発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 強迫神経症の一症例に関する考察(精神分析 臨床心理 心理療法)
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S.フロイトの1909年に発表された論文「強迫神経症の一症例に関する考察」について。

 本論文はフロイトの症例研究といわれる5つの論文の内のひとつである。5つの論文に登場する症例はそれぞれ、ドラ・ハンス少年・シュレーバー・ウルフマンとこの論文のラットマンである。

 しかし、ドラは中断ケースであり、ハンス少年は父親が分析し、フロイトは直接分析しておらず、シュレーバーは自伝を分析したものであり、ウルフマンは最後まで分析したが、論文では幼少期の病歴しか載せていない。その点、ラットマンは、転移性治癒ではないかと言われているが、最後まで分析を完了させ、その最初から最後に至る詳細に分析を載せている。そのようなところから、この論文は他の4つの症例論文とは大きく違う点であると思われる。

 さらに、珍しいことにフロイトのプロセスノートがそのまま現存しており、日本語訳も出版されている。

「ねずみ男」精神分析の記録

S. フロイト(著) 北山修 高橋義人(翻訳) 「ねずみ男」精神分析の記録 人文書院 2006年

 このようなプロセスノートと見比べながら、フロイトは症例の中から何を見て、何を取り扱い、何を取り扱わなかったのかが分かるのではないかと思う。訳者あとがきでは、フロイトはラットマンの父親との関係を中心にして解釈していたが、実は母親との関係も重要だったのではないかと書かれていた。

 確かにフロイトの理論を見ると、どうも母親の役割や位置づけをあまりしていないようで、その重要性を取り上げていないのである。この母親の重要性が取り上げられるのは、クラインやウィニコットを待たなければならない。

 このようなところはあるが、精神分析という文脈の中で強迫神経症のメカニズムについて詳細に検討されていることは大変意義深いものであり、そこからさまざまな分析的な人格理論や防衛理論へとつながっていくのである。反動形成・思考の全能・肛門期固着など重要タームもみのがすことができないところである。

 現在では強迫神経症は強迫障害という名に変わり、脳科学的な見地から生物学的な要因についての研究が積み重ねられている。そこでは薬物療法や行動療法などの効果が実証されているところもあるので、精神分析的な方法だけで強迫の治療をすることは難しいかもしれない。しかし、強迫神経症者のパーソナリティやその人間関係・対人関係などその人の全体像を捉えるためにはこのような分析的な理解をどこかでしておくことも必要ではないかと思われる。


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コメント
この記事へのコメント
トラックバックしてみましたが、うまくいったかどうか。なんかうまくいかないんですね。いつも。

確かにフロイトの理論を見ると、どうも母親の役割や位置づけをあまりしていないようで、その重要性を取り上げていないのである。>

こういうことは、よく言われがちなのだが、私はどうも違うと思うんですね。

フロイトも母親との関係が重要なことは承知していたけど、それは当たり前なことで、特筆すべきは父との関係ということなんだと思う。

「鼠男」については、「思考の万能」あるいは「思考の性愛化」という概念にびっくりした。なるほど、思考において根本的なことは、それによって現実を動かせると信じることなんだと。魔術的思考が思考の原点なんだということですね。

細かいことですが「強迫性障害?」
2007/09/27(木) 23:43 | URL | 重元 # qgv1q6Fs [ 編集する]

強迫性障害です。
フロイトだけだと父親と息子との関係だけで女子の自分はピンと来なかったんです。
「それは当たり前なことで・・・」なるほど・・・・。
行動療法(主治医によると今流行ってるからねー)は遠慮したいです。
2007/09/28(金) 23:02 | URL | みーちゃん # - [ 編集する]

母親っていうのは、男の子にとっても女の子にとっても最初の対象であり、というより最初は対象ですらなく自分の一部のように思える存在なわけです。対象としての母親は目にも見え手にも触れる実体的な存在であり、そこには子供の直接的な欲望が向けられます。ところが、いろいろ事情があって子供は母子関係に安住できなくなり、父親という、遠くて抽象的な対象に向かわざるをえなくなる。それは、子供の心に取り込まれ、超自我としてがっしり根を下ろして、自我に厳しい圧迫を加えてくるのですが、それと同時に自我は超自我に愛されることを無上の喜びと感じ、すすんで超自我に気に入られるような振舞いをしようとするわけですね。
というようなことをフロイトは述べているのだと思います。

強迫というのは、病的なものであってもなくても、人間に普遍的にある性質なのでしょう。それは、自我の超自我への怖れとマゾヒスティックな愛情のあらわれなのだと思います。
2007/09/29(土) 22:26 | URL | 重元 # qgv1q6Fs [ 編集する]

トラックバックOKでしたよ~。なんかどっか不具合があるんですかね?

母親のことについてですが、もちろんフロイトはその重要性はとりあげていますね。その点、ちょっと記事は修正する必要があるかも。

ただ、僕がここで何を言いたかったのかというのをもう一度考えてみたんですけど、フロイトは「重要である」としただけで、それ以上のところについては突っ込んで深めていかなかったところはあるかなと思います。

どういう風に重要なのか、母親との間でどういうことが葛藤的になるのか、どういう場合に良い関係が築かれるのか、最初の対象である母親とどのように乳児は出会うのか、出会わないのか、といったもっと原初的なところにアプローチしていかなかったとは思います。

これらがなぜ深めていかなかったのかということは、もちろんフロイトと母親との関係があるでしょう。また、フロイトの患者さんは神経症レベルの人が多く、精神病レベルの患者さんや乳幼児といった人との分析の経験がすごく少なかったことが一つの要因かもしれません。

ちなみに、「強迫障害」ではなく、「強迫性障害」の誤りですm(_ _)m
2007/09/30(日) 20:51 | URL | セーイチ # 6fwIY24o [ 編集する]

当時のウィーンの上流家庭では、乳母が母乳を与えてただろうし、食事もメイドさんがやってたんじゃないかなあ。そんな場合の「母親」をイメージするのは難しい。

フロイトの母親論を「ナルシシズム入門」に探すと、依託型対象選択理論だと思う。母親の身体が、自己保存欲動とリビドーとを結びつける働きをしている。この機能がうまく働かないと自己愛に関する障害が生じる、と。でも「あるいは、世話をしてくれる人々」となってるから、「良いメイドさん/悪いメイドさん」もあったということか(笑。

結局、核家族化によって、いろいろな人たち全体でカバーしていたことを「母親」一人に負わせてしまったんだろうね。しかも、一昔前は十代で普通に何人も子どもを産んでる。そのツケが「現代」に回されてるように思うなあ。

2007/09/30(日) 23:12 | URL | ぽっき # mQop/nM. [ 編集する]

ちょっとズレテルかもしれないけれど、フロイトの「女性同性愛の一事例の心的成因について」を読むと、母親との関係性はかなり重視されているような印象を受けました。つまり、母親に対する強い情愛を抱いていた少女が、弟の誕生がきっかけとなり、母親の「代替物」として他の夫人に恋着するようになった、と。でも、結局エディプスコンプレックスと結びつけていますね。

核家族化によって、子育てしづらくなり、さらに少子化が進む。悪循環ですね、、、。でもそれで「子育て」産業が発達してゆくのですよね。風が吹けば桶屋が儲かる、みたいな。

それでも、ゆみっちょん♪は子育て楽しんでおります。
2007/10/01(月) 00:02 | URL | ゆみっちょん♪ # uYTnJlCo [ 編集する]

フロイトは、女性の分析においては母子関係に重点をおいていますね。主にペニス羨望による母への不満という側面から。どこの論文かは忘れましたが、女性は結婚すると、かつての母との関係を夫婦関係の中に再現しようとする、という趣旨の言及がありました。夫は男なのにそこに母を投影するというところが面白いなと。それは、もしかするとフロイト自身の夫婦関係の中で実感されたことかもしれないなと思いました。

「フロイトは母子関係を重視しなかった」という言い方には、婉曲な形でのフロイト理論への抵抗(特にエディプスコンプレクスおよび近親相姦願望への抵抗)といったものを感じてしまうんですね。男の子の場合には、エディプスコンプレクスは母を性愛の対象とすることじゃないですか。そんな理論が「母子関係を重視してない」と言うってことは、暗に「母子関係は性的関係などではなく、情愛に満ちた関係である」ということを主張したいのではと思ってしまいます。
あげ足をとるようですが、「強迫性障害」から「性」が抜け落ちたのは‥‥。いや単なる偶然ですね。失錯行為の分析を乱用することはつつしねばなりません。

話はフロイトからそれていきますが、核家族化というのは、ことの是非は別として現代においては自然な流れなのじゃないかと思いますね。いろんな要因からそうなっていったのでしょうが、あえて「誰がそれを望んだのか」と問えば、若い世代の側、それも新たに母になる女性が自由を望んだということのような気がします。その結果として、当の母親に負担がかかることになったのも事実でしょうが、それでもその母が大家族に戻りたいかといえば、そうではないでしょう。
2007/10/01(月) 21:00 | URL | 重元 # qgv1q6Fs [ 編集する]

女性が核家族化を望んだかとなると、あやしいなあ。核家族は高度成長期に、農村部から工業地帯へ大規模な人口移動があったからでしょう。当時の若い男性たちは「金の卵」とおだてられて汽車に乗り、社宅に詰め込まれて生活していた。女性から見れば、適齢期の男性たちは地元から動員され遠い街に住んでたのだから、そこに嫁入りすれば「核家族」になります。たいていの女性は、自分の仕事を辞めて夫の勤務先に付いていく。しかも出世すると転勤するから、地域のネットワークも維持できない。孤独です。

まあ、地元の「大家族」に嫁入りしても、それは夫方の家族です。自分の家族ではありません。昼も夜も「勤務」してるようなものですから、それも嫌でしょう。そのどちらかを選ぶことが「自由」と言えるようには思えないけれど。

で、核家族化は必然であるとして、そうなると何が「子育て」において欠乏してしまうのか論じるのが心理学の役目かな、と思います。社会的にカバーできることなら、それが行政サービスになって誰もが利用できるようになるように提言するとか、ね。そういう臨床研究はあっても良いかな、と思う。

2007/10/01(月) 22:32 | URL | ぽっき # mQop/nM. [ 編集する]

うちは間に合ってますけど、昔ながらのおばあちゃんの知恵、みたいなものが特に必要なんじゃないかな?育児書どおり、マニュアルどおりの育児はちょっと心配です。自分で子どもを産んで、初めて赤ちゃんを抱いたという人も結構多いし。「おばあちゃん貸し出しサービス」とかがあったら有難いですね(笑)。
これって、研究するとしたら社会心理学系の研究になるのかな。
2007/10/01(月) 23:42 | URL | ゆみっちょん♪ # uYTnJlCo [ 編集する]

おばあちゃんの知恵袋ですか、、、
時代の流れにそぐわない子育てを強要されてもなあ、、、

マニュアル通りではなく、それぞれの親が自分の子どもに合った育て方をすればいいのだと思います。親の愛情が子どもにとっての暴力とならないように。親が愛情をかけているつもりでも、それは親の欲求を満たすだけ子育てになってはいないか、今の親は再確認する必要があると思います。

2007/10/02(火) 09:31 | URL | Y # - [ 編集する]

ですね。
「こうでなければ」っていう子育ては危険じゃないかと思います。結局「その子自身」を見てあげていないわけだし。すべての子どもに当てはまる子育て方なんてあるワケがありません。だから、ある程度参考にするのはいいのも知れないけれど、育児書なんて必要ないと思う。
良かれと思ってしたことが、親の自己満足だけで終わらないように、本当にその子にとって良い事なのかいつも内省する癖をつけるのは大切な事だと思います。
昔ながらの子育て、良いですよん☆どんな時代においても大切な、普遍的なものが含まれていると思うのです。今の若いお父さんお母さんはもっと聞く耳を持つべきだと思う(わたしも含めて)。
おばあちゃんをレンタルしてきて、「トメさん心臓発作」とか事が起きても責任は負えませんが、、、^^;;
2007/10/02(火) 10:24 | URL | ゆみっちょん♪ # uYTnJlCo [ 編集する]

マニュアルですべて済ますというわけにはいかないでしょうが、今のような時代には最低限の知識を知るためにも必要ではあるでしょうね。育児書も病気の時の対応とか、標準的な発達のところとかはとても役に立ちます。後は中学の家庭科で、料理とか裁縫はどうでもいいから、徹底的に育児のことをシュミレーションしながら学ぶようなカリキュラムを作ったらどうかな。
愛情っていうのはむずかしいけれど、それが育まれるような前提条件を整えるためのサポートということがまずは大事ではないでしょうか。
2007/10/02(火) 12:32 | URL | 重元 # qgv1q6Fs [ 編集する]

最低限の知識として育児書を活用するのも必要なのかも。親の勘っていうのはある程度正しいと思いますけれどね。
育児のカリキュラム、良いですね。実際に子どもが生まれてみないと分からないことって沢山あるけれど、生まれる直前に受ける母親教室のようなものだけじゃちょっとなー、と実感です。
あれれ?「強迫性障害」のお話だった筈なのに、いつのまにか??すいません。。。(*´0`人)
2007/10/02(火) 21:10 | URL | ゆみっちょん♪ # uYTnJlCo [ 編集する]

強迫性障害は、双生児研究から遺伝性の高いものだと分かったし、最近セロトニンの分泌が低下してる状態だと分かってきたこともあり、フロイトの頃とは違った捉えられ方がしています。生育歴よりは、遺伝と現在の環境因の相関によるもの。

僕のイメージでは、他の人なら鬱状態になり動けなくなるストレス状況で、強迫性遺伝子を持つ人は最低限の行動だけは取ろうとする。そういう、自動的な生存戦略として「症状」があるように思います。もちろん、場にそぐわない行動を反復してしまうときも多く、それが二次的なストレスを生み出すから困るんだけど。

ラットマンでは、フロイトの解釈を聞くたびにラットマンは「安心」をするんですよね。意味不明な焦りが、とりあえず分かったものとして処理されていく。父親に絡めようが、母親に絡めようが、どちらでも構わなかったんじゃないかな。ただ、ラットマン本人が知的な人で、理解をしたかった。それで「ああ、そうか」と腑に落ちることで治っていく。フロイトの解釈は、ストレス低減的なのです。

2007/10/02(火) 23:58 | URL | ぽっき # mQop/nM. [ 編集する]

強迫性障害の発症に遺伝的要因の関与が大きいとすると、やはり父か母かということは重要なことになってくるでしょう。
フロイトっていうのは、意外に遺伝とか生得的なものを重視したんですね。
あるケースがなぜ病気になったかということは、いろいろな生育歴なんかから解釈はしているけど、同じようなコンプレクスによってある人は病気になり、別の人は病気にならないのはなぜかという問いに対しては、素因によって決まるというようなことをいっている。
さらに、自我、エス、超自我の中では、エスは遺伝するとはっきりいっている。
超自我についてはいろいろ迷っているが、現実の親の厳しさよりも遺伝的な要因によって決まるとのではというようなことをいっている。
つまり、内なる父親である超自我は、現実の父親よりもむしろ遺伝的要因によって決定づけられるところが大きいということになる。
たぶん強迫性障害になりやすい人というのは、厳しい超自我とそれに愛されたいという傾向を遺伝的に強くもっているのではなかろうか。
それにセロトニンレセプターの遺伝子型がもしかしたら関与しているのかもしれない。
2007/10/03(水) 00:39 | URL | 重元 # qgv1q6Fs [ 編集する]

ええ、強迫の人の家族に会うと、お父さんかお母さんのどちらかに「強迫の香り」がするときがあります。それに向いてる仕事をされてたりしますね。銀行員とか教師とか警察官とか(たとえばの例ですけど)。「お堅い」という形容詞が合うタイプで。

進化心理学的に考えると、そうした遺伝子は何か適応の役に立っているわけです。「お堅い仕事」も社会には必要だから、人類史上、遺伝子プールの中に保存されてきた。それはそれで良いのだろうと思います。「厳しい超自我」を作り上げるにしても、生活に困るほど厳しくなければ良いだろうから、そこはまあちょっと、他の要因を組み込めば良い。

そういうわけで、子育てに「親」以外の大人たちも関わろうというアイデアです。ゆみっちょん♪さんの「おばあちゃん貸し出し」も方法の一つですね。悪くないんじゃないですか? 家の中の「強迫の香り」を少しやわらげる。まあトメさんが「お堅いおばあちゃん」だと、それはそれでなんですけど。

2007/10/03(水) 01:26 | URL | ぽっき # mQop/nM. [ 編集する]

あはは、悪くないですよね~?ついでに、「おじいちゃん」もセットで貸して頂けたら更に有難い。でも、1,2時間では余り効果が現れないでしょうから、週単位、月単位だったらもっと有難いですね☆
トメさんが脅迫者(←あれ、この使い方でいいのかな)だった場合は、、、逆効果かも。
ま、他人の場合はそこまで影響しないような気がするし「チェンジ」してもらえば良い訳ですしね。
私ごとで恐縮ですが、ゆみっちょん♪の実家では、祖母はわたしが生まれたときには他界していて、祖父は全国を飛び回っていて殆ど家にいなかったし、わたし自身は一人っ子で、とっても寂しい思いをしたので、こんなシステムがあったら良いなって、小さい頃からず~っと思ってました。

強迫性障害の発症には、遺伝的な要素も関係しているのですね。+環境の要素も大きいみたいですね。この遺伝子をもっている人が作り出す環境そのものが、素因になりうるでしょうから、その家系は突然変異とか、180度違う遺伝子が入ってこない限りはずっと「強迫性障害」からは免れないことになるのでしょうね。
でも、社会の中ではそういった「何でもきっちりとこなしてくれる人」の役割って重要ですし、この遺伝子が無くなってしまったら大変なことになると思います。
「進化心理学」って、初めて聞きました。面白そうですね。ちょっと勉強してみようかな。

2007/10/03(水) 12:25 | URL | ゆみっちょん♪ # uYTnJlCo [ 編集する]

おじいちゃんも良いですね。日がな一日、縁側でお茶を飲んでるだけのおじいちゃんとか。そういうのが良いなあ。子どもが虫を取ってきたら、そのおじいちゃんに見せて「ほおほお」と言ってもらう。そういう仕事のおじいちゃん。

進化心理学は、NHKブックスでスティーブ・ピンカーが何冊か出てると思います。入門書としてはそれかな。最近面白かったのはシャロン・モアレムの『迷惑な進化』(NHK出版)。進化医学の本で、貧血や糖尿病、コレステロールなどが、本来は適応のために必要だったことを分析してる本です。遺伝子治療が可能になってきたことで、「病理」とされたものが本当に病理であるのか、見直すべき時期に来ています。「病理=悪」という単純な疾病観で遺伝子をいじってしまうと、あとで取り返しのつかないことになるかもしれない。

そんな難しいことではないと思ってます。向いている人が向いていることをする。向いてないことは、向いている人の助けを借りる。それだけのことです。僕はこれを「ムキムキの原理」と呼んでます(w。

2007/10/03(水) 19:34 | URL | ぽっき # mQop/nM. [ 編集する]

うんうん、そういうおじいちゃんが居てくれると良いですよね。居てくれるだけで、子どもは安心するというものです。重要な任務です。

スティーブ・ピンカーとシャロン・モアレムの『迷惑な進化』ですか、メモメモ。今度本屋さんに行ったらチェックしてみますね。以前教えて頂いた、河合先生の本も買いましたよ~。ぽっきさん、買わせ上手!
こちらに遊びに来させて頂くようになってから、どんどん読むべき本が溜まってきています。

「ムキムキの原理」ですか。なんだかとっても楽しくて語呂もいいから、覚え易いですね。
いつも思うのだけれど、ぽっきさんって人に元気を与えたり、ワクワクさせるようなコメントが出来てスゴイなぁ。きっと、実生活でもそういうお人柄なのだと思います。

、、、それにしても、管理人さんの意向に関係なく、訪問者同士で話が進んでいってしまうブログって、初めて見ました(笑)。
これも、セーイチさんの人徳なのだと思います。


2007/10/03(水) 22:30 | URL | ゆみっちょん♪ # uYTnJlCo [ 編集する]

進化心理学をやるなら、その前に進化生物学をやらなきゃ。
まずは、原点のダーウィンでしょう。
フロイトも読んでましたし。
実は数年前に刊行がはじまった「ダーウィン著作集」なんですが、あまりに売れ行きが悪いので途中で止まっちゃっているんですね。
「人間と動物における表情」という本を是非読みたいのですがね。

そこで、ゆみっちょん♪さんにもダーウィン著作集の売り上げ向上に協力してもらいたい。
ダーウィン「人間の進化と性淘汰1・2」
これ、実におもしろい本なんですよ。フロイトもトーテムとタブーを書くにあたって、ここから原始群族仮説を借用しているんです。
それに、性淘汰というのはダーウィンの時代にはあまり評価されなかったのに、最近になってにわかに注目されるようになっているんです。

そろそろ、セーイチさんも学会終わって帰ってこられてるんですかね。
2007/10/03(水) 23:27 | URL | 重元 # qgv1q6Fs [ 編集する]

もう学会から帰って来てますよ~(笑)。なかなか面白い議論になっているけど、どうやって入ろうかと考えてました(^^ゞ

ちなみにブログでこれだけ盛り上がってくれているのは僕の人徳じゃなくて、僕の足りない知識や認識をみなさんがサポートしてくれているからかなって思います。

この場を借りてお礼を言いたいと思いますm(_ _)m
2007/10/03(水) 23:51 | URL | セーイチ # 6fwIY24o [ 編集する]

あはっそうなんですか?じゃ、ダーウィンも買わなきゃ!ですね。
も~、どんどん本が山積みになっちゃいます。。。
重元さんも、買わせ上手~!

フロイトさんはダーウィン学説や、ゲーテの「自然」にもはまっていたみたいですね。
ゲーテも読まないと。
フロイト全集、実はさっきやっと17巻を読み終えたトコロです。
どこまで消化できているのか自分でも分からないけれど、面白かった。読み応えありますね。
次は、買ったままず~っと放置していた河合先生の本に突入の予定です。

ボチボチやってゆきます(゚▽^*)


2007/10/04(木) 00:06 | URL | ゆみっちょん♪ # uYTnJlCo [ 編集する]

> ゆみっちょん♪さん
たぶん、セーイチさんがBBSをやってたころのノリが残ってるからかな。

> 重元さん
「人間と動物における表情」は気になりますね。
哺乳類には養育期間があるため、コミュニケーションとしての表情が作られた。
ダーウィンが鳥類に表情を認めていたか、気になります。

> セーイチさん
おかえりなさい。学会は人大杉。

2007/10/04(木) 00:07 | URL | ぽっき # mQop/nM. [ 編集する]

あ、セーイチさん、お帰りなさい!
学会で大活躍されてきたようですね。
お疲れ様でした☆
2007/10/04(木) 00:08 | URL | ゆみっちょん♪ # uYTnJlCo [ 編集する]

父親も同じ強迫性障害。
結婚してから発症してる。
大嫌いなのに同じ病気なんて最初は認めたくなかったなー。
母親は掃除ばかりしてるひとで誰にでも支配的。「お前は何にも出来ない」と云われ続けたー。
遺伝じゃしょうがない?
2007/10/07(日) 18:26 | URL | みーちゃん # - [ 編集する]

半分仕方ないかもしれない。
たぶん、強迫観念が浮かんでくるのは仕方ない。
それは遺伝子さんがやってることだから。
強迫観念が浮かんできた後どうするかにはチャンスがある。
しつこくこびりつくときとそうでないときがあると思う。
あまり気にならず、すっと消えていくとき。
その「例外のとき」を自分で調べてみると、
なにか条件があるだろうと思う。そこがポイント。

強迫性遺伝子の研究者になってやろう、という気持ちがあると、
なにぶん同じ強迫で困っている人もいるから、
他の人たちにも参考になる「発見」があるんじゃないかと思います。

2007/10/08(月) 00:32 | URL | ぽっき # mQop/nM. [ 編集する]

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2007/09/28(金) 08:41:09 | 重元寛人の徒然なるままにフロイト
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