発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 DBT=弁証法的行動療法を学ぶ(精神分析 臨床心理 心理療法)
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 リネハンの弁証法的行動療法(DBT)のテキストが昨年に2冊翻訳されたことにともなって、その導入・入門・道案内として特集が組まれたようである。

 DBTは日本では最近紹介され始めた新しい療法なので、知らない人もいるかもしれないので、簡単に説明すると、DBTは境界性パーソナリティ障害(BPD)の治療に特化した治療法である。行動療法に禅の思想を取り入れ、衝動性をコントロールしていくことを目的としている。そして、DBTは個人精神療法(週1回1時間)+グループ療法(週1回2時間半)+電話コンサルテーション(24時間対応)+治療者ミーティンググループ(週1回1時間半)の4つから成り立っている。

 この4つの構造を継続するには大変な時間と労力とお金がかかり、日本の現状ではこれをそのまま実施することはコスト的にも難しいと本書では繰り返し述べられていた。これは本当にその通りだと思う。P37ではDBTを医療保険で実施した場合の金額を算定しており、年間1人1,462,670円もかかると出ています。ただし医療保険自体はかなり低い金額なので、これでも赤字になるぐらいで、黒字にしようと思ったら2~3割増はしないといけないでしょう。

 米国ではチームアプローチが基本であり、病院のシステム上、このようなDBTの構造を導入してもスムーズに行くが、個人プレーが基本の日本ではDBTの構造をそのまま導入するのはかなり難しいようである。というかほぼ不可能で、現在のところ日本で標準的なDBTを行っているところは皆無のようである。少数ながらDBTを修正しながらやっているにすぎないよう。

 今、日本で標準的なDBTを低価格で提供できたら大流行かもしれない(笑)

 また、DBTは、行動療法の変容を促進させる介入と、今のままで良いと受容する介入の二つがあり、それは一見矛盾するようだが、弁証法的に統合していく中で治療が進むというのが基本的な考えのようである。しかし、結局、衝動をコントロールすることを目的においているのがDBTなので、変容する=good=治療という価値観が根底にあるのかなと思った。

 DBTは無作為割り当て比較試験(RCT)で効果が証明された治療法ということで、米国ではBPD治療のスタンダードになってきつつあると言う。これはあるところで聞いた伝聞であるが、研究のために集められたBPD患者はDBTを受けるだけの高い費用を捻出できる人に限られていたとか。高い費用が払えると言うことは、それが家族や周囲からのサポートであったとしても、それだけで病態水準が高いということである。本当に病態水準が低いドロドロのBPDは生活保護を受けていたりなど、収入を得られるものではない。さらに家族などのサポートもないから大変なのである。高い費用を捻出できる人を集めたということはそこですでにサンプルバイアスがかかっているということなのであろう。この点については詳しくは本書に載っていなかったので不明である。

 また、別の精神分析の先生が言っていたことであるが、「DBTでは確かに衝動性が抑えられるが幸福感が無い。精神分析がうまく行くと幸福感がある。」と。なんとなく分からないでもないが、精神分析をしているとそんなに幸福感が得られるのかどうかが今のところ疑問。知りたくないことを知ったり、自分の負の部分を突きつけられたりすることもあり、精神分析も結構大変で、辛い療法であるような気もする。直面したくないから防衛していたのに、その防衛を解釈し、直面したくないものを見ていくのが精神分析なのだから。自分を知っていくというのがある種の満足であるというのは分かるが。

 あと、DBTだけではなく、CBTなどで「治療がうまく行かないのは患者の努力不足などではなく、治療者の技法の選択ミスや技量の問題である」ということがよく言われる。これは確かにその通りであって、うまく行かないのを治療者が責任転嫁することを戒めているものである。これによって患者が必要以上に傷付いたり、放り出されたりしないというブレーキにはなっていると思う。しかし、ある意味では確かにそうなのだが、この格言の裏を返せば、「うまい治療をすれば、すべての患者を治せる」ということになる。これはどうなのだろう?僕もそんなにも臨床経験があるわけではないが、どうしようもない・手の打ちようがない・手が出せない・といった一群の患者もいるように思う。すべて治せるといった考えからは魔術的な万能感を感じてしまう。もちろん、「手が出せない」といった逆転移なのかもしれないが。

 しかし、本書で書かれていたDBTでの考えのいくつかは僕もすでに経験的に使っていたり、知っていたりしました。例えば、BPDの破壊的な行動というのは、悪意のある問題行動ではなくて、自分を守るため・人を守るための対処行動であり、そういう行動をできているというところを評価する、というところとか。精神分析でいうと自我の防衛機制がある意味ではきちんと働いていると理解できるところである。こういうところを精神分析などでは経験的に言われてきた事を、DBTではシステマティックにまとめあげているところが治療的な貢献なのだろうと思いますが。

 本書はDBTの入り口として読むには良い本であるが、これでDBTをマスターできるわけではもちろんない。さらに理解を進めるためには以下のリネハンの2冊の翻訳書を読んで見なければならないだろう。僕も時間があれば読んでみようと思う。

境界性パーソナリティ障害の弁証法的行動療法―DBTによるBPDの治療

マーシャ M.リネハン(著) 「境界性パーソナリティ障害の弁証法的行動療法―DBTによるBPDの治療」 誠信書房 2007年7月 9450円

弁証法的行動療法実践マニュアル―境界性パーソナリティ障害への新しいアプローチ

マーシャ M.リネハン(著) 「弁証法的行動療法実践マニュアル―境界性パーソナリティ障害への新しいアプローチ」金剛出版 2007年9月 4410円


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コメント
この記事へのコメント
一番下の本だけ読んだことがある。第三世代行動療法の中では、あまりインパクトの無い治療論の印象。SSTを「境界性パーソナリティ障害」に応用してみたら効果があった、と言うことだろうし、「弁証法的」と言えるほどの弁証法性もない。

ただ、「境界性パーソナリティ障害」を「うつ病のバリエーション」と捉えている視点が伺われて、それには好感が持てた。DSMで「境界性パーソナリティ障害」と付けられている診断は、本来の精神分析で行ってきたものと別物だし、実際「それまでとは全く別のグループ」と考えたほうが良いと思う。「うつ」に対して回避型のストレスコーピングを行っているために慢性化している状態。そう捉えて、「別のコーピングを学習してもらう」という姿勢は適切なものだと思う。

2008/03/03(月) 22:18 | URL | ぽっき # mQop/nM. [ 編集する]

ぽっきさんの指摘した、

>「鬱病のバリエーション」

>「うつ」に対して回避型のストレスコーピングを行っているために慢性化している状態。そう捉えて、「別のコーピングを学習してもらう」という姿勢

セーイチさんの、

>BPDの破壊的な行動というのは、悪意のある問題行動ではなくて、自分を守るため・人を守るための対処行動であり、そういう行動をできているというところを評価する

という発言を読むだけでも、どういうアプローチかについて多少あたりがつきました。

 特にセーイチさんのような観点、自分も、スーパービジョンでのバイジーへの示唆や、面接でクライエントさんに理解を示すために、いつの間にか細かく配慮していた事柄のように感じました。

 もう少しエンゲル係数が下がったら(^^;)、読んでみたい本です(^^)

 セーイチさんの「高い治療費を払える群」へとサンプルバイアスがかかっていないかという示唆はたいへん興味深いですね。

 実は、料金を長期間払い続ける「動機づけの維持」だけで、特に日本のように、心理療法への保険適用がお寒い現状では、そのままで流行る土壌そのものが今は基本的に欠けているかと思います。

 料金を払い続ける「効力感」をクライエントさんに維持するためには、単に窮屈になり、辛い思いを重ねるだけではないというあたりをリフレーミングして受け止めてもらえるための小さな配慮の一言を山のように小出しにして関係性を安定的に維持する必要があること。

 ここしばらくやっとそれが身につき始めました。


【追記】
 私の場合、新たな行動パターンの小さなステップを、「宿題」として「提案」する際に、それを実施したらどういう点で「得」かとか、どういう点で「楽になる」かとかを、悪循環のパターンと改善後の状況について、具体的に「想像の中で『比較』体験してもらう」イメージシミュレーションをして実感してもらうことが多いかな。

 これは、私なりに理解した応用行動分析(ABA)に、成功時のイメージ体験をしてもらうフォーカシング指向心理療法のブレンドをしたらどううだろう? ...というあたりにヒントがありました。

フォーカシングの既成の技法で言えば、
「夢フォーカシング」の、

「夢の続きを想像して体感してもらう」

という提案(質問)のアレンジ、と申し上げると、フォーカシング関係者にはピンときていただけるかもしれませんね(^^)

 山上敏子先生の行動療法(暴露反応妨害法)の影響もありますね。
2008/03/03(月) 23:01 | URL | こういちろう # BXy/Vbyc [ 編集する]

ぽっきさんの「あまりインパクトのない治療論の印象」には少し笑ってしまいました(笑)。

本書では「画期的!」と盛んに言っていたこととの温度差を感じてしまって(^-^;A

DBTの効果は横においといて、何かの新しい技術・技法にすぐに飛びつくことってどうなのかなって思ったりすることも最近あります。

新しいもの自体が悪いということではないですけど、なんだか今まで自分でやってきたことを必要以上に否定してしまってるようにも思います。また、境界例の人ときちんと向いあっているのに、新しい技法というものにエネルギーを向け変えてしまうことになり、結果的に治療者が境界例の人と向かい合うことから回避しているようにも思ったり。

そういう点では、技法も技術も何も持たずに患者と向かい合おうとしたロジャースはスゴイって思う(ロジャースが境界例治療をしたかどうかは分からないけど)。
2008/03/06(木) 15:37 | URL | ピュアリー # 6fwIY24o [ 編集する]

ロジャーズが転移性恋愛に陥った、恐らく境界例水準の女性クライエントに対処しかねて、夫人とともに夜逃げした話は、ロージェンリアンには結構有名です(^^)

 でも、国際紛争の最中にある住民同士のエンカウンタークループにすら挑戦していたということは、少なくとも晩年のロジャーズは相当に逆転移に強かった、あるいは転移・逆転移を最初から回避できる関係性に熟達していたのかもしれませんね。

>何かの新しい技術・技法にすぐに飛びつくことってどうなのかなって思ったりすることも最近あります。

このことには賛成!!

私がフォーカシングの技法の新たなバリエーションをあっさり取り入れたり、自分でどんどん即席で考案し続けるのは、フォーカシングのベースラインは実はこのへん、ということを私なりに押さえているつもりなので、「新鮮に感じない」ためともいえます。

ホールボディ・フォーカシングにしても、言葉だけではなくて、身体の動きや「姿勢」そのものが「象徴化」の一例であることを示唆する発言は、「人格変化の一理論(1968)」にすでに観られますし、20年前のジェンドリンの2回目の来日の時に、目の前で、「あなたのフェルトセンスにぴったりのポーズを見つけましょう」というワークをすでに体験したので、実は全然「新しくない」(爆)

 「フォーカシング指向心理療法」の下巻さえ読めば、行動療法や認知行動療法的に生かすアプローチは具体的にすでに書いてあるので、「ABA応用行動分析」も、「山上行動療法」も、私にとっては「どこかで読んだようなこと」をホントに実践していた現場の達人との出逢いでしかない。

 そういう意味では、恐怖の「フォーカシング中華思想」なんですよね。私はある意味で。

 でもそれができるのは、ジェンドリンの技法を形だけ必死に身につけることに、端から関心がなかったからです。

 もちろん、特にトレーナ資格を取ろうとまで志す人は、技法の「型」をしっかり身につけるために、マニュアルと必死で格闘することは大事です。

(こういう矛盾した発言をしないとバランス取れない)

 お望みとあらば、ジェンドリンの技法の公式そのまんま、アン・ワイザーの技法の公式そのまんまで、トレーニングの成果を上げる自信が今ではありますし(^^)
2008/03/06(木) 18:53 | URL | こういちろう # BXy/Vbyc [ 編集する]

ああ、第三世代に対しては、機能分析やACTにはインパクトを受けてます。DBTには、何も感じないなあ。意外性がなかった。

こういちろうさんと同意見で、心理療法に「新たなもの」はないと思ってます。ただ、すでに僕が身につけている「常識」で読んでしまうから、フロイトにしてもロジャーズにしても「見落としてしまう部分」が出てしまう。「分かった」と思うことは、単に僕自身の「常識の枠内」に収まった、ってだけにしか過ぎないからね。「常識」の外にある部分は、読み落としてしまっている。

「新しい技法」というのは、そういう「読み落とし」についての感受性を上げてくれるものが「新しい」のだと思ってます。そういう意味でも、同じ「常識」を共有していない人たちからのメッセージは「新しい刺激」になります。「常識」は共有してなくても、心理療法という「体験」は共有してるから、いろいろ気づかされます。

2008/03/07(金) 00:11 | URL | ぽっき # mQop/nM. [ 編集する]

そうですね。自分の常識で新しいものを「要するにこういうこと」と先回りして決め付けてしまうのはよくない。

このことは常に自戒していきたいと思っています。

しかし、同時に、「新しい」というだけで「そこまで手を伸ばすのは億劫」というふうになってしまうのはどうかと。

教科書的に解説されると、「違い」の方が浮き彫りになるけど、臨床の実際を知ると、意外と自分がこれまで積み上げてきたものとか学んできたものとの接点があっさり見つかる可能性は期待していい。

いつも書きますけど、山上敏子先生の行動療法を、ロジャーズ派系の臨床家の皆さんが「発見」していく過程は、まさにそうした意味で「先入観」なく、己れの臨床と引き比べる姿勢の中で生じたことだと思います。

 もとより、その出逢いには「何か」新鮮なものとか、従来の理解をより厳密なものとして丁寧に見直すことなどが同時に生じるべきなのは言うまでもないでしょう。
2008/03/07(金) 04:35 | URL | こういちろう # BXy/Vbyc [ 編集する]

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