発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 モーセと一神教(精神分析 臨床心理 心理療法)
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 1939年に発表されたフロイトの宗教論・文化論についての論文である。精神分析は神経症の治療技法として創出されたが、人間理解の方法として宗教や文化の解釈と再構成にも利用されることがある。本論文はその一つである。

 本書は精神分析的な視点からユダヤ教の成立史やモーセの出エジプトについて論じている。着想は独特であるが、現代的な歴史学や宗教学からは「事実に即していない」ということであまり取り上げられることは少ないようである。僕も詳しくないが、多分フロイトの言っていることは「歴史的事実」としては間違っているのだろうとは思う。

 しかし、本書を単なる歴史書や宗教書として見ると、その価値はあまりないように思うが、視点を変えて臨床のモチーフやメタファーとしてみるとまた違った色合いが見えてくるように思う。

 例えば、「モーセ、ひとりのエジプト人」や「もしもモーセがひとりのエジプト人であったとするならば・・・」などの章では、モーセの名の由来や出生についての探索が行われている。これは臨床の中で言えば、治療者が患者の生育歴や早期外傷体験の探索・想起などを行っているところが目に浮かんでくる。患者の語られる材料をもとに、自由連想を駆使し、一つ一つ確かめていく。これはきわめて臨床的なことである。

 また、モーセという人物を実在のものとせず、心的内容物のある象徴として見て、ユダヤ教をスクリーンとして、そこに一人の人間の無意識や乳幼児体験を写しだすことができているように思える。宗教における戒律や取り決めは個人の超自我に当たるだろう。

 すなわち、フロイトはモーセやユダヤ教の分析を行っているように見えて、それはメタファーとしてフロイトの臨床や分析技法を書き記していると理解することができる。本書を歴史書として見るか、臨床を記述している書として見るかで、かなり大きく異なってくるだろうと思われる。


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コメント
この記事へのコメント
この本は、エドワード・サイードによって取り上げられ「パレスチナ問題を解決するための視点がフロイトによって提示されている」と読み込まれている、現代的意義の高い論文です。臨床のメタファーだけだと、ちょっとさびしい。

ユダヤ人であるフロイトが晩年に「ユダヤ的であるとは何か」を考察してる。これ、死ぬ前の最後の最後。のんびり隠遁生活を送ってれば良いものを、同胞から恨まれるのを覚悟で「民族的アイデンティティの虚偽性」を暴いている。もし河合隼雄が「日本人なんていませんでした」と言ってから死んだら、凄い衝撃になるだろう(まあ、できないだろうけど)。フロイトはそれをやってみせた。オーストリア人であることにも背を向け、ユダヤ人であることにも背を向けた。自分自身の存在基盤と格闘するのが「真の分析家」である。それを示してみせた、カッコいい論文です。
2007/07/07(土) 23:08 | URL | ぽっき # mQop/nM. [ 編集する]

また難しそうな本ですね、、。
わたしのような、素人向けではないんだろ~な。
いつかは必ず読んでみたいです。

「脱アイデンティティ」ですか。
何者にも、属さない自分。と言った感じなのかな?
確かにカッコイイ^^

でも当時は皆「え?」と思ったでしょうね。
2007/07/09(月) 01:22 | URL | ゆみっちょん♪ # I.K6Pi7I [ 編集する]

そうそう、カッコイイっす。

当時フロイトはナチスに監視されていたのを、ユダヤ人ネットワークの力でイギリスに亡命します。でもすでに癌にかかっていて残り1年の命。その状況で「ユダヤ人の民族意識には、共犯意識がある」というこの本を書くのです。これ、ユダヤ人ネットワークから見たら、恩を仇で返すような裏切り行為ですよ。フロイトには、死ぬ前に是非明らかにすべき「何か」があった。たとえ義理を欠いてでも。

サイードが『フロイトと非ヨーロッパ人』という講演でこれを取り上げ、今の歴史学が取り組んでいるポストコロニアリズム(植民地時代の後の状況)の先取りをフロイトに見ています。植民地側は支配者側を排斥することで民族の独立を勝ち取るのだけど、そのときの殺害行為を隠蔽するために頑なナショナリズムを育ててしまう。ところが不思議なことに、このナショナリズムは「相手の言語・宗教・習慣」で出来ています。フランスの植民地が独立すると、その公用語がフランス語である、みたいに。

相手の市民を殺すことでますます対立を深めるパレスチナ問題を、テロ対策を名乗り中東を蹂躙するアメリカのグローバリズムを、さらにアジア・アフリカの民族対立の根源を、サイードはフロイトから読み取っています。
2007/07/09(月) 01:48 | URL | ぽっき # mQop/nM. [ 編集する]

そのようなバッググラウンドがあったのですね、、、。
「民族意識」のなかにある悪であったり、罪であったり(正義という名目の殺人のような物)。たとえ亡命を手助けしてくれたユダヤ人であっても、それを明らかにせざるを得ない理由があったのですね。これが亡くなる直前だったというのも興味深いですよね。きっと、当時の社会情勢ではなかなか声だかに叫べなかったけれど、本質にあった問題で、二度と同じ事を繰り返して欲しく無い、という彼の強い思いが伝わってくるような気がします。
繰り返してますけれどね^^;;
やっぱり人間って。。。
2007/07/09(月) 09:28 | URL | ゆみっちょん♪ # I.K6Pi7I [ 編集する]

こんにちは。
私は、フロイトの言っていることは歴史的事実としてみても、かなり真実を言い当てているように思いますし、歴史書・宗教書としても革命的な内容だと思います。すごすぎますね。

ややこしい歴史考察もありますが、反復や要約も多いので知識がなくてもなんとか読めます。またところどころに挿入されている分析理論の解説がわかりやすいので、ここからフロイトに入るというのもありだと思いますよ。

私のブログでもちょうど読んでいるところなのでよろしく。でもネタバレしまくりなので、まずはこの本の方を読んでいただきたいですね。
2007/07/09(月) 12:52 | URL | 重元 # qgv1q6Fs [ 編集する]

>ゆみっちょんさん

繰り返してますよね。この反復強迫。1939年は第二次大戦の始まりつつある前夜。フロイトは、自分に残された最後の仕事を「人類の病いの治療」だと考えたのでしょう。「民族と戦争」という病い。残念ながら第二次大戦は起こり、この治療は今も課題として残されている。「あなたのアイデンティティにある犯罪性に気づけ」と言ってるんだと思う。解くのが難しい課題だな、と思います。

>重元さん

えー! やっぱり難しい本ですよ(笑)。旧約聖書と歴史書に当たりながら、僕は読みました。でも、モーゼ以前にはユダヤ人に「ユダヤ人」という民族意識はなく、モーゼ殺害によって、それ以前から「ユダヤ人」が存在したかのように振る舞い始める、という視点は画期的だと思いました。だよなぁ、縄文時代人は自分たちを「日本人」とは思わなかったろうなあ。じゃあ、「いつ」からなんだろう?
2007/07/09(月) 13:01 | URL | ぽっき # mQop/nM. [ 編集する]

>ぼっきさん

日本人が日本人であることを意識するのは、やはり外との関係によったのではないかと思います。それも必ずしも友好的ではない関係に。

古事記とかは、ダイジェスト版とかで内容を知るだけですが、あの「国譲り」の話はどうも妙ですよね。一度考察してみたいことだとは思いますが、とてもそれだけの力量が‥‥。

フロイトが「トーテムとタブー」で一度だけ日本の天皇に言及しているところがあって、フレイザーの伝え聞きの孫引きなのでかなり荒唐無稽系ではあるのですが、なかなか本質をついているところもあるなと思いました。
2007/07/09(月) 18:22 | URL | 重元 # qgv1q6Fs [ 編集する]

日本の「神」は、菅原天神のように「暗殺された人物の神格化」ですから、天皇家も一度血筋が絶えてるだろうと思います。暗殺で。殺害者のほうは、自分の正統性を保証するために「国史」をまとめようとする。最初に国史をまとめた天皇が一番怪しいことになります。

岡田精司の説だったと思いますが、古事記の中で「神」の付く天皇は3人います。神武、崇神、応神。どれも「初国しろしめす天皇」という形容詞が付いている。つまり3つの家系神話があり、それを後から一本に繋ぎ直した痕跡が残ってるわけです。すると、今の天皇家は(一番後で出てくる)応神天皇を初代とする家系でしょう。そして先行する2つの天皇家を滅ぼして、自分の正統性とした。応神天皇は朝鮮半島も統合したことになっている天皇です。先代の仲哀天皇が死んだ後、一年以上経ってから生まれてるから、かなり嘘くさい人物。

とはいえ、応神天皇もまだ神話的存在で、それを祖先とすることで都合の良い天皇が後にいたんだろうな、と思うんですけどね。誰なんでしょうね? 継体天皇のところで一度断絶があるから、国史をまとめたのはそこあたりかな。
2007/07/09(月) 20:30 | URL | ぽっき # mQop/nM. [ 編集する]

色々あった、というか、なんだか殺伐としていたんですね^^;;
それにしても、日本人論を知り、「日本人である」という民族意識のようなものを抱く事によって短絡的に、「わ~い。モラトリアムから脱却出来たぁ~~」なんて考えていたわたしが、ちょっとアマかった、というか、まだまだそのくらいのレベルなんだな、って反省?しました。
史学や宗教ももっと勉強してみますね。
色々教えて下さってどうもありがとうございました^^
あ、まだセーイチさん出てきてないけど、もし宜しかったらこの記事にリンクさせてくださいね。今日の日記のテーマに使わせて頂きたいと思います。
2007/07/09(月) 21:23 | URL | ゆみっちょん♪ # I.K6Pi7I [ 編集する]

日本人論は古事記の神様たちを前提にしてるけど、古事記は江戸時代に本居宣長が解読するまで、一般には内容を知られてなかったんじゃないかなあ、と思うんです。それを「日本神話」と呼んでいいものだろうか。一般庶民の聴く神話は、神道集や説教節のような、神仏習合の神話だったろうに。そこから日本人論を書ける人がいないかな。

もちろん、そんな僕でも「日本」は大好きです(^_^)。僕が感じている「日本」が好きです。「これが日本だ」と押しつけられるのは嫌いです。いつでも非国民になる覚悟は出来ています。
2007/07/09(月) 23:59 | URL | ぽっき # mQop/nM. [ 編集する]

すこし留守にしていた間にたくさんのコメントどうもです。

この論文を読んだとき、以前からもっていた知識であるイスラエルやパレスチナといったユダヤ問題やその歴史とはずいぶん違うな~と思っていました。

精神分析というのは僕にとっては臨床の学であり、その人の幻想や空想や内的世界を理解していく上での地図であり、方法論なんです。それは客観的事実というよりは個々人のもっているユニークで個別的なものという認識です。

それが本書で書かれているように、過去に事実として何があったかといったこととの接点があまり分からないところがあります。

同じように日本人のルーツが歴史的事実としてどうなのかは分からないです。ただ、それらのルーツを探ると言うことはそこに文化というものの心に対する影響とか、そこに染みこんだものを理解していくということでとても価値のあるものかなと思いました。

>ゆみっちょんさん

リンクOKですよ。ただ、リンクを見ると、URLがまちがっているみたいでしたけど(笑)
2007/07/10(火) 11:36 | URL | セーイチ # 6fwIY24o [ 編集する]

げ、本当ですね、、、。
リンク間違っておりました。
というよりは、目立たせようとおもっていろいろ試行錯誤した結果、なんだか間違ったリンクになってしまいました。アドレス自体はあっていたのですけれど。Wiki文法って難しい~(* *)

修正致しました。教えて下さってどうもありがとうございました^^
2007/07/10(火) 12:47 | URL | ゆみっちょん♪ # I.K6Pi7I [ 編集する]

>セーイチさん

あ、誤解されてしまった。「歴史的事実」というのは僕も興味ないです。明らかに出来るものではないし。ここでしてるのは、セーイチさんも書いてられるように「心に染み付いている文化的なもの」の話です。そして、それは「クライエントの」ではなく、「セラピスト自身の」をフロイトは問題にしてるのだろう、ということです。

もし他人の話なら、フロイトは「ドイツ人の民族アイデンティティについて」でも書いておけば、当たり障りのないものになったのですから。そうしておけば、世の中で歓迎されたでしょう。そこを「ユダヤ人の民族アイデンティティ」にしたのは、彼自身が自分の立地点を批判的に見つめ直そうとしてるからではないでしょうか。

そして「あなたはどうか?」と「私」に問いただしてきてるのが、この本だと思います。これは、臨床家にとって根本的な問いかけです。「民族」や「家族」に「あなた」は縛られてないか、と。
2007/07/10(火) 22:55 | URL | ぽっき # mQop/nM. [ 編集する]

相手の分析ではなく、自分の分析ということなんですね。フロイトは精神分析を作るって行く時、フリースとのやり取りを通した自己分析が大きな役割になっていたと思います。

フロイトは自己分析に始まり、自己分析で終わったのでしょうか。

本書に書かれているのが正しいのか間違いなのかは分かりませんが、そういうところにフロイトの姿勢に偉大さを感じます。
2007/07/12(木) 01:59 | URL | セーイチ # 6fwIY24o [ 編集する]

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