床心理士である○○○(つまり具体的個人)は、どのような個性を持った人間であるか、どのような考え、どのような態度でクライエントに会っているのか」といった、その人それぞれの個性が極めて、本質的に最も重要なのであると考えます。臨床とはクライエントと心理士の個性のぶつかる場だとおもいますが、クライエントが心理士を探す際に適切な情報が極めて限定的にしか流通していないということは、問題ではないのでしょうか?例えば、著作を出している人であればある程度、その著作を通して、その人となりを想像することは可能です。心理士会のHPでは、どのような組織・オフィスで心理士に出会えるか、の情報が発信されていますが、それぞれの個性は全く不明です。クライエントが選択するために、心理士一人ひとりが、自分の情報を発信することが必要だと考えますし、それは心理士にとってもクライエントにとっても有益だと思うのですが、いかがですか?
個性が重要と言うのはクライエントさん側からの見方としてはとてもよく分かります。
ただ、どこまでその臨床心理士の人格を公開するのか?そして、どのように公開するのか?どこで公開するのか?ちょっと具体的には分かりません・・・
また、臨床心理士だけではなく、医師や弁護士等といった専門職にしても、ある種の人格がクライエントさんとしては気になるところですが、これらの専門職もそこまで公開されているんでしょうか?ジャンルや特性が違うからと言ってしまえば身も蓋もありませんがね。
開業している人はホームページなどを作成して、そこに色んな自分の主張を書いたりしている人もいるとは思いますが、それでは不十分と言うことですかね?
ただ、どこまでその臨床心理士の人格を公開するのか?そして、どのように公開するのか?どこで公開するのか?ちょっと具体的には分かりません・・・
また、臨床心理士だけではなく、医師や弁護士等といった専門職にしても、ある種の人格がクライエントさんとしては気になるところですが、これらの専門職もそこまで公開されているんでしょうか?ジャンルや特性が違うからと言ってしまえば身も蓋もありませんがね。
開業している人はホームページなどを作成して、そこに色んな自分の主張を書いたりしている人もいるとは思いますが、それでは不十分と言うことですかね?
「人格の公開」というと大げさな感じになってしまうのですが、臨床心理士会が、全員にblogのようなそれぞれの「思い」を書く場を提供してはどうかと思います。個人でHPを作っている人も、ピュアリーさんのようにblogを書く人もいるわけですが、それぞれwebの構成もバラバラだし、探すにも手間がかかるので、統合的なサイトがあればよいと思います。内容は、個人まかせでよいと思いますが、例えば、「なぜ心理士になったか」とか「これまでの人生で感動したこと」とか、その人の中身が想像できるエッセイのようなものがよろしいかと。村瀬先生の「柔らかなこころ、静かな想い」など読むとそこに書かれているエピソードから先生の人柄が伝わってきますし、文章によって、けっこうその人となりを想像することができるものだと思います。
心理士を探す場合、住んでいる近くの人で検索して、その人のblogを読んで、フィーリングの合いそうな人をピックアップする、といった使い方になると思います。心理士とクライエントの相性というのも結構、重要ではないのでしょうか?
心理士を探す場合、住んでいる近くの人で検索して、その人のblogを読んで、フィーリングの合いそうな人をピックアップする、といった使い方になると思います。心理士とクライエントの相性というのも結構、重要ではないのでしょうか?
それはなかなか難しそうですね(笑)
>つくつくさん
代表的な、カウンセラーの人格垂れ流しサイト(?)のオーナー、こういちろうです。どうかよろしく。
つくつくさんとピュアリーさんのやりとり、たいへん興味深く拝見しました。
村瀬嘉代子先生の著作を典型として、ご自身のパーソナルなものを、静かに感じさせてくださるようなメディアがあると、その臨床心理士に何をどう求めても大丈夫かについて、一般の皆様に安心して「値踏み」していただけるところがあるのは確かだと思います。
ただ、今日の「教科書的な」臨床家のあり方についてのドグマとして、「中立性」というものについての懸念がある人たちからは、そうしたことが許されるのは「すでに著名で実績ある、ひとにぎりのカウンセラーの先生方」ではないかという、妙な遠慮がある気がします。
私に言わせれば、それは、「中立性」という、一見もっともな「言い訳」をいいことにして、実のところは、日本的なタテ社会における、序列横並び意識の反映、要するに「人より先に出る釘になって打たれたくない」」という無意識の思い込みの悪循環という側面があるのではないかとも思います。
多くの臨床家は、この「主観的逆転移」の可能性について、大いに「自己分析」を重ねるか必要があるのではないか(^^;;;)
つくつくさんの提案された「総合サイト」を作ったら、今度は、そこで他の臨床家が何を書いているかばかりを気にして、結局盛り上がりにくいという、いかにも「日本的な」現象が生じそうで。
そういう点では、開業カウンセラーなら「こころ相談.com」だと、登録カウンセラーに、そうした、パーソナルなプレゼンスを含めてエッセイを、具体的なテーマについてもふってくれる形で、執筆してみることの誘いを定期的に、しかもかなり頻繁にかけてきてくれますので、そうした企画に積極的に乗ってみるということができます。
つまり、そうした、民間ベースでのウェブ活動に、当面期待をかけるのが無理がないかなと思っています(ほとんど我田引水ですが^^;)
なお、関連で、先日、短期療法の児島達美先生を講師とする集いに参加した時に配布されたパワーポイントファイルより、キャリアカウンセラーの渡辺三枝子先生との対談のを引用させていただきます:
渡辺:「カウンセラーというと、相談室で一対一で何かいい合い、静かで、他に人には理解できない特殊な雰囲気を作り出す人という印象があるため、一般企業で受け入れられないということを聞いたことがありますが、(中略)受容や共感的態度を倣っても、クライアントと会うと、相手が居心地が悪くなっているのにも気がつかず、相手が反しだすのをジィーッと待つという何か異常な雰囲気になってしまい、またその雰囲気にカウンセラー自身が酔ってしまうようなことも起こるようです」
児島:カウンセラー自身がなぜ酔うのか。それは、自分の理論を展開するためにクライアントに会っているようなところもあるからです。そういう場合、「君は自分の理論を展開するためにカウンセリングをしているのか」といいたくなります。こういうのを「理論的転移」と呼ぶのです。
(引用終わり)
ここではあくまでもEAP(産業保健活動)の脈絡でこの対談がなされているので、ここでいう「クライアント」というのは、いわゆる「クライエントさん」にとどまらず、企業の担当者などといった「カウンセラーに仕事を依頼する他業種の人たち」全般に拡大された形で、カウンセラーの天上天下唯我独尊的(ナルシスティック)で殿様商売じみたスタンスにチクリと警句を向けておられる点に注意するべきでしょう。
少しエントリーのテーマから広がってしまったかもしれませんが、最近の裕さんの「日本では、カウンセラーは未だ理念であって、職業ではない」という名言で語られたがごとく、日本ではまだまだ「はじめにカウンセラーとしての資格ありき」→「その資格を持ったカウンセラーの働き口をどうするか」という発想が強い割には、マスコミ報道みないな、ええかっこしいのスタンスを超えて、カウンセラーが実際にさまざまな現場でどのように活躍しているのか、身近な存在としてアピールするみたいな日常活動が、まだまだ少ない気がするのです。
凄く優秀なカウンセラーの話か、さもなければとんでもないカウンセラーについての陰口かに二分されるというsplitになっちゃってて、good enoughな市井のカウンセラーについての具体的なイメージを一般の人は形成しようもない。
現場のカウンセラーっていうのは、一般に知られるよりは、仕事の上でも遥かに、遥かに「泥臭い」存在なのだと思う。なのにそういう面は伝わらすに、後光を背負い、「聖職」であるかのようにまだまだ見られ、カウンセリングを受けてみたい人を、必要以上に構えさせている。
(昔の学校教師の文部省との組合闘争で、「教師は聖職か」論議が政治を巻き込んでなされたのと同じように、「カウンセラーは聖職か」みたいな論議が社会的にもなされるような事態は、やはり国家資格化の達成後なのかなあ?)
このことを、自戒の念を込めつつ、感じて、日々模索しています。
長文で失礼いたしました。
代表的な、カウンセラーの人格垂れ流しサイト(?)のオーナー、こういちろうです。どうかよろしく。
つくつくさんとピュアリーさんのやりとり、たいへん興味深く拝見しました。
村瀬嘉代子先生の著作を典型として、ご自身のパーソナルなものを、静かに感じさせてくださるようなメディアがあると、その臨床心理士に何をどう求めても大丈夫かについて、一般の皆様に安心して「値踏み」していただけるところがあるのは確かだと思います。
ただ、今日の「教科書的な」臨床家のあり方についてのドグマとして、「中立性」というものについての懸念がある人たちからは、そうしたことが許されるのは「すでに著名で実績ある、ひとにぎりのカウンセラーの先生方」ではないかという、妙な遠慮がある気がします。
私に言わせれば、それは、「中立性」という、一見もっともな「言い訳」をいいことにして、実のところは、日本的なタテ社会における、序列横並び意識の反映、要するに「人より先に出る釘になって打たれたくない」」という無意識の思い込みの悪循環という側面があるのではないかとも思います。
多くの臨床家は、この「主観的逆転移」の可能性について、大いに「自己分析」を重ねるか必要があるのではないか(^^;;;)
つくつくさんの提案された「総合サイト」を作ったら、今度は、そこで他の臨床家が何を書いているかばかりを気にして、結局盛り上がりにくいという、いかにも「日本的な」現象が生じそうで。
そういう点では、開業カウンセラーなら「こころ相談.com」だと、登録カウンセラーに、そうした、パーソナルなプレゼンスを含めてエッセイを、具体的なテーマについてもふってくれる形で、執筆してみることの誘いを定期的に、しかもかなり頻繁にかけてきてくれますので、そうした企画に積極的に乗ってみるということができます。
つまり、そうした、民間ベースでのウェブ活動に、当面期待をかけるのが無理がないかなと思っています(ほとんど我田引水ですが^^;)
なお、関連で、先日、短期療法の児島達美先生を講師とする集いに参加した時に配布されたパワーポイントファイルより、キャリアカウンセラーの渡辺三枝子先生との対談のを引用させていただきます:
渡辺:「カウンセラーというと、相談室で一対一で何かいい合い、静かで、他に人には理解できない特殊な雰囲気を作り出す人という印象があるため、一般企業で受け入れられないということを聞いたことがありますが、(中略)受容や共感的態度を倣っても、クライアントと会うと、相手が居心地が悪くなっているのにも気がつかず、相手が反しだすのをジィーッと待つという何か異常な雰囲気になってしまい、またその雰囲気にカウンセラー自身が酔ってしまうようなことも起こるようです」
児島:カウンセラー自身がなぜ酔うのか。それは、自分の理論を展開するためにクライアントに会っているようなところもあるからです。そういう場合、「君は自分の理論を展開するためにカウンセリングをしているのか」といいたくなります。こういうのを「理論的転移」と呼ぶのです。
(引用終わり)
ここではあくまでもEAP(産業保健活動)の脈絡でこの対談がなされているので、ここでいう「クライアント」というのは、いわゆる「クライエントさん」にとどまらず、企業の担当者などといった「カウンセラーに仕事を依頼する他業種の人たち」全般に拡大された形で、カウンセラーの天上天下唯我独尊的(ナルシスティック)で殿様商売じみたスタンスにチクリと警句を向けておられる点に注意するべきでしょう。
少しエントリーのテーマから広がってしまったかもしれませんが、最近の裕さんの「日本では、カウンセラーは未だ理念であって、職業ではない」という名言で語られたがごとく、日本ではまだまだ「はじめにカウンセラーとしての資格ありき」→「その資格を持ったカウンセラーの働き口をどうするか」という発想が強い割には、マスコミ報道みないな、ええかっこしいのスタンスを超えて、カウンセラーが実際にさまざまな現場でどのように活躍しているのか、身近な存在としてアピールするみたいな日常活動が、まだまだ少ない気がするのです。
凄く優秀なカウンセラーの話か、さもなければとんでもないカウンセラーについての陰口かに二分されるというsplitになっちゃってて、good enoughな市井のカウンセラーについての具体的なイメージを一般の人は形成しようもない。
現場のカウンセラーっていうのは、一般に知られるよりは、仕事の上でも遥かに、遥かに「泥臭い」存在なのだと思う。なのにそういう面は伝わらすに、後光を背負い、「聖職」であるかのようにまだまだ見られ、カウンセリングを受けてみたい人を、必要以上に構えさせている。
(昔の学校教師の文部省との組合闘争で、「教師は聖職か」論議が政治を巻き込んでなされたのと同じように、「カウンセラーは聖職か」みたいな論議が社会的にもなされるような事態は、やはり国家資格化の達成後なのかなあ?)
このことを、自戒の念を込めつつ、感じて、日々模索しています。
長文で失礼いたしました。
こういちろうさん、詳しいコメントどうもです。
「中立性」というのはよく理解できませんが、私のイメージする「総合サイト」なるものは、ブログのように頻繁に更新されるものというより、1回書いたら1年とかしばらくほっておいてすむようなものでよいのではと思います。したがって、個人個人の負担は極めて軽微だし、盛り上がる必要もなかろうと思います。コメントを受け付ける必要はないと思いますし、アクセスの方法さえわかれば本名も明示しないほうが良いかもしれません。重要なことは、個性が語られているということかと思います。「主観的逆転移」については教育分析をたっぷり受けていただいて解消していただきたいと思います。というか、そのようなおかしなこだわりのない方だけが参加すればよろしいのでしょう。
フォレストガンプのなかに詰め合わせチョコレートは、食べてみないと何がはいっているかわからない(人生もそのようなもの)という一節があったように思います、クライエントにとってのカウンセリングというものはこれでは困るというか、なにぶん高額な商品でありますので。
ps.「こころ相談.com」というサイトは知りませんでした。このようなサイトが既にあるのですねぇ。
「中立性」というのはよく理解できませんが、私のイメージする「総合サイト」なるものは、ブログのように頻繁に更新されるものというより、1回書いたら1年とかしばらくほっておいてすむようなものでよいのではと思います。したがって、個人個人の負担は極めて軽微だし、盛り上がる必要もなかろうと思います。コメントを受け付ける必要はないと思いますし、アクセスの方法さえわかれば本名も明示しないほうが良いかもしれません。重要なことは、個性が語られているということかと思います。「主観的逆転移」については教育分析をたっぷり受けていただいて解消していただきたいと思います。というか、そのようなおかしなこだわりのない方だけが参加すればよろしいのでしょう。
フォレストガンプのなかに詰め合わせチョコレートは、食べてみないと何がはいっているかわからない(人生もそのようなもの)という一節があったように思います、クライエントにとってのカウンセリングというものはこれでは困るというか、なにぶん高額な商品でありますので。
ps.「こころ相談.com」というサイトは知りませんでした。このようなサイトが既にあるのですねぇ。
>私のイメージする「総合サイト」なるものは、ブログのように頻繁に更新されるものというより、1回書いたら1年とかしばらくほっておいてすむようなものでよいのではと思います。したがって、個人個人の負担は極めて軽微だし、盛り上がる必要もなかろうと思います。コメントを受け付ける必要はないと思いますし、アクセスの方法さえわかれば本名も明示しないほうが良いかもしれません。
つくつくさんのこのアイデアはおもしろいですね。これだと、喜んで参加しようというカウンセラーの人は増えるでしょうね。
ただ、「中立性」についていいますと、カウンセラーとは、クライエントさんに一切先入観を与えない、「透明な投影スクリーン」のような存在(つまり、クライエントさんの「思い込み」をひたすら純粋に反映しやすい存在)であるべきと信じる人たちが、カウンセラーの中には結構いらっしゃるんです(^^;)
私自身は、そういう技法(つまり、「純粋な精神分析」)を受けたいという人でなければ(そういう技法を使いたいカウンセラーは、できるだけ正体を明かさないままを選ぶでしょう。もっとも、「自分は精神分析技法を厳格に行うつもりのセラピスト」という自己申告をしてくださるとありがたいかな)、要するにどんな事前情報や先入観があってもなくとも、人は出会う人との間で、思い込みと脱錯覚を繰り返して生きていく中で活路を開くことには変わりがないわけだから、カウンセラーの、少しくつろいだプロフィールを、いろいろと散策して眺めて廻れるようなサイトがあってもいいと思いますね(^^)
そして、それだけでも、世間のカウンサラーへの認識の、肩の力が抜けてくるかと。
つくつくさんのこのアイデアはおもしろいですね。これだと、喜んで参加しようというカウンセラーの人は増えるでしょうね。
ただ、「中立性」についていいますと、カウンセラーとは、クライエントさんに一切先入観を与えない、「透明な投影スクリーン」のような存在(つまり、クライエントさんの「思い込み」をひたすら純粋に反映しやすい存在)であるべきと信じる人たちが、カウンセラーの中には結構いらっしゃるんです(^^;)
私自身は、そういう技法(つまり、「純粋な精神分析」)を受けたいという人でなければ(そういう技法を使いたいカウンセラーは、できるだけ正体を明かさないままを選ぶでしょう。もっとも、「自分は精神分析技法を厳格に行うつもりのセラピスト」という自己申告をしてくださるとありがたいかな)、要するにどんな事前情報や先入観があってもなくとも、人は出会う人との間で、思い込みと脱錯覚を繰り返して生きていく中で活路を開くことには変わりがないわけだから、カウンセラーの、少しくつろいだプロフィールを、いろいろと散策して眺めて廻れるようなサイトがあってもいいと思いますね(^^)
そして、それだけでも、世間のカウンサラーへの認識の、肩の力が抜けてくるかと。
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