発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 集中講義・精神分析(上)(精神分析 臨床心理 心理療法)
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 クライン著作集を読むのに疲れて逃避するように読んだ本。その対比があるからか口語文でもあり、大変読みやすい反面、大変含蓄に溢れ、読めば読むほど味わい深いものである。本書は大学学部の講義録であり、上巻は前期分、フロイトが生まれて死ぬまでを網羅している。ちなみにまだ現在は出版されていないが、下巻ではフロイト以後のことが書かれているようである。また、最初の方で著者は「日本で最高水準を目指す」といったことを書いており、最後まで読むとその意味が大変良く分かることと思う。

 今までの精神分析の入門書やテキストは精神分析の様々な理論を並列的に並べて説明しているものが多いようである。しかし、本書では始めに精神分析は学問というよりも実践であるというコンセプトを明確に打ち出し、臨床の生のリアリティをそのまま伝えようと著者は常に意識していることがとてもヒシヒシと伝わってくる。しかし、精神分析は体験しなければ分からないという側面もあり、それを講義の中でどのように伝えたら良いのかに四苦八苦している著者の姿もまた見えるようである。このコンセプトが十分に達成できているのかは定かではないが、少なくとも僕には著者の臨床実践の片鱗をうかがうことができ、自分の実践と照らし合わせて再体験できたような感じもある。

 さらに、精神分析は文化的・社会的・歴史的な文脈から生まれ、個々人のパーソンナルなものが密接に絡み合っているのかが大変重要であるという視点から、フロイトの出生や生き方、パーソナリティを描いていくことにも本書は力を注いでいるようである。そのことによって、一つ一つの精神分析の理論や技法が単に知識として理解されるのではなく、体験として理解されるようになっている。著者は「歴史的な流れが重要」ということも書いており、その通りにフロイトの理論的変遷を時間順に追いかけていることもまた精神分析の理解を深みのあるものにするのに貢献しているように思う。

 精神分析の創始者はフロイトであるが、フロイトの理論を吸収しつつも、それをドグマとして鵜呑みにするのではなく、乗り越えてき、自分の精神分析を見つけていこうとする著者の姿はまさに精神分析家のありようがリアルに浮かび上がってきているように感じる。中でも「フロイトの後期はダメな臨床家であった」という文章もあり、思わずワクワクしながら読んでしまった。

 全体的に今までにないテキストの在り方をしており、知識ではない体験として、もしくは実践としての精神分析の片鱗に触れられる大変良い本であると思う。その為、この講義を実際に聞いていた上智大学の学部制を羨ましく思ってしまうのは仕方ないことだと思う。ただ、本書に書かれている精神分析の体験的な知というものを臨床実践なくしてどこまで理解できるのだろうか?という一抹の不安もまた同時にあるし、出てくる用語が少々難しい上、英語読みをしているところもあるので、これだけのレベルについていくことは大変なことであろうと思われる。また、関係ないことであるが、この講義の試験はどういう問題になっているのだろうか?それを僕が受けた場合、どれぐらいの得点になるのだろうか?など想像してしまうところもあった(笑)


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