発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 精神分析の治療作用の本質(精神分析 臨床心理 心理療法)
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対象関係論の基礎

松木邦裕(監訳)「対象関係論の基礎」新曜社 2003に収録されているジェイムス=ストレイチーの「精神分析の治療作用の本質(1934)」の論文についての要約と感想です。

■要約
1、はじめに
 解釈とは何なのか?精神分析の治療機序とは何なのか?について考えていくことがこの論文のテーマである。

2、抵抗分析
 治癒の方向とは逆に向かおうとする力を発見・除去することである。

3、転移
 転移の分析を通して治癒へと至る。

4、超自我
 分析家が患者に影響を与えるのは超自我を通してのことである。

5、とり入れと投影
 エス衝動がとり入れと投影を繰り返すと病的になっていく。それが和らげることが必要である。

6、神経症的悪循環
 エスの衝動と超自我の抑圧が悪循環を起こすと神経症的になっていく。その悪循環をどのように解決するべきか。

7、「補助超自我」としての分析家
 患者の過酷な超自我の位置に分析家が座ることによって患者に影響を与えられるようになる。

8、解釈
 解釈という用語は多義的であり、人によってその意味するところは違っている。しかし、人を変化させる強い力を持つ解釈を「変容惹起解釈」と名づける。

9、解釈の第一相
 分析家に向けられた患者のエス衝動を解釈することによって、自分のエス衝動に気付くようになる。

10、解釈の第二相
 空想対象としての分析家から現実対象としての分析家へと変化する。逆説的ではあるが、患者が空想か現実かを識別できるようにするためには可能な限り患者に現実を差し出さないことである。

11、解釈と保証
 保証はある程度の不安を解消することもあるが、変容を惹起するものではない。

12、変容惹起解釈の「当面性」
 There and Thenの解釈では患者はリアルに感じられない。リアルに感じられる解釈はhere and nowの解釈である。

13、「深い」解釈
 深い解釈=遠い昔の生活史を扱った解釈は「当面性」という点からあまり有効ではない。

14、変容惹起解釈の「特異性」
 変容惹起解釈は患者の個別性・特異性を含んだ解釈でなければならない。

15、除反応
 除反応=カタルシスによる治療効果は一時的なもので、根本的な解決にはならない。

16、転移外解釈
 変容惹起解釈とは転移解釈のことである。転移外解釈は「当面性」という点からも変容惹起解釈にはならず、限定的な効果しかない。

17、変容惹起解釈と分析家
 分析家は無意識の恐れを感じるので変容惹起解釈をすることは独特の困難さを伴う。


■全体のまとめ
 超自我の質的な修正によって、患者は幼少期での発達の固着から開放され、大人の段階まで引き上げることができる。そのためには分析家は患者の補助超自我の位置に座り、変容惹起解釈=転移解釈をしなければならない。


■感想
 この論文は精神分析における解釈を論じる場合にはかならず引き合いに出されるものです。でも、引用文献としては知っていたけど、今まで読んだ事が無かったので、今回初めてゆっくりと読んでみました。まず思ったことはとてもすっきりと整理されており、大変読みやすく、分かりやすい論文だなということです。起承転結がしっかりとしているというか、論理立てて書かれているというか。今までフロイトの論文を読むことが多かったのですが、フロイトの論文は自由連想風に思いのままに書き連なっていることが多く、かなり読みにくいものであると僕は思っています。そこがフロイト論文の良いところであるとも言えるし、僕の読解力が不足しているとも言えるし。

 また、この論文は今から70年以上も前の1934年に書かれています。他のジャンルの科学論文で70年以上も古いものが未だに価値のあるものとして引用されているってことはあまりないと思います(歴史的な研究は別として)。70年前から進歩がない!という言い方もできるし、人間の本質は時代や文化によってあまり変わらないという言い方もできるかもしれません。どちらにしても現代の精神分析を語る上で、この論文は避けて通れないと思います。

 内容についてはストレイチーは転移解釈こそが変容惹起解釈であると結論しており、精神分析の中では転移解釈をし続けなければならないと言っています。転移解釈以外の介入も全く意味のないものではないが、それほど重要ではないと。ストレイチーがこの結論に至ったのは、ストレイチーの臨床経験が週4回以上のカウチを自由連想というセッティングであることが大きいのではないかと思います。すなわち、このセッティングであるからこそ、転移解釈だけをするセッションをしたとしても、何も介入しないセッションがあったとしても、特に問題はないのだろうと思います。これが週1回の対面であれば、転移解釈だけをすることはほとんどできません。転移外解釈を入れたり、支持的・指示的なことをしなければ、ケースが続きません。また1回のセッションで何も介入しなかったとしたら患者は不満足に終わるか、怒り出すだろうと思います。転移解釈だけをする治療というのは週4回以上のカウチによるセッティングであるからこそできることだと思います

 もちろん、ストレイチーもこの論文の「転移外解釈」の章で、「転移外解釈を与えることによって、変容惹起解釈を与え得る転移の一状況をしばしば誘発する」や「表面的には転移外解釈を与えていても暗黙には転移解釈を与えているという事態がしばしば起きる」や「全体を前進させたり、前線を強化する」と言い、その効果・価値は認めています。それでも週4回と週1回ではその与える量は大きく違うのではないかと思います。頻度が少なくなるほど転移解釈よりも、転移外解釈が増えます。そして、その逆も然りです。

 それと何故ストレイチーはこれほどまでに変容惹起解釈=転移解釈にこだわったのかということです。藤山先生の説によると、ストレイチーはフロイトに訓練分析を受けたが、転移外解釈が主で、転移解釈がほとんどなかったのではないかと。その為、転移解釈に飢え、無いが故にその重要性についてとても良く理解していたのではないか、というのです。それが本当かどうかは分からないけど、納得できる説です。


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コメント
この記事へのコメント
ごめんなさいちょっと関係ないですが、今日は28日ですよね?日記の日付、29日なのは何故でしょうか。セーイチさんも海外にいらっしゃるのかと疑いが生じましたが。

ごめんなさい。本題に入ります。
確かに書かれていることは、非常に簡潔に判りやすくなっていますし、分析に関ると必ずぶち当たる事ではありますが・・・。
僕はこの本の表題につられて入ってきましたが、やはり納得できません。確かに論理的矛盾はない。がしかし、実際ここまでできますか?実際患者は治癒しましたか?
はなはだ疑問です。机上の空論にも思えてきてしまいます。
2008/04/28(月) 03:44 | URL | サーザ # - [ 編集する]

僕もこの本に載っている論文はすべて読みました。面白いですよね。好きです。

クラニアンとは多くの考え方でシェアできるものがあり、うちの学派と相性のいい学派です。が、転移の仕方(解釈をどんどん与えていくというやり方)だけは合わないですね。転移解釈に関しては、解釈をせず患者の成長を"待つ"というウィニコットの方が近く、好きですね。

回数に関しては、前にも別の所で書きましたが、うちの学派は患者のニーズに合わせるので(その人の葛藤の深刻度、払える金銭的問題、防衛の不安定さ、など、どれくらいの回数だったら、分析に一緒に取り組めるかを考慮するので=それが患者さんにとってもっと最適なtension水準であり意味のあるものだと考えるので)、4回以上と縛りは設けていないですし、理論や技法もそのようにデザインされています。

この点、クラニアンが4回以上という回数に重点を置くのであれば、3回以下の実践はどういうふうに扱われるものなんですかね?3回以下でのクラニアン的分析は難しいとなれば、日本のクラニアンやその分析を学ぼうとする人は大変ですね。
2008/04/28(月) 04:26 | URL | Hans # g6vs/Cb2 [ 編集する]

皆様、どうもこんにちは。

転移解釈というのは、治療者がクライエントとの体験を「他人事でない」ものとして体験し始めた時に、生まれるものだろうと思います。
「他人事でない」瞬間というのは、クライエントが語る誰かや何かに治療者が「なっている」時に、そうなるのでしょうし、その時、治療者のパーソナルな自己は広範囲に渡って侵食されているのだろうと思います。クライエントも、同様に治療者との関係が「他人事でない」ものになっている。

そして、転移解釈を生み出した瞬間、「他人事でない」状況を、さらに、メタの位置から「見つめる私」が、治療者、クライエントの双方に生成されるのだと思います。「見つめる私」が生成されることで、今ここにある「他人事でない」状況が、再び、一つの「他人事になる」、という感じがします。「他人事になる」ことで、この事態を取り扱うことができるようになるのだと思います。

「他人事でない」状況にいる治療者とクライエントをメタの位置から見つめるそれぞれの「私」が生成されることで、そこに空間というか、ゆとりが生まれるんですね。そのゆとりが治療作用をもっているんじゃないかなと思います。

もしくは、この「他人事になる」「他人事でない」の往復運動が転移解釈の効用に関わっているのかもしれない、などと考えています。

そうなると、転移外解釈は、ある状況を「他人事」のままに維持しておくという効用があるのかもしれない。治療状況が「他人事でない」状況になることを防ぐ機能を持っているのだろうと思います。

ローゼフェルトが外傷を受けた患者さんとの分析的治療では、転移外解釈が治療関係の維持の為に、有効であることを述べていたと思いますが、この辺りに、何か理由があるのかなと連想しました。外傷体験を「他人事にしておく」能力の維持といいますか。
2008/04/29(火) 15:59 | URL | のん # - [ 編集する]

こんにちは、のんさん。自分も、転移解釈は、対象を自己ではないものとして見始める準備が整ったときに行われるものだと思っています。解釈自体が非常にメタ(分析家と被分析者とは異なるもの)なので、ある程度の分離がないと有効ではない。いわゆる移行空間だったり潜在空間だったりと呼ばれるような、遊びを作れない、と。この辺り、のんさんがおっしゃる、ゆとりの治療作用という点と同意です。

そのため、特に治療が初期段階(自己愛段階)にあるときには、解釈は無理に被分析者を分析家から引き剥がすことになりうるので(被分析者に脅威を与えたり、自己愛的な傷つきを生むので)、うちらはこの行為を控えます。代わりに、転移外解釈を含む介入(ミラーリングやジョイニング、支持や指示など)をすることで、まさに「他人事」にしておくんですね。これは治療関係の土台を作るには大事なものですし、特に自己愛の治療には不可欠な過程だと思っています。

この介入は、被分析者の発達に沿うような形で行われるので、沈黙を必要とすれば、こちらも沈黙で返し、解釈といった形でそれを扱いません。この意味で、上にも書きましたがクラニアンのどんどん解釈(言葉)を与えていくという治療態度は個人的にはしっくり来ないところですよね。クラニアンが言葉が人を成長させるという考えを根底にもっているのは分かりますが、うーん、いまいち納得がいかないところです。
2008/04/29(火) 19:20 | URL | Hans # g6vs/Cb2 [ 編集する]

>サーザさん

FC2のブログでは日時は任意の数字で選べるんですね。だから、何だっていけるんです(笑)

>際ここまでできますか?実際患者は治癒しましたか?

精神分析というのは治癒というのとは向かう方向性がまた違うかもしれないです。

それはおいておいて、転移解釈というのはある種の武器にはなるなと思います。やはりインパクトのあるものと患者は体験しているようで、それがやはり一つの気付きになっているような気がします。または話が深まるというか。

逆に転移を扱わない・気付かない方が患者の不満が膨れ上がるような感じです。
2008/05/02(金) 01:26 | URL | ピュアリー # 6fwIY24o [ 編集する]

精神分析の治癒率は、通常の不安神経症を対象とした場合だいたい7割で、認知行動療法と同じくらい。

ただし、効果が現れるのが認知行動療法より遅く(認知行動療法が2ヶ月くらいなら、精神分析的心理療法が6ヶ月)、主観的な改善よりも客観的な改善として現れやすく(外出できる時間が増えたとか、就業し始めたとか)、治療途中での中断率と症状の再発率が認知行動療法よりは低い。そんな結果だったと思います。つまり精神分析的心理療法は、効果が出るまでは時間がかかるが、症状のぶり返しは起こりにくい。

Greenberg&Fisherの論文だったと思うけど、手許のメモが無いので、論文の題名は不明。でも技法の違いよりは、セラピスト自身の個人差のほうが大きい、とよく言われています。

2008/05/02(金) 02:13 | URL | ぽっき # mQop/nM. [ 編集する]

7割って大きいですよね。あ~、わたしも受けてみたいです。特にエドガー↑の分析とか。。。(一部の人以外分り難くてすみません)

2008/05/02(金) 22:02 | URL | ゆみっちょん♪ # I.K6Pi7I [ 編集する]

> 7割って大きいですよね。

ウェイティング・リストで待機していた人たちは、半年だと1割強の人しか治癒してなかった。つまり、自然治癒率というのもあるんだけどね。

ただ、残りの3割の人たちとはじっくりと向き合っていくことになる。数年単位での面接になります。そこあたりが「精神分析は時間がかかる」という「誤解」のもとになってると思う。モルノスの本では、フロイトのカルテを分析すると、6~8週で完治してる患者さんが大半だったらしい。「長くて当り前」ではない。

2008/05/02(金) 23:50 | URL | ぽっき # mQop/nM. [ 編集する]

えっ、ただ「待っているだけ」で治った人もいるんだ、、、。でも良く考えたらそれはそうかぁ。
結構個人差があるんですね。
相性とかもあるのかな。
2008/05/03(土) 00:17 | URL | ゆみっちょん♪ # I.K6Pi7I [ 編集する]

> ただ「待っているだけ」で治った人もいるんだ、、、。

うん。反対に言えば、心理療法というのは「自然治癒」を意図的に起こす方法ということになる。で、そういうとき「タケヒゴの比喩」がよく使われるんだけど、タケヒゴの両端を持って曲げてみると、タケヒゴは真ん中から折れる。それを「タケヒゴの真ん中が弱いからだ」と思って真ん中だけ強化しても、結局はタケヒゴは折れる。「全体のバランスが崩れていて、それが真ん中が折れるという症状として現れている」。そのことに気づく人は自然に治癒する。

そういう発想はそれまでの催眠療法にはなく、フロイトが始まりなのだと思う(まあ、東洋では漢方、西洋でもホメオパシーがあるけど)。それでセーイチさんのように「精神分析というのは治癒というのとは向かう方向性がまた違うかもしれない」ということになる。「症状」よりは「全体のバランス」を見る。ただ、それが「治療法ではない」という意味なら「療法」と名乗るのは詐欺だと思います。やっぱり「治療法として、全体を見るほうが後々良い」という態度でないと。

2008/05/03(土) 00:49 | URL | ぽっき # mQop/nM. [ 編集する]

へぇ~。なんか益々興味が湧いてきました(✪ฺ∇✪ฺ)

>そういう発想

これがコンストラクト全体を捉えるってこと?
2008/05/03(土) 01:46 | URL | ゆみっちょん♪ # I.K6Pi7I [ 編集する]

あ、違うな。この部分は「自然治癒」を指してたんだ。
ごめんなさい、、、寝ながら書いていました。
2008/05/03(土) 12:16 | URL | ゆみっちょん♪ # I.K6Pi7I [ 編集する]

> コンストラクト全体を捉えるってこと

「コンテキスト全体」と書きたかった?

2008/05/03(土) 17:08 | URL | ぽっき # mQop/nM. [ 編集する]

う~ん、そうかも知れません(恥)

そろそろ僕はラボに帰るよil||li(つิ^ิ`。)  
2008/05/03(土) 20:27 | URL | ゆみっちょん♪ # I.K6Pi7I [ 編集する]

Hansさん、どうも。
>転移解釈は、対象を自己ではないものとして見始める準備が整ったときに行われるものだと思っています。

僕は、逆の考え方でして、転移解釈をすることで「対象を自己ではないものとして見始める」のだろうと思っています。むしろ、転移解釈が行われる瞬間というのは、対象と自己との重なり具合がとても大きい時なのだろうと思います。

>そのため、特に治療が初期段階(自己愛段階)にあるときには、解釈は無理に被分析者を分析家から引き剥がすことになりうるので(被分析者に脅威を与えたり、自己愛的な傷つきを生むので)、うちらはこの行為を控えます。

へー、治療の段階で技法の選択があるんですね。Hansさんは、自我心理学、あるいはコフート的な立場の方でしたっけ??

Hansさんが述べた「自己愛段階」というのは、何となく新規まき直しの状態に近いのかなと思ったのですが、少し違うのかもしれませんね。

Hansさんがおっしゃる自己愛段階で解釈を控えるのは、多分、言語もつ作用も関係しているのかなと思いました。言葉というのは、何かを言葉にした瞬間、言葉にしないその他の部分を置き去りにすることが多いから、治療初期で解釈をすると、ズレが明瞭になりすぎるのかなと思いました。

>クラニアンのどんどん解釈(言葉)を与えていくという治療態度は個人的にはしっくり来ないところですよね。

自我心理学の方は、抵抗解釈以外は、ほとんど解釈をしないらしいし、クライン派はよく喋るというのは通説になっているみたいですね^^
ここには、何が治療因子となっているのかという問題がありそうですね。それは、解釈なのか、自由連想なのか、もしくは、もっと違う何かなのか?

2008/05/05(月) 04:05 | URL | のん # - [ 編集する]

>治療の段階で技法の選択

欲動理論・自我心理学・対象関係論・自己心理学を必要に応じて使い分けるというやつ?
2008/05/05(月) 11:16 | URL | 一休 # mQop/nM. [ 編集する]

>のんさん・一休さん

ああ、なるほど。のんさんの転移解釈の捉え方理解しました。確かに僕の考えた方とは逆ですね。

自分はハイマン・スポトニッツが始めた現代欲動論学派(Modern Psychoanalysis)に所属しているのですが、スポトニッツのSVとコフートの訓練分析家が同じ(アイヒホルン)だったせいか、近いものがあります。自己心理学派は欲動を捨てたのに対して、うちらは二元欲動論を支持しているという違いはありますが、自己愛に関する捉え方はとても似ていますね。

うちらは、患者の状態によって、転移を"自己愛転移"と"対象転移"に分けています。自己愛転移というのは、コフートのものとほぼ同じで、いわゆる精神病転移とか呼ばれるものです。対象転移はアナクリティックなもので、いわゆる神経症転移と同じです。この2つめの状態になって初めて転移解釈は与えられるものと考えています。

自己愛とは別名、前言語期と呼ばれており、その名の如く、自己愛の患者さんは言葉を得る前の状態(感情や感覚が優先する世界)にいると仮定しており、そもそもとして解釈を象徴化して理解することが難しいと考えています。

さらにうちの学派では、自己愛神経症(統合失調症やメランコリー、躁、心気症)は、

1)非常にfrustrationを体験しやすく、aggressionをもちやすい。
2)そのaggressionを対象を保護するために自己に向ける。

と考えているため(自己への攻撃というのは、自我機能を断片化させて幻覚や妄想を生じさせたり、自己非難や身体化などのことを指します)、対象を対象と見せることに対しては非常に慎重な態度をとっているんですね。具体的には、特に初期の段階では、治療は解釈ではなくジョイニング(コフートのミラーリングと同じ)と呼ばれる介入を行いながら、治療の場でのfrustrationは患者さんが言語化できる水準を超えない程度にマネージメントされます。

この辺りはウィニコットと似た態度をとっていて、赤ん坊がMeとNot-Meを区別するように、ゆっくりと時間をかけて患者さんのペースで患者さんの成長を待ちます。そういう意味では、自己愛段階の治療は、患者さんに対象を自ら発見してもらう場を提供すると言ってもいいかもしれません。

>自我心理学派とクライン学派の解釈の捉え方

自我心理学にしろ、クライン学派にしろ、解釈は転移抵抗に与えられるものだとの認識のようですが、そもそもとして、転移抵抗の捉え方が両学派ではかなり異なってくるので、自然と解釈の仕方も変わってくるんでしょうね。自我心理学派にとっての抵抗は「話す」という自由連想を妨げるものなので、彼らは、「いつから転移が始まった」という表現をします。

これに対して、クライン学派は予約を取ったときから、オフィスに患者さんが入ったときから転移が始まっていると考えており、抵抗は陰性転移の表現と考えているので、自ずと転移抵抗に与えられる解釈の量と質が違ってくるんでしょうね。

>欲動理論・自我心理学・対象関係論・自己心理学を必要に応じて使い分ける

これはパイン辺りが行っている精神分析理論の統合に関係しているんですかね?

個人的にはかなり難しい印象を持っています。自分は欲動論学派ですが、対象関係論や自己心理学派とはかなり近いスタンスで分析を行っています。必ずしも相反するものではないのではないですが、うーん、どうでしょうね。異なる部分も多いので、何かケースに一貫性をもてなくなるような印象があります(^^;
2008/05/05(月) 12:34 | URL | Hans # g6vs/Cb2 [ 編集する]

Hansさん、丁寧な御返事ありがとうございます。

>欲動論
へー、珍しい学派ですね。現在の日本では、欲動で分析的にものを考える人はほとんどいないからなあ。ただ、個人的には、欲動論をもう一度、読み直す必要があるのだろうとは思っています。フロイトはやはり、欲動論を最後まで基盤に置こうとしていたように思うから、そこにはやはり、重要な意味があるのだろうと思います。

>対象を対象と見せることに対しては非常に慎重な態度をとっているんですね。具体的には、特に初期の段階では、治療は解釈ではなくジョイニング(コフートのミラーリングと同じ)と呼ばれる介入を行いながら、治療の場でのfrustrationは患者さんが言語化できる水準を超えない程度にマネージメントされます。

ウィニコットの「環境としての母親」論を技法化した感じのイメージがありますね。治療者は「対象としての母親」として、まだ現れてはいけないのでしょうね。

Hansさんの学派は、何となく、技法論としては、バリントに近いイメージがあるんだけどなあ。。。
何か、どこかでつながってるんですかね??

>自我心理学にしろ、クライン学派にしろ、解釈は転移抵抗に与えられるものだとの認識のようですが、そもそもとして、転移抵抗の捉え方が両学派ではかなり異なってくるので、

多分、クライン派は、そもそも「抵抗」という考え方をあまりしないように思います。Hansさんがおっしゃる通り、従来の抵抗と呼ばれる現象は、そういう対象関係の1つとして扱われるのだと思う。そして、最も「表層」にある対象関係から解釈していくわけですね(この「表層」という言葉も、クライン派と自我心理学派では、その意味を違えますが)。そして、この「解釈をするという機能」をずっと維持し続けるのがクライン派ですね。

今、ふと思ったけれど、考えてみると、クライン派には、「転移に気がつくことへの抵抗」という概念が、理論の基盤にはあるかもしれない。クライン派では、無意識的対象関係を解釈すること自体が、抵抗解釈になっているのかもしれないなあ。



2008/05/06(火) 00:53 | URL | のん # - [ 編集する]

>欲動論
そうですね。日本では、欲動論=古典学派となるので、時代遅れの感がありますよね。うちの学派は自己心理学やラカン学派ができたのと同じくらいに、アメリカで出来て発展してきている学派なんですが、日本には「精神分裂病の精神分析」のというスポトニッツの初版の本が神田橋先生に訳されたっきり、行き渡らなかったですね。トレーナーがいないので、仕方がなかったのでしょうが。スポトニッツはアメリカで最初に精神分析を統合失調症に適用した人なんですよ。同じ時期に、イギリスではスィーガルが同じく精神分析を統合失調症に適用しているのですが、後者は流行り、前者は流行らなかったですね。スィーガルは理論や技法を修正しなかったので、他の分析家からすると受け入れやすかったのかもしれませんが、うん、残念です。

日本で有名な分析家でうちの学派と関係していると言えば、ジョイス・マクドゥーガルがうちの学派の名誉会員になっていたり、オグデンがうちの学派で最初トレーニングを受けていたって感じですかね。後の有名どころは、こちらでは名が通っていますが、日本では訳本がほとんどでていないので、知らない人が多いかもしれません。うちの学派のジャーナルはPEPで検索することができるので、もしご興味がありましたら、いつかご参照下さい。

>>個人的には、欲動論をもう一度、読み直す必要があるのだろうとは思っています。

こう思ってくださる方が日本は少ないので、こういうコメントは個人的に嬉しいです(笑)

>ウィニコット理論

ウィニコットとは相性がいいんですよね。スポトニッツとウィニコットは手紙のやり取りをしていて、互いの理論が近似していることを確認しあっているくらいなので。バリントとも共有できるものは多々あると思います。自分自身やはりこの辺りの論文は読みやすいですね。

>転移に気づくことへの抵抗
これはおっしゃるとおりだと思います。「話す」ことすらActing-inであるクラニアンにとって、抵抗はそれこそ層になって何重にも張り巡らされているという感がありますね。Acting-inの奥にさらにActing-inがあり、またさらに・・・というふうに。

これはクライン学派に限っての事ではないですが、治療者への反応として起こる抵抗(転移)は、性格に組み込まれた抵抗(もっと原始的な情緒的体験)の防衛として喚起すると理解しています。
2008/05/06(火) 01:26 | URL | Hans # g6vs/Cb2 [ 編集する]

>これはパイン辺りが行っている精神分析理論の統合に関係しているんですかね?

私は精神分析プロパーではないので、詳しくないのですが、パインは理論の統合というより、患者の中には欲動・自我・対象・自己と呼ばれる現象が存在し、患者によって主要なテーマが異なるため、四つの「視点」を持つことが役に立つということを強調していますね。

患者の実感に添う形での解釈を可能にするためには、どれか一つの理論に縛られるより、目の前に居る患者さんのあり様に沿っていけるよう複数の視点を持ちましょうよ、というのは共感できるところです。
2008/05/06(火) 09:55 | URL | 一休 # mQop/nM. [ 編集する]

そうですね、視点を持つということが大事というのは同感です。それぞれ異なる視点で人間の発達を描いているので、メタ・レベルで検討したり、論じたり、研究するという点においてこの差異は非常に意味のあることだと思っています。

しかし、これが実際の患者さんとの関わりとなると難しいと思うんですね。解釈や介入は仮定する心的発達に沿って行われるものなので、それぞれの理論・技法にはそれぞれ異なったトレーニングが存在するんです。上記の理論を学ぶことはあれ、病態やケースによって、軸となる論を変える(例えば、自我心理学を中心に学んだ人が、患者によって自己心理学の理論に切り替えて関わる・解釈/介入をする)ということは難しい/できない気がしています。
2008/05/07(水) 20:20 | URL | Hans # g6vs/Cb2 [ 編集する]

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