発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 転移性恋愛について(精神分析 臨床心理 心理療法)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

 フロイトの1915年の「転移性恋愛について」という論文の要約と感想と考察。昨年のある研究会で発表したレジュメを少し改編したものです。

(1)前半部分の要約
 「転移性恋愛は抵抗であるので、解釈によって対応しなければならない」ということに集約される。

(2)恋愛の帰結
 患者が分析家に対して恋をした時、以下の3つの結果が考えられる。

A、結婚する。
B、分析治療が中断する。
C、一時的な恋愛関係になる。

 なお、Bの場合には、中断後に他の分析家のところに行っても同様のことを繰り返すことになると予想される。
 また患者が分析家に恋心を抱くのは、何も分析家の人格が優秀だからということではなく、単に状況がそうであるからということにすぎない。

(3)恋愛感情を無くす為に
 これらの恋愛感情を無くす為に分析治療以外の治療をしたとしても、恋愛感情に込められたリビドーが無くなるわけではないし、曖昧なままに残されるだけなので、無意味である。

(4)恋愛感情が起こるとどうなるか
 患者が分析家に恋愛感情を持つと、恋愛以外のことを話さなくなるし、恋愛に応えてくれることを第一の目的としてしまう。その為、分析治療が滞ってしまう。
 しかし、分析治療が滞ってしまうのは抵抗の表れだとすると、恋愛感情を持つこと自体が抵抗なのだと理解することができる
 もしくは、抵抗が恋愛感情を利用していると言い換えることもできる。

(5)恋愛感情のまずい扱い方
 「恋愛感情を捨てて治療に専念しなさい」と説明することも可能だが、あまり意味はない。SEXはせずに、感情のみ応えるという方法もあるが、これも良い方法とは言えない。それは真実を否認することになるし、そこまで自己コントロールできるものではないから。また「禁欲原則」を破ると、その満足ばかりに目が行ってしまい、分析治療の目標である洞察が達成されなくなる。

 では、どうすれば良いか?

(6)恋愛感情のうまい扱い方
 恋愛感情は幼児期の体験や感情の反復である。なので、恋愛感情を転移と抵抗の文脈という非現実的なものとして理解し、無意識的な起源にさかのぼって、隠蔽された記憶を想起させていかねばならない。これは恋愛感情を否定するものでも肯定するものでもなく、無意識へと至る道筋をあきらかにしてくれるものである。

 ここまでが前半部分

(7)いったい恋愛とは何なのか?
 しかし、抵抗が恋愛を利用しているだけであって、抵抗が恋愛を作っているのではない。また、通常の恋愛であっても、それは幼児期の対象関係の繰り返しなので、それ自体が病的というのはどうなのだろうか。

 だとすると、一般の恋愛と転移性の恋愛との違いは何だろうか?

(8)転移性の恋愛の3つの特徴
 転移性恋愛・抵抗性恋愛は分析治療の中で表れるが、だからといってそれが「真実の愛ではない」と結論することはできない。それは社会性の欠けた恋愛など現実生活の中にでも結構見られることからも明らか。それでも以下の3つの特徴がある。

A、分析治療の中で生成される
B、抵抗によって強められる。
C、社会性が欠けている。

(9)分析家の取るべき態度
 上のAで書いたように、恋愛感情は分析状況に反応して起こっていることなので、分析家の個人的な欲望のために利用してはいけない。また、恋愛感情を分析的に取り扱うことによって、治癒した後は、その恋愛に関するエネルギーを日常生活できちんと使えるように患者はなっていく。だから、その時にエネルギーを使えるように、分析治療の中で浪費させてはいけない。

 分析治療をする以上、快感原則を克服し、無意識を意識化し、精神的な自由を得るように患者を援助しなければならない。そのためには例えどんな誘惑であったとしても拒否しなければならない。

(10)フロイトの決意
 転移性恋愛は非常に扱いが難しく、危険なものである。しかし、危険だからといって扱わずに神経症の分析治療が出来るほど甘いものではない。危険はあったとしても敢えて治療の中で扱っていくことが必要である。

(11)感想と考察
A、転移性恋愛を向けてくる患者の描写がリアルに感じられたので、もしかしたらフロイトが今まで体験したことから学んだことや考えたことをそのまま書いているのだろうと思った。前半は治療者・臨床家としてのフロイトの取り澄ました顔を感じ、後半は人間フロイトの個人的な恋愛観を感じた。それとともに、偽者ではない真実を探し、見つめ、都合の悪いことからも目を逸らさないようにした誠実なフロイト像が垣間見れた。このようなところについてみなさんは何か連想することなどあるでしょうか?

B、フロイトは父親との葛藤を中心に理論化したが、それはフロイト自身が父親と大きな葛藤を抱えていたことが関係していると思われる。反面、母親については「母子関係は大事」というぐらいの認識しか持っておらず、母親との関係は変に理想化したままに留まっていると思われる。これはフロイトが母親との間で葛藤を抑圧・否認していると言える。そして、フロイトは恋人マルタにゾッコンで、これもかなり理想化した関係と思われる。恋愛なんてそんなものだとも言えなくもないが、フロイトはマルタに母親を投影していたのかもしれない。このようにフロイトは「相手に求める」ことを基本とした人で、「相手に求められる」ことが苦手なのかもしれない。だから、精神分析治療の中で女性から恋愛を求められた時に辟易し、それがこの論文にまで昇華されたのかもしれない。というのが僕の解釈ですが、みなさんはどう思われますか?

C、3年前に私は様々な身体症状を呈するヒステリーの女性との心理療法を経験した。

<守秘義務のためケース内容については削除>

この「転移性恋愛について」の論文を読んでいるとこのケースのことを常に思い出してしまいます。この短いケース報告からですが、何か連想など沸いたことなどがあれば教えてもらえたらと思います。


関連記事
コメント
この記事へのコメント
セーイチさん、どうも。
(補足)の部分は、研究会でのパーソナルな意見なので、ネットで公開しない方が良いと思うけど。許可はとったのかな??(誰に許可をとるのかは分からんけど(笑))。
2008/02/24(日) 08:52 | URL | のん # - [ 編集する]

ギリシアの都市構造は、公的な活動を行うための広場(polis)と、私生活を営むための住宅街(oikos)と、遊女や男娼と遊びごとをする聖域(ethos)の3つの区画に分かれている。それぞれが知の体系となると、politics(政治学)・economics(経済学)・ethics(倫理学)に分化していく。昔、大学の授業でそんなことを習いました。

井上章一の『美人論』であるように、日本では明治になってから「恋愛結婚」という概念が南蛮から輸入され、広まり出すんですよね。それまでの結婚は「健康で働き者の嫁」を娶ることに意味があり、色恋沙汰は遊郭で済ませる機能分化があった。oikosとethosが「家庭」という1つの場所に集約され出すのが「近代」だろうと思います。そしてpublicとprivateという二極化が起こり、「家族は愛によって結びついている」という幻想が共有される。

心理療法は、privateを再び、oikosとethosの2つに分け直すことになってるんじゃないかと思う。家庭内(private)のこととは言え、それを家庭内で話し合えないとき、もちろん公的な場(public)に持ち出す話でもないので、「公」にも「私」にも属さない空間として「カウンセリングルーム」が立ち現れることになる。するとそこに、昔「遊郭」が担っていた機能が出てくる。心理療法が「恋愛」「遊び」「宗教性」を合わせ持つ場となるのは、そのためのように僕は考えてます。

2008/02/24(日) 11:10 | URL | ぽっき # mQop/nM. [ 編集する]

>ぽっきさん
「家族は愛によって結びついている」という幻想

家族は生活によって結びついているのでしょうね。
でも「家族の愛」というものはあると思う。

>古い対象関係の反復としての恋愛
「それ」に気づいてもなお、共に生きることを選ぶ関係が「愛」だと思いたいなぁ。
「それ」に気づいてしまうと、幻滅もするだろうけれど、それを差し引いても残るものがある。
むしろ、この人となら古い対象関係を克服していけるかもしれない、という相手に出会って結婚する人もいるんじゃないかなぁ。
2008/02/24(日) 12:22 | URL | 一休 # mQop/nM. [ 編集する]

皆様、おはこんにちは((^^;)

 さすがに昨晩あれだけ「飛ばす」と、こんな時間に初書き込みになります(でも、mixiを含めた最後の書き込み時間から想定すると、全く健全な睡眠時間とわかるはず)。

 でも、さすがに今日は、「通信教育講座」の原稿を一気に前に進めて、執筆活動からの「行動化」を止めたいので、前もって、今日のうちにはこの後書き込まないことを宣言します!!

 禁欲原則を自分に押し付ける「構造化」をするわけですね(^^)

 昨晩あれだけ書いたので、今日はここで書かないフラストレーションが悪影響することはないでしょう。

 それでも、舞台から姿を隠す前に、少しだけ話題提供

******


>セーイチさん、ぽっきさん


何のかのといって、やはりぽっきさんの書くことは、この場を「ありきたりな」精神分析の語りの場にしないための布石が見事です(^^)。

そもそも「転移性恋愛」と「そうでない恋愛」の違いを決定付けているのは、実はその人が「分析」を受けている「最中」か、「そうではない」かという違いだけなんですね(^^;)
 
 つまり、分析状況という「構造」からのアクティングアウト(あるいはアクティング・イン)であるか、その構造がないかという違いであるに過ぎない。

 この点はセーイチさんも見事に伏線を張っておられます。

****

 つまり、いわゆる「ロマンチック・ラブ」というのは、すべて「文化的に許容された」転移と妄想の状態である、という逆説をどこかで意識しておかないと、『転移でない、健全な恋愛』という、無意味な絵に描いた理想状態を暗々裏に設定してしまうことになります。

 分析を極限まで押し進めたら早い話、アナリザント自身、、日常の中での恋愛関係が、すべて幻想として感じられ、現実に崩壊してしまう危険を冒すことになります。

 それを崩壊させてしまうと、今度は、フロイトという「原父」が、アナリザントと異性愛、あるいは同性愛の対象として、これまた幻想的に立ち現れるエディプス状況が生じるにとどまる危険がある。

 ....あとは、そもそもロマンチック・ラブについての文化的・社会的・歴史的薀蓄は、ぽっきさんが縦横に「つっこみ」ふるってくれそうなので、
わたしはお任せして舞台から一日姿を隠します(^^)
 

 
2008/02/24(日) 12:56 | URL | こういちろう # BXy/Vbyc [ 編集する]

転移性恋愛でも「恋」ですし、やはり辛いだろうな。
でもそれを上手く扱うのがプロとしての腕の見せ所なんでしょうね。
それによって(我慢してこそ)人間としての魅力や深みも増す、、のかも知れない。
でもユングとかは、、、(略)

>「家族は愛によって結びついている」という幻想が共有される。

う~、家族愛って何だろう( ̄_ ̄|||)
幻想なのかな?やっぱり。
ガク。
アメリカ人なんて「家族愛!」を連呼しているけど、そんな風に脅迫的に常日頃から口にしていないとすぐに崩壊しちゃうからかな(偏見)。

あぁ、愛ってなんだろう。。。
2008/02/24(日) 13:43 | URL | ゆみっちょん♪ # I.K6Pi7I [ 編集する]

> 家族は生活によって結びついているのでしょうね。

もちろん、僕の家は「愛」で結びついてます(笑。
でも、そのことを「前提」としてしまうと、他の家庭に乗り込んで「親は子どもを愛するものです」とか言い出す「お節介な人」がいるからなあ。「家庭なんて、生計を共にする所帯に過ぎない」という「経済(oikos)」の原義を前提として、「でも、愛があると良いね」というあたりにしておきたい。「愛」は前提や目的ではなく、プロセスの中で自然と帯びて来る「幸運」なのだと思う。

> 「ありきたりな」精神分析

えー? 僕の精神分析は「正統派」だと思ってますよ。ほら、「愛することと働くこと」。実践してます(笑。

で、近代は「愛することと働くこと」が「家庭と職場の往復」に形骸化してしまっている。でも、どちらにも属さない第3領域もあり、それがethicsで、まずは「面接室」で始まるにしても、やがてはその機能を「チームメイト」や「飲み友だち」が担ってくれて、セラピストは御役御免になるのだと思ってます。第3領域を、インターネットで費やしてはもったいない(自戒。

2008/02/24(日) 13:55 | URL | ぽっき # mQop/nM. [ 編集する]

じゃあ僕の家も「愛」で結びついていることにしておきます(汗)

>「愛」は前提や目的ではなく、プロセスの中で自然と帯びて来る
ですね。そのプロセスの積み重ねが「生活」だと思っています。
2008/02/24(日) 14:09 | URL | 一休 # mQop/nM. [ 編集する]

「愛で結びついた家庭」ですか。
いいな~。見習わなくては(悩)。
ラブラブで結婚したのに(p´□`q)゜o。。
2008/02/24(日) 14:31 | URL | ゆみっちょん♪ # I.K6Pi7I [ 編集する]

愛なあ、
あーいーなー。
2008/02/24(日) 21:52 | URL | 重元 # qgv1q6Fs [ 編集する]

Σ重元さんまで!
2008/02/24(日) 22:24 | URL | ゆみっちょん♪ # I.K6Pi7I [ 編集する]

愛と恋の違いについて。
愛は幅広い一般的な言葉であり、恋はそこに含まれる。
そして恋愛というと、どちらかというと恋の方に近い概念のようだ。
ここまでは、常識的なところ。

しかし、恋というのはどうやら愛の一形態ではなく、むしろ恋は愛と対立するところがある。
特に、恋愛は家族愛と対立しがちである。

フロイトは禁欲的な文化的性道徳を支持する勢力のひとつとして家族愛をあげた。
つまり、家族愛は不倫とかに当然異を唱えるのであるが。
不倫だけではなく、お宅のお嬢さんや息子さんがする恋愛についても、本当は親は異を唱えたくなるでしょう。

つまり、恋というのは、「みんな仲良く」の全体的な愛に背を向けて、二人だけでつっぱしるみたいなところがあって、それでこそ燃え上がったりする。
みんなから祝福されない方が、かえって激しくなるのですね。
「タイタニック」にしても「冬のソナタ」にしても(こんな例しか浮かびませんが)、そうじゃないですか。
2008/02/24(日) 22:40 | URL | 重元 # qgv1q6Fs [ 編集する]

最も純粋な恋の形は駆け落ちであり、その結末は心中に終わるかもしれない。
つまり、恋は全体性を大事にする集団に対する反抗なんですね。
「フィガロの結婚」が王様の処女権に対するレジスタンスの物語だったように。
恋愛がある時代から出てきたものだというのは、自由とか人権を求める社会の歴史的運動とも関わりがあるのではないでしょうか。
2008/02/24(日) 22:56 | URL | 重元 # qgv1q6Fs [ 編集する]

そうですね。ちょっと浅はかだったと思うので、削除しました。ごめんなさい。
2008/02/24(日) 23:46 | URL | ピュアリー # 6fwIY24o [ 編集する]

重元さん、とても分りやすいお話ありがとうございます。
いつまでも夫婦ラブラブでいられたらこんなに嬉しいことは無いけれど、いつまでも恋愛気分ではいられないですもんね。子どもが生まれたりしたら特に。
それでも、いつまでもラブラブなご家庭もあるのでしょうけれど。
「家族愛」って、なんだかあまりイメージが湧かないな。。。
「恋愛」だったら実感が湧くのですけどね~。

2008/02/25(月) 01:46 | URL | ゆみっちょん♪ # I.K6Pi7I [ 編集する]

「愛」については、前もどこかで言った覚えがあるのですが、全てのことが「エースをねらえ」に書かれています。これに太刀打ちできる思想は他になく、敢えて付け足すことも何もなし。

その中でも宗方コーチが藤堂先輩に言った「相手の成長を妨げるような愛し方はするな」は、「愛」の神髄を語る言葉として右に出るものはないでしょう。「恋愛」であれ「家族愛」であれ、相手の成長を妨げるなら、それは「愛」ではない。噛めば噛むほど味わいの出てくるスルメのような名言です。

また、病床にある宗方コーチが人生を振り返りながらつぶやく「愛している、愛している、愛している」の「愛の三段活用」は、「愛」がいかに深まっていくかの端的な表現と見ることが出来ます。「恋愛」というのは、その最初の「愛している」に過ぎない。死の別れを目前にして気づく「3段目の愛」こそが、「愛」の到達する最終境地を反映している。ということは、「結婚」というのも、何度も心理的に「結婚」を重ねるのでしょう。同じ人と、3度絆を築き、その関係を深めていくのだろうと思います。もちろん僕は、まだ死んでないから「3段目」は分からないけど(笑。

2008/02/25(月) 17:55 | URL | ぽっき # mQop/nM. [ 編集する]

「相手の成長を妨げるような愛し方はするな」かぁ。
本当に本当にそうですよね。

>死の別れを目前にして気づく「3段目の愛」こそが、「愛」の到達する最終境地を反映している。

教えて下ってありがとうございます。わたしもぽっきお兄さんを見習って頑張りますね。
なんか、泣いてしまいました。

「エースをねらえ」、今度読んでみたいと思います。
2008/02/25(月) 18:16 | URL | ゆみっちょん♪ # I.K6Pi7I [ 編集する]

 私もぼっきさんがこの言葉を別の箇所で書かれたことの記憶だけはあります(^^)

「相手の成長を妨げるような愛し方はするな」

 ほんとうに、心理学書の難しい理屈より何より、ここまで端的な言葉があるでしょうか?

 以上、原作も、アニメの「旧エース」、「新エース」、「エース2」も好きなこういちろうより。


【追記】 思わず拾い集めて来ちゃった。

http://jp.youtube.com/watch?v=kpXzvIWIMHc

http://jp.youtube.com/watch?v=1EshicyUGXM

http://jp.youtube.com/watch?v=Lyt05Mkofx0

http://jp.youtube.com/watch?v=lrdq9ah6BZs

http://jp.youtube.com/watch?v=GEMzzWQyxbY

私、実は上戸彩のだけ、曲しか知らないんです(^^)
2008/02/25(月) 18:37 | URL | こういちろう # BXy/Vbyc [ 編集する]

エースをねらえのベストソングはこれ。
http://jp.youtube.com/watch?v=I-9jjry7u_0

当然、上戸彩のドラマ版も見ました。内野聖陽の宗方コーチは、まさに宗方コーチそのもの。何度涙したことか! ああ、蜘蛛の巣柄の浴衣まで着て(号泣)。

でも一番は映画版で、「岡か? オレはいつでも、お前のことを考えている」の臭いやり取りが好きです!!

ゆみっちょん♪さんへ

文庫サイズの漫画版が出てるから、古本屋さんで探すんだよー。

2008/02/25(月) 20:30 | URL | ぽっき # mQop/nM. [ 編集する]

こういちろうさんへ

Youtubeに動画があるんですね。
リンク先、見てみます。

ぽっきお兄さんへ

はーい、近所に何件も古本屋さんがあるので、探しに行ってみますねd(o‘∀’o)b
2008/02/25(月) 20:42 | URL | ゆみっちょん♪ # I.K6Pi7I [ 編集する]

ぽっきさんのために、「隙」を残しておいてあげたんだぜ!!(^^)

 私は、これらの歴代OP.EDがみんな収録された「LPレコード」を所有している!!

 いかにもぽっきさん、この「旧エース」のED好きそうだし(^^)

 「劇場版」の「あの」シーンは確かにすんごい名作ですね。

 でも今時あんなことしたら、電話ストーカーと言わないまでも、即日宗方コーチの寝込みを襲う「行動化」をひろみに触発するかも(爆)
2008/02/25(月) 21:57 | URL | こういちろう # BXy/Vbyc [ 編集する]

これも付け加えずにはいられません(^^)

「トップをねらえ!!」(Gunbuster)OP
http://jp.youtube.com/watch?v=e5_bqv17g9c

全巻「レーザーディスクで」所有どころか、劇場公開初日に庵野監督の舞台挨拶も拝んでいる(^^)

http://www.asahi-net.or.jp/~tn7k-asg/gunbuster56.htm
(「アニメージュ」に掲載された投稿)

2008/02/25(月) 22:16 | URL | こういちろう # BXy/Vbyc [ 編集する]

今晩は、「岡ひろみ」への「宗方コーチ」張り合い競争になってたりして(爆)
2008/02/25(月) 22:26 | URL | こういちろう # BXy/Vbyc [ 編集する]

ぽっきお兄ちゃんってマック使いでしょ?
マックでもYoutubeってみれるんだっけ。
EDの曲、確かにいいですね。
鳥さんを肩に乗せているところが、無類の鳥好きにはたまりまへん。
「サインペン」で書いたのかな、この画像は(笑)。あ、違うか。。。

こういちろうさん、「アニメージュ」に投稿が掲載されたんですか?すごいなぁ(o^∇^o)

それにしても皆さん、お詳しいですね~。
知識の幅が広くて尊敬してしまいます。
2008/02/25(月) 23:00 | URL | ゆみっちょん♪ # I.K6Pi7I [ 編集する]

> こういちろうさん、「アニメージュ」に投稿が掲載されたんですか?すごいなぁ(o^∇^o)

 以前書きませんでしたっけ? 私は実名で(!)一時期「アニメージュ」誌と「OUT」誌を席巻した投稿魔でっす(^^)

 おかげで「アニメージュ」で「読者代表」対談をして、グラビア2ページ見開きで掲載されてます。

 「となりのトトロ」、押井守さんの「劇場版パトレイバー」についての、「アニメージュ」読者投稿掲載の最初の人物が私だったりして(^^)

 東京・埼玉幼女連続誘拐殺人事件容疑者M逮捕のその日、2ページぶち抜きで彼の「おたく部屋」の写真が新聞各紙の夕刊に踊ったその晩、つまり、アニメおたくがマスコミで糾弾され出したその日の晩に、そうしたマスコミの扱いに激嵩して、朝日新聞「声」欄に、「これをきっかけにアニメファン差別が生じるのを危惧する」と「現役カウンセラーにして現役バリバリアニメファン」とカミングアウトして投稿する蛮勇をふるい、実際に掲載された人間でもあります。

 こうして、歴史のいろんな舞台にさりげなく足跡をしるしていることが記録から検証できる、ささやかな「フォレスト・ガンプ」人生なのである(^^;)
2008/02/25(月) 23:28 | URL | こういちろう # BXy/Vbyc [ 編集する]

そうだったんですか~(*´▽`*)
なんか、ドラマチックな人生ですね。
イラストとかも描かれていたんですか?

>アニメおたくがマスコミで糾弾され出したその日の晩に

う~ん。。。黙っては居られないでしょうね。
2008/02/25(月) 23:46 | URL | ゆみっちょん♪ # I.K6Pi7I [ 編集する]

「トップをねらえ」のコーチの名前が「コウイチロウ」だったなんて、今初めて知った・・・。

> ぽっきお兄ちゃんってマック使いでしょ?

マック「だけ」使ってるわけじゃないですよ。YouTubeはマックでも見れますし、Linuxでも大丈夫。あれはもともと、Flashを使って再生してますから。

> アニメおたく

一定世代以上の人間にとっては、「TV漫画を見ること」が「日本全国の同世代と共通の話題を持てること」の等式が成立してたんですよね。ある意味「価値観の並列化」が行われていて、それが同胞意識を育ててきたように思います。それは「ザ・ベストテン」で歌を覚え「8時だよ!全員集合」でギャグを覚えることと、何も変わらなかった。

たぶん、宮崎勤事件あたりから、そうした「世代の連帯感」が崩れ出してたんじゃないかな。リアルタイムに試聴しなくても済む「ビデオ」の普及が大きかったのかも知れないし、「学習塾」の一般化によってゴールデンアワーに子どもが家にいなくなったこともあるのでしょう。「共通の話題」というものが無くなりつつある状況をマスコミは冷静に分析できずに、ただ「不安」として感知して「おたく」という呼称に飛びついたように思います。「互いに互いが分かり合えない時代の到来」に対する不気味さ。それは個人に還元できるものではなく、価値観の多様化でもない。もともと「個人」は一元化できないところを、学校とマスコミによる「共通の情報」によって見かけの画一化をしていたに過ぎない。

子どもたちが携帯ブログを自分たちで開いていることに対して、今の大人が感じている不安も同種のものでしょう。「情報を制御すること」が可能だと信じている浅はかさを感じます。

2008/02/26(火) 00:23 | URL | ぽっき # mQop/nM. [ 編集する]

なるほどな~って思いました。

だとすると、フロイトが原則的に患者の恋愛に答えないとしていたこともうなづけます。答えたとしてもそこには「成長」がないから。


>「おたく」という呼称

についても、そこに「愛」を感じない(笑)・・・ということはおいといて。

分かり合えないということの象徴としての命名があるのかなと。同じように「病名」とか、心理学的な評価も似たようなところがあるかも。呼称を与えることで、一見分かったようなところがあるけど、そこで分からない「何か」を見ないようにしてしまっているとも。

まー、それで分からないものに対する感受性を失わなければ良いのかとも思うけど(^^ゞ
2008/02/26(火) 11:10 | URL | ピュアリー # 6fwIY24o [ 編集する]

「時間を無駄にしてはいかん......」
「岡には、女を超えてもらう!」
「...................岡だな?」(電話に出て)
「岡が本当に心の支えが必要となったとき。あらためてかけてやってくれ。」(藤堂への遺言)
「母さん、電話だ....岡のやつが、またかけてきたよ......」(最期の言葉)

....ちなみに、これらの多く、原作にはないセリフだったりする(^^;)
2008/02/26(火) 11:18 | URL | こういちろう # BXy/Vbyc [ 編集する]

>ゆみっちょん♪さん

>イラストとかも描かれていたんですか?

 イラスト描けないから、文章投稿だったんですよ(^^)

 でも、そうした投稿でボツを食らう中で鍛えられたことが、今日の私の文章表現力の基礎なんです。

 もの凄く速書きで、多くの人に衝撃を与える(爆)文章を一気にまとまった文で効果的に仕上げる力とか。

 私の文章力を鍛えてくれたのは、アニメ雑誌の編集者さんなんですね(^^)


 詳しくは、私のサイトの「アニメ論集成」へ。

http://www.asahi-net.or.jp/~tn7k-asg/chiichan-animeron-index1.htm

ごく一部ですが、実際に掲載された投稿と、ボツ投稿が読めます(^^)



2008/02/26(火) 11:28 | URL | こういちろう # BXy/Vbyc [ 編集する]

ぽっきおにいさんへ

>「トップをねらえ」のコーチの名前が「コウイチロウ」

あはは、笑いました(笑)。

>YouTubeはマックでも見れますし、Linuxでも大丈夫。あれはもともと、Flashを使って再生してますから。

ブラザーは、コンピューターにもついてもお詳しいのですね( ☣ฺ_ゝ☣ฺ)♡
うちのiマックでは見れなかったのだけど、システムが古いのかしら。

セーイチさんへ

>分かり合えないということの象徴としての命名があるのかなと。

そっか~、なんでも言語化するのが良いって訳でもないんですね。とりあえずは、安心できるような気がするけれど。
分らないものを分らないままにしておくのって、凄くエネルギーが要ることなのかも。

こういちろうさんへ

> 詳しくは、私のサイトの「アニメ論集成」へ。

面白そう。
後でゆっくりと読ませて頂こうと思い、ブックマークしました(*^-°)v
2008/02/26(火) 14:22 | URL | ゆみっちょん♪ # I.K6Pi7I [ 編集する]

テレビなんかを見ていると
一次情報がほとんどないのに
事件の物語を作ろうとしている

「こころの闇」
私が一番嫌いな言葉です
その背景に「私たちは正常だけど」というニュアンスを感じるから
(これ私の転移?)

私たち心理系の人間の責任も大きいと思ってます。
あまりにも言葉を駆使しすぎてるから。自戒も込めて。
2008/02/26(火) 19:16 | URL | 一休 # mQop/nM. [ 編集する]

ほんとうに、「こころの闇」とか、「人心が荒れ果ててしまった」式のマスコミの表現は、またかと思ってしまいます。

 前のエントリーで言及した、

「これまではユートピアだった」

 という幻想なんですね(^^)

 自分が理解できないものはみんなそういう話になる。

 それは、一休さんが言われるように、「わかりたがっている」ということかとも思いますが、そういう際に、すぐに、

誰が悪いのかを言い立てて
どうすればいいかを書き立てて
評論家やカウンセラーが米を買う


(「時刻表」...中島みゆき アルバム「寒水魚」所収)

という形で、我々専門家も、マスコミに、言葉の情報として「消費」されてしまうわけです(^^;)

 こうして、そうした「専門家」の弁舌が、大衆の「気休め」として単に消費され、忘れ去られる。

 更に、時代が変わる中で、新たもので「あるかに見える」社会現象が生じる度に、新手の「専門家」がマスコミの禄をはむわけですね(^^)

 この繰り返し。

(【追記】もっとも、禄はもらえなくて、電話で聴きっぱなしで内容は勝手に記者に改変されることも少なくないのは、かつて私も体験しました。「エヴァンゲリオン現象」について取材された時は、朝日は非常に丁寧に校正摩り段階で私の手直しに答えてくれて敬服。その若かった記者さんは、今や「論説委員」です。読売は、「その時は」最悪でした(爆)。他に、勤務時間割いてVTR収録までしていったのに、取材そのものが没を食らったことを、実際に放送された後も、陳謝しなかった不届きな放送局もあった)



「おたく」
「援助交際」
「ワーキング・プア」....

 まわる、まわるよ、時代はまわる.....

 私たち現場の人間は、そうした影で、「地の塩」ないし「地上の星」として、大衆に顧みられることなく、地味な仕事をしていく天命にあるのかもしれないとすら思います。

 ....いいんですけどね、それで一応「食って行ければ」(爆)
2008/02/26(火) 20:22 | URL | こういちろう # BXy/Vbyc [ 編集する]

専門家の方々が如何にも「マスコミ受け」の良い回答をしてしまうというのもあるでしょうが、明らかに検証性の低い情報を垂れ流しにしている、マスコミの問題は大きいかと思います。
賢くメディアを活用したいものですよね。
2008/02/26(火) 21:39 | URL | ゆみっちょん♪ # I.K6Pi7I [ 編集する]

> 原則的に患者の恋愛に答えない

そう、フロイトは宗方コーチの言葉を実践してると思います。ポイントは意外と「成長を妨げない」のところだと思う。これは「成長を育む」というのとは違う。他の心理療法では、往々にして「成長を育む」になっているように思う。それだと「支配する者/される者」の関係に落ちてしまって、メタレベルで「成長を妨げる」愛し方になっている。「妨げない」という在り方の慎ましさみたいなものが、フロイトにはあったんじゃないかな。

> 分からない「何か」を見ない

その「何か(x)」は無いんだと思います。そもそも、「おたく」があの時代に実在したかどうかも怪しい。でも、その後の時代になると、イメージされた通りの「おたく」を見かけるようになりました。色白で小太りで、寒い日でもTシャツを着て、電気屋街の紙袋を持ってる人たち。マスコミが提示する、ステレオタイプなライフスタイルを体現する人たちが出てくる。

そういうのもまた「情報消費」の在り方なのでしょうね。自分の身体から湧き出てくる「生のもの」を情報へと変換する作業を避け、初めから与えられている情報を、むしろ自分の身体へと具現化していく在り方。もちろん「昔のマスコミは良かった」なんて言いませんよ(笑)。長髪でフォークギターを抱えることから、茶髪で鼻ピアスを付けることまで。昔からマスコミの仕事は「そういうこと」だったのでしょう。「生のもの」から人々を遠ざけて、分かりやすい「記号」の交換で日々を過ごせるようにしてくれる。そうでないと、とてもじゃないけど身体が持ちませんから。

2008/02/27(水) 00:42 | URL | ぽっき # mQop/nM. [ 編集する]

確かに、「成長を育む」というのは、すでに「支配する/される」の関係なのかもしれませんね。

フロイトはそういう意味で謙虚な一線を守ることを、少なくとも「理想」とした。現実はともかく。

 もっとも、宗方コーチの場合、受け止めようによっては、周囲を徹底的に巻き込んでまで、ひろみの「成長を育む」場をしつらえてこの世を去った、すごくエゴイスティックな生き方をしたとも言えるかも。

そして、その副作用は、原作でも、アニメ版でも、宗方の死後、ひろみは重い副作用として、引き受けるしかなかった。

だって、そもそも、ひろみの素質を「勝手に」見抜き、テニスの名選手への道を向かわせたのは、究極的には宗方のエゴですからね(^^)

 そこでひろみの人生を勝手に乗っ取って、他の可能性を奪ったのがそもそも宗方ではないかという嫌疑はかかり続ける。

 結局、ひろみに「特別クライエント」になることを押しつけた時点で、「治療者」としての宗方は負けということかと思います(^^)

そんなら最初からひろみに求愛しろ、そして対等な伴侶を発見できなかった、母との癒着を超えろ!! と(爆)

 てめーは、結局、自分の教え子のいたいけな高校生を、性器以外は「手込めにして」、精神と肉体の改造までして(爆)、勝手に人生の舞台から立ち去ったのだと。

「責任とってね!!」(^^;)


****


後半の、マスコミと、その情報消費としての記号化を受け入れる大衆のあり方についてのお話も含蓄深くて興味深いのですが、そこから思い浮かんだのは、

「文化の居心地悪さ」

という、フロイトの晩年の論文タイトルみたいな言葉。

...私って、結局根っこはやはり、シゾイドっぽいのかな?
2008/02/27(水) 02:41 | URL | こういちろう # BXy/Vbyc [ 編集する]

 以下、完全にネタバレですけど、もの凄くよく知られた物語だから、許してね(^^)


 重要なポイントは、ひろみは別に「宗方にあこがれて」テニスをはじめたのですらないという点かもしれないと思います(^^)

 学校生活をエンジョイしたいために、ごく普通の高校生が、ごく普通に、それこそ「高校生活のエンジョイ」のための「記号」を消費するつもりで、テニス部に入った。

 この段階では、意識の上では、ひろみの親友、愛川マキと全く同じスタンスの、普通の女の子に過ぎなかった。

 確かに、宗方のことを「かっこいい」と思ったかもしれないけど、ひろみの方から宗方に認められようという「野心」があったのではない。

 お蝶夫人には、「こわいけど、大人の女性でかっこいい!!」とあこがれたと思うけど。

 宗方コーチには、

「美形だけど、何かすごくおっかなくて、、気がついてみたら、自分だけを勝手に特別扱いしてしごいて、おかげで他の部員からは嫉妬を受けて疎外される」

 もう、これほどわけのわからない、疫病神はいなかったでしょうね(^^)

 つまり、コーチは、初歩練習の段階で、ひろみのの素質に気がつくと、いきなりひろみに「目をつけ」、「特別扱い」を押しつけるという、一種の強引な「アタック」をはじめ、一見性的ではない「強姦」をはじめたとも言える。

 ひろみはそれが最初は苦痛だったけど、次第次第に宗方に「巻き込まれて」、自分は宗方を好きでないかとすら「思いこみ」はじめる。

 宗方はそれすら無意識的には「利用」して、自分にひろみを「愛着」させた上で、いよいよ「テニス人形」としてしごきはじめる。

 ひろみはそれに対する反抗として、自分自身の恋がしたくて、藤堂への恋愛感情も抱くのだけれども、それに対してですら、宗方コーチは、藤堂にダイレクトに干渉して、

「てめー、しばらく禁欲してろ。それがひろみのためだ」

と「超自我圧入」(爆)してコントロールしてしまう始末。

 まあ、この「原父」宗方コーチは、自分が早くに死んでしまうことを実は知っていたから、あそこまで「時間を無駄にしてはならない」と焦っていたというふうに、恐らく原作連載途中の段階で設定され(爆)、殺される前に先に自殺(自殺じゃないけど)しちゃうという点でつじつまはあわせたけど(^^;)

 受け取りようによっては、宗方は自分の死後もひろみを洗脳し続けるシステムをまんまと残してこの世を去ったわけです。

 ひろみがほんとうに自分自身になれたのは、宗方死後の、長いリハビリのプロセスで(爆)自分を支えてくれた藤堂の愛を受け入れ、世界ツアーに出発した、原作の最終回以降の世界ということに、象徴的にはなるのかと思います。

 この段階で、やっとひろみは、自分を「強姦」して思いのままにした宗方への「父親殺し」をして、自分自身の恋愛の世界も手にしたのだと。

 .....記憶だけで書いてるので、若干私の主観で歪められている可能性はあるけど、以上の
ような観点からとらえると、「エースをねらえ!」の作品世界の「ダークサイド」が、自然と浮き彫りになるのではないかと(^^)

 その点、この物語の「再解釈」ともいえる、「トップをねらえ!」では、「宗方コーチ(=太田「浩一郎」)」は、「お蝶夫人(=カズミお姉様)」と結婚するという、より自然なラインだし(カズミは、「コーチ」がいなくても、最初からあのような高貴なブライドを持つ、独立心のある特別な存在だったわけで、自覚的にコーチと結ばれたと言える)、ヒロインの「岡ひろみ(=高屋ノリコ)」も、最初から「亡き高屋提督の娘」という運命を背負っているから、コーチの「特別扱い」に周囲から嫉妬されることは、自然ということになる。

 おかげで、ノリコは、途中で淡い恋に落ちた同僚を「見殺しにして」以降、すーっとシングルで生きていくことになるのですが(爆)。

 ウラシマ効果で、相対的に「成長」すら止められて(....このあたりは、ハッキリ言って、作品の監督の庵野さんの願望の投影だな....)。

****

 いずれにしても、「エースをねらえ!」って、普通のありきたりの少女漫画なら、藤堂という「白馬の王子様」との恋愛こそメインになりそうなストーリーに、宗方コーチという、トラウマチックな「ストーカー」を介入させて、凄い「毒」を盛ることによって、非凡な名作に
なった作品といえるかも。

 その意味では、藤堂との幸せな未来を予感させるという、「お約束」の物語の終わらせ方に収束して、無難に幕を閉じたとも言えます。

 原作者も、宗方コーチという「異常性格」キャラクターを創造してしまったことによって、作品をどう収束させるかに、自分でも死ぬような思いを味わった作品ではないかと。


 このエントリーの本来のテーマに戻れば、岡ひろみの、宗方コーチへの「転移性恋愛」は、実は宗方コーチ(治療者)が引き起こしたものである、という点こそ、大事なポイントがあるでしょうね(^^)
2008/02/27(水) 04:16 | URL | こういちろう # BXy/Vbyc [ 編集する]

こういちろうさんの話に妙に納得している私がいます。
似たようなモチーフは、日々の臨床の中でも登場しますし。
特に「才能を見抜いて」というところがいやらしいと感じてしまう。

「成長を妨げない」というけれど、そもそも「成長」って何なんでしょうね。

他の可能性が殺されることで、ある方向への成長が起こるともいえるのかな。
そういえば、赤ちゃんの身体が形作られるときも、初め手はただの塊で指の間の細胞が死んでいくことで指が形成されるとか。

それと、藤堂にとっての宗方ってどんな存在だったんでしょうね。
2008/02/27(水) 08:51 | URL | 一休 # mQop/nM. [ 編集する]

>それと、藤堂にとっての宗方ってどんな存在だったんでしょうね。

藤堂も、宗方コーチがいてもいなくても、みずから、男子テニス界でのスターとしての道を歩んだ人という気はします(お蝶夫人と同じように)。だから、藤堂にとって、宗方は、尊敬するコーチであると同時に、ひろみとの恋に介入する「頑固親父」ってところじゃなかったでしょうか。

 でも、この頑固親父がいてくれたからこそ、藤堂自身の人格も選手としての力量もいっそう成熟したのは確かでしょう。

 さらに、リアルワールドだったら、藤堂がプレイボーイ化して、「素質はあるけど普通の女の子」であるひろみを手込めにした後(^^;)、ひろみを捨ててお蝶夫人とくっついちゃった可能性は高いかも(^^)

 その意味では、藤堂とひろみ両方を対等なパートナーにまで成長させてくれたのは、やはり宗方コーチ、という意味での感謝はしていたかも。

 つまり「親父 兼 仲人」(爆)
2008/02/27(水) 10:18 | URL | こういちろう # BXy/Vbyc [ 編集する]

宗方コーチは「異常性格」ですか。

ああ、読んだら良いものか悪いものか分らなくなってきた。

「愛って何だろう」、、、(再考)。
2008/02/27(水) 12:56 | URL | ゆみっちょん♪ # I.K6Pi7I [ 編集する]

 少しネタばれすぎて、ゆみっちょん♪さんを悩ませる結果になったかな?

 でも、たとえば、「ベルサイユの薔薇」は、生まれて来た女の子を「男として育てる」と決めつけた、近衛隊長の、困ったお父さんがいなければ、物語が成立しなかった。

 「巨人の星」も、息子を巨人の大投手に育てると最初から決めつけていた星一徹とうちゃんがいなければそもそも物語は始まらない。

 そういう意味で、物語世界を生み出す「原父」の位置にあるのが、宗方コーチと思っていただけるといいかもしれません(^^)

 同じような意味で、

「精神分析」という歴史物語のフロイトも、
「分析心理学」という歴史物語のユングも、
ちょっと常軌を逸した「おとうちゃん」だったと思ってもらうといいかもしれません(^^)

 いくら「性格歪んでいる」からといって、織田信長の魅力的な歴史物語があれば、興味が出るでしょう?

 すべてにおいて円満な性格の人間だけでは、「物語」は動き出さない。そういうことです(^^)

 そして、そういうひとクセある「年長者」に翻弄されながらも成長していく「ごくごく普通の女の子」である、岡ひろみに感情移入しながら物語世界に浸ればいいのだと思います。
2008/02/27(水) 15:30 | URL | こういちろう # BXy/Vbyc [ 編集する]

こういちろうさんのお話、興味深く読ませていただいております。
私は、「エースをねらえ」なんとなく周囲で漫画やアニメがはやっているなという認識しかなくて。
でもネタバレの解説で、なんとなくストーリーがわかりました。

結局、「才能とは何か?」ということですね。

それで連想して、むかし読んでおもしろかった少女漫画を思い出したのですが。
当時けっこうはやっていたようにも思うのですが、題名も登場人物の名前も思い出せません。

作者はたしか「上原きみこ」という方で。
舞台はバレエ界。

有名なバレリストの母に、息子(兄)と娘(妹)がいて、そのお母さんのバレエ教室でならっている。
妹の方が主人公なのですが、努力の割にはいまひとつ伸び悩んでいる。
で、実はその子は母の本当の子供ではないことが判明。病院での取り違いかなにかだったかな。
しかも、実の子供が現れ、そのバレエ教室にはいってめきめきと才能をのばしていく。
主人公としてはあせりまくり、そして血のつながっていない兄にほのかな恋心を抱くようなことにもなって。


というような、おもしろい展開だったのですが。
最後まで読んでなかったのか、結末は覚えていません。
なにかご存知でしょうか、ってブログの趣旨からは著しく逸脱してしまってますが。

それと、そういちろうさんの中島みゆきの歌詞の引用の色。
スクロールすると紫色に見えるのですが。
どうやるのかな。ためしてみましたが。
ちょっと違うかな。濃い色を使うとスクロールした時だけ残像で色がわかりやすくなるという効果でしょうかね。
2008/02/27(水) 17:40 | URL | 重元 # qgv1q6Fs [ 編集する]

ぼっきさんのマスコミ論についてですが。
「おたく」というものが実在しないと同じような意味で、「マスコミ」という実在もないのでしょうね。
新聞社でいえば、そこに社員がいて、上司や部下との人間関係や、社風といわれる文化などと葛藤しながら仕事をしている。
その総合的な結果として、新聞ができ、あたかもそれが一つの論調をもっているかのように感じられる。
仮の議論のために、「マスコミ」と「大衆」という捉え方をすると。
たしかに、マスコミが大衆を支配し、操作し、大衆がそれに依存しているという側面もある。
しかし、逆にマスコミは大衆のご機嫌をとり、気に入られるようなものを作らないと成り立っていかない、という意味では、マスコミが大衆に依存している側面もある。

こういうことを特に感じるのは、人が大勢亡くなるような大惨事がおきたときですね。
新聞やテレビは「起こってはならない大惨事が起こってしました」などと解説をするが。
あきらかに、興奮してわくわくしているのが伝わってくる。
もちろん、見ている方もわくわくしているわけですね。
人が大勢亡くなっているのだから、「わくわくしている」なんて言えないわけですが。
しかし、こういうわくわくへの期待が、無差別大量殺人などの事件をひきおこす要因にもなりえるわけですね。
われわれも「自分がわくわくしてしまうんだ」ということを正直に認めたほうがよいのではないかと思います。
2008/02/27(水) 18:02 | URL | 重元 # qgv1q6Fs [ 編集する]

> 「精神分析」という歴史物語のフロイト

そう考えると、フロイトは宗方コーチよりも星一徹だったのかも知れない。嫌われ役を買って出る頑固親父。弟子たちに自分の熱意を感染させておいて、後は離反していくように導いていく。「原父」ポジションを担うとはそういうこと。恋愛性転移にしても、「終結」という親殺しを視野に入れての立ち居振る舞いが要る。

そうすると、コウイチロウ・コーチはタカヤを育て損なってるし、宗方コーチは結局自らの死を招き寄せてしまうのも道理だなあ。「嫌われることも厭わない」という姿勢が、彼らには欠けていましたね。巨人軍のために、わざわざ中日の監督になってオズマを呼び寄せるくらいの「非論理性」を駆使しないと「原父」の資格は無いのかも。恋愛よりも、親子愛のほうが狂気が深い。

> 「マスコミ」という実在もないのでしょうね。

その通りです。自己再生産するシステムが出来上がっていて、その一部を「マスコミ」、残りの部分を「視聴者」とラベル付けしているだけです。ループを作って、互いに再生産している。そこには「意図」はないのですが、何か意図があってそうなっているかのような見かけを帯びます。

ミトコンドリアのクエン酸回路のようなものでしょうね。オキサロ酢酸から始まり、化学変化を繰り返すことで最終的にオキサロ酢酸を再生産する。そこでループが閉じるので、クエン酸回路という「システム」が一見そこに成立している。「システム」とは全般に、そうした偶然のプロセスが必然化するところにあります。でも「ミトコンドリアがエネルギーを生産している」と叙述しても、それはミトコンドリアの与り知らぬところでしょうね。

精神分析がやっていることをこれに当てはめると、症状を再生産しているシステムに介入して、それを別の形のループに置き換えていく作業でしょう。「恋愛」も、それまでの家族システムを崩壊させる力なのかも知れない。分析家との間で新しいループを作ることが「転移性治癒」と呼ばれるのだろう(こういちろうさんに同感で、やはりこれは分析家側からの「精神的な強姦」があると思う。The-Rapistだから)。しかしその後の「親殺し」には、それだけじゃパズルのピースが足りないよなあ。

2008/02/27(水) 20:21 | URL | ぽっき # mQop/nM. [ 編集する]

>なにかご存知でしょうか、ってブログの趣旨からは著しく逸脱してしまってますが。

う~ん、どこかで見たような気がします。
今、ちょっとネットで調べてみました。「まりちゃんシリーズ」って出てきたのですが、それかなぁ?

それから、文字色はコメント欄の「色」というボタンで好きな色に変えられますが、黒に近い紫だったので普通に読むよりも動かしたときに目立ったんでしょうね(≡^∇^≡)♪

2008/02/27(水) 20:48 | URL | ゆみっちょん♪ # I.K6Pi7I [ 編集する]

ゆみっちょん♪さん、すみません。
わざわざ調べていただいて。

わたしも、ウィキペディアで調べてわかりました。
「舞子の詩」

以下、アマゾンの説明文。
出版社/著者からの内容紹介
舞子の夢、それは姿郎兄さんと「エレナの赤い花」を踊ること――!!
少女たちにバレエブームを巻き起こした上原きみ子の名作!

茜舞子は中学2年生。元バレリーナの母が設立したバレエ団で育ち、亡き父の遺作「エレナの赤い花」を、兄・姿郎と踊ることを夢見ている。だが、舞子はバレエ団のみそっかす、天才若手舞踏家と言われた姿郎は、母に反発して家出したきり音信不通だ。そんなある日、舞子と同じ日に同じ病院で生まれた千也子という少女が現れ、驚くべき出生の事実が明らかに……。上原きみ子が描く、感動の少女バレエ漫画!!

ちょっと、おもしろそうでしょう。

それと、色の件はなぜかマックでやっても見えにくいことが判明。
こういちろうさんも、効果を狙ってやったわけではないのかな。
2008/02/27(水) 21:21 | URL | 重元 # qgv1q6Fs [ 編集する]

幸福な人は空想しない、空想するのは満たされない人にかぎるということです
フロイト「詩人と空想」より
http://blog.zaq.ne.jp/sigmund/article/450/

この言葉を借りて、

幸福な人は恋愛をしない、恋愛をするのは満たされない人にかぎる

と、言ってもいいのじゃないかと思います。
なにしろ、恋愛は空想によってはくぐまれるのだから。

私自身の経験を語りますと、もう何十年も前になりますが、ある女性に恋をした瞬間というのをはっきり意識したことがある。
それまでは、なんとなく気になってもやもやしていたのですが。
ある時、「そうか、私は恋をしているのだ」と、はっきり気づいた。
その時、なぜか私はブラームスのドイツレクイエムを聴いていた。(恋愛とレクイエムとは!)
音楽の中で感動して、とても幸福な気持ちに浸ったことを覚えています。

こういった瞬間というのは、葛藤をかかえてもやもやした状態から、「恋愛」という虚構にとびついて、それで幸せを手に入れるという瞬間だったのかなと、今にしては思います。
2008/02/27(水) 22:35 | URL | 重元 # qgv1q6Fs [ 編集する]

....というか、あれ、確か自宅のWin機でやったんですよ。そっちのプロジェクターは凄く彩度が高いので、他の機種で見ると色づけに気がつきにくいでしょうね(^^)

今日は午後からは通信教育のテキスト作りに没頭している時間が長いのですが、皆さんの議論を楽しく読ませていただいてます(^^)
2008/02/27(水) 22:36 | URL | こういちろう # BXy/Vbyc [ 編集する]

「昴(すばる)」です。詳しくはwikipediaを参照して下さい。

 これ、作者が作品世界に負けてしまって、途中で未完のままですが、これはこれでエキセントリックな登場人物が多くておもしろい。

 でも、「ライバルのお蝶夫人」はいても、「宗方コーチ」にあたる、主人公以上にエキセントリックなキャラを立てられなかったのが、行き詰まりの原因と思います。

 主人公が一番エキセントリックだと、物語世界を維持しにくいのだと思う。

 ロックバンドものの秀作、「NANA」とかも、二人のうち一方の「ナナ」が、ごく普通の女の子として描かれ出したから、物語に緊張構造が最初から布置され、あそこまでストーリー引っ張れてるのだと思うし。
2008/02/27(水) 22:45 | URL | こういちろう # BXy/Vbyc [ 編集する]

「相手から成長を奪うような恋はするな」

 あの.....宗方さん自身はほんとうにそうしてましたか? とはいいたくなるけど、やはり、至言ではあるでしょうね。

若者向けの人生の教科書だった作品。

(これで今日はネットはお休みです、ほんとに寝ます)
2008/02/27(水) 23:06 | URL | こういちろう # BXy/Vbyc [ 編集する]

>こういちろうさん
ああ、私も「昴」のファンでした。
当時はスピリッツ系の漫画が好きで。

確かに周辺キャラが昴にひきまくりでしたねぇ。

バレエつながりで言えば
「リトル・ダンサー」という映画がわりと好き。
2008/02/27(水) 23:06 | URL | 一休 # mQop/nM. [ 編集する]

「舞子の詩」 、面白そうですね。今度見かけたら読んでみます。
わたしはバレエが大好きで習っていたけれど、あまり漫画は読んでなかったな、、、(;´Д`)

>幸福な人は恋愛をしない、恋愛をするのは満たされない人にかぎる

これも深みのある言葉ですね。確かに、幸福で満たされている人はそんなにがっついて恋愛を求めないものかも。周りを見てるとそうだな~。自分の経験でもそうだったし、物語にもよくありがちなパターンですよね。

リトルダンサー、わたしも観ました。
2008/02/27(水) 23:16 | URL | ゆみっちょん♪ # I.K6Pi7I [ 編集する]

いやぁ~~、単に誰も書いていないだけでしょう^^;;。
ということでこのテーマは終息??

次の記事も読ませて頂きますヾ(*☣ฺ∀☣ฺ*)ノキャッキャ
2008/02/29(金) 13:39 | URL | ゆみっちょん♪ # I.K6Pi7I [ 編集する]

 このエントリー、一応終わったみたいなので、いよいよおまけコメントですが、iTunes Storeに、つい先日から(以前探した時はなかった)旧「エースをねらえ」のオープニングとエンディング(ぽっきさんがお好きなの)それと挿入歌一曲がupされてます。もちろんフル・バージョンですので。iTunes storeに入って「エースをねらえ!」だけで検索ヒットします。

 実写版「エース」の上戸彩の「愛のために。」は以前からiTunes storeあります。

以上、iTunesのヘビー・アフィリエイターのこういちろうから、アフィリエイト抜きでお知らせいたしましたーーー!!
2008/02/29(金) 19:29 | URL | こういちろう # BXy/Vbyc [ 編集する]

心理療法家に対する批判的なキーワード検索で辿りついたのですが、皮肉なことに転移性恋愛の記事でした。

転移性恋愛に関してですが、
急性の恋愛感情は必ず冷めるものです。恋愛なんてものは、妄想にすぎません。相手を都合のよいように美化しているのですから、転移性恋愛に流された「治療者」「クライアント」は紛争状態になります。言ったの言わないの、ふさわしいのふさわしくないのでお互いを正当化し、自己弁護と防衛に終始し、場合によっては紹介を巡り他院も巻き込んで罵り合いに発展していく事が殆どです。

クライアントは正当なサービスを受けられず、治療者は解雇されます。他の治療者は半ば傍観し、各々の人間性が露呈するでしょう。

恋愛の末、結婚すれば、クライアントは治療者の仕事や態度に不満がちになり、治療者は家庭全体が「治療室」となることに強い抵抗と嫌悪を感じるでしょう。

人間は我儘な動物ですので、限られた関係性のみでの判断は最悪の結果を招きます。
2011/03/29(火) 12:01 | URL | やってごらんなさい # u.7o0ml. [ 編集する]

転移性恋愛を(単なる恋愛としてもよい)机上で論ずる事と体験して咀嚼する事はまったく異なります。

論ずる場合は、所詮絵空事となりやすいが、体験する場合は一日一日人間が試されます。よって、転移性恋愛を現実のものとして生活している療法家は(恋愛生活を始め終生の物とした)素晴らしい人間と言えます。米国では時々いるそうですが、打算では恋愛生活を維持できません。

転移性恋愛にケチをつける人間は、大半が凡人かそれ以下です。(私も)
医師と患者、教師と生徒、心理療法家と依頼者、どれも恋愛感情と別に役割の枠があり、人間対人間の信頼の維持が難しい関係性です。この立場において、愛情が職業を超えて維持できたら、もはや博愛家的な存在です。
愚かな人間は、枠に留まるべきです。
枠組みを壊し、それに拘らずに他人を愛せるような人間は珍しく、皆それぞれに自分の立場ゆえに他者を認めず見下し恩きせがましいものです。

医師と看護師、上司と部下、力関係のバランスに人間は拠り所を求め、相手を見下して家庭内でも自分の力を誇示したいと考える凡人が殆どです。
2011/03/29(火) 12:44 | URL | 人間の本性を考察 # u.7o0ml. [ 編集する]

コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://purely0307.blog79.fc2.com/tb.php/209-cb6d2a3a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。