発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 精神分析入門(精神分析 臨床心理 心理療法)
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 フロイトが60歳頃にウィーン大学で行った講義の記録である。当時は精神分析が徐々に発展し、広まってきたとは言え、まだまだ風当たりの強かったと推測される。その時期に、一般向けの公の場で精神分析の講義をするということで、フロイトも精神分析を広めれるという気持ちで張り切っていたのかもしれない。内容を読んでいると、そのようなフロイトの張り切り具合が行間を通して感じられるとともに、精神分析をあまり知らない一般の人に分かり易く、丁寧に説明していこうという一生懸命さも伺える。

 上巻の内容としては「錯誤行為」「夢」「神経症(一部)」について書かれており、今まで公にされた「日常生活の精神病理」「夢判断」を中心とした様々な論文をコンパクトにまとめ、整理し、分かり易く解説しているものである。

 これらを読んで連想したことを一つだけを取り上げる。錯誤行為の中の物忘れというものがあるが、これは重要なものであるからこそ忘れてしまうとフロイトは主張している。これらのことから思い浮かぶのは、実際の臨床の中における患者さんの無断キャンセルについてである。無断キャンセルの理由は様々だが、よく患者さんが理由として挙げることは「忘れてました」というものである。無断キャンセルをしたことを治療者に怒られると思って嘘をついていることもあるのだが、実際には本当に忘れていたという場合も結構ある。

 セッションを忘れていたということは錯誤行為に当たるし、フロイトの主張に従えば、それには意味があるということになるだろう。そして、ここで重要なことはその意味を考える作業であり、無断キャンセルをしたことを責めて、もうしないようにさせることが重要なのではない

 さらに、無断キャンセルをしたことやそれを忘れたことについて、「なぜ無断キャンセルをしたのですか?」「なぜ忘れたのですか?」と理由を問うてもあまり意味がない。それよりも、「無断キャンセルをしたことについてどう思いますか?/感じますか?」や「忘れてしまったことについて何か思いつくことはありますか?」といったように、それ自体にまつわる空想や連想を聞いていくことが治療をしていく上ではとても重要となってくるのである。

 下巻では神経症総論の続きと続精神分析入門が収められている。続精神分析入門では7講が収められているが、これは特に精神分析入門のように講義録のまとめのような体裁をとっているが、実際には抗議録ではない。精神分析入門を発刊した後15年も経っているので、新しい知見を付け加えるために書かれたものである。

 特に精神分析入門の時にはなかった死の欲動や超自我といった概念が導入されており、その観点からの読み直しはとてもすっきりとしている。やはり概念が増えると説明力や説得力が増えるのかもしれない。

 この下巻も色々と見ていくと面白いのだが、一つだけ思ったことを書く。最後の35講の「世界観というものについて」のところで、フロイトは精神分析は治療技術から出発しており、それは科学の一つの分野であると言っている。思想体系としてのものではないと。現実的には精神分析は治療技術だけではなく、哲学や宗教や思想として広く世界に知れ渡り、強い影響力を持っている。これは思想といって差し支えないぐらいである。しかし、フロイトは謙虚にそこまでは考えておらず、臨床の中・実践の中での精神分析というありように限定しようという意図を持っているようである

 確かに精神分析的に見れば、世界の様々な考え方や現象を理解することができるようになるが、いうなればそれは精神分析の応用であるにすぎないのかもしれない。精神分析の本質や真髄はやはり治療者と患者との間で織り成される精神分析的な治療という営みにあらわれているのだろうと思う。フロイトが最後まで臨床家として生きたのはそういうことも関係していると思われる。

 このことからも本当に精神分析を理解していこうとするのであれば、本を読んだり、知識を積み重ねることももちろん大切であるが、それ以上に臨床の中で精神分析的な生の体験を積み重ねることがとても大切になってくるのだろうと思う。


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コメント
この記事へのコメント
今のわたしにとって興味津々な内容デス。フロイト派のセーイチさんのお薦めなら、是非読んでみたいと思いま~す。

良さげな本をご紹介くださってどうもありがとうございました^^

応援クリック、ぽちっ☆
2007/06/27(水) 00:58 | URL | ゆみっちょん♪ # I.K6Pi7I [ 編集する]

これは分かりやすいし、読みやすいと思いますよ~
2007/06/27(水) 08:34 | URL | セーイチ # 6fwIY24o [ 編集する]

>しかし、フロイトは謙虚にそこまでは考えておらず、臨床の中・実践の中での精神分析というありように限定しようという意図を持っているようである。

確かにそのとおりだとは思うのですが、一方ではフロイト自身が精神分析の芸術・文化・歴史解釈への応用ということをかなり熱心に追求しているようにも見えます。フロイトは若い頃から哲学的思索にふける傾向を自認していたということですし、こういった応用分野の考察の際にも、精神分析の実践ということを原点として踏み外さないように自戒していたということではないかとも読めます。
フロイトがすばらしい臨床家であったことは間違いないでしょうが、それだけではあれだけの偉大な思想は残せなかったでしょう。彼の中にあった、臨床的実践と真理の追求という2つの志向性の葛藤が、精神分析という枠を超えて、広い分野に影響をおよぼす業績をつくりあげた要因のひとつではないかと思います。
2007/06/27(水) 18:31 | URL | 重元 # qgv1q6Fs [ 編集する]

こんにちは。

多分、これはフロイトの活動や研究をどのように「解釈」するのかによって変わってくるのかなって思いました。

フロイトの論文を読むことって正しい知識を手に入れるために読むというよりは、フロイトの思考の軌跡を追体験することが重要と思っています。

なので、フロイトの論文をどのような方向性からも読めるというのが現代まで生き残っている所以なのだろうと僕は思います。

そういう前提の下で、フロイトが何を考えたのか、臨床志向なのか、思想志向なのか、それはどっちでもなくて、ただ単に読む人がそこに何を見て取るのか、もっと言えばなにを投影するのか、の違いにすぎないのかなって思いました。

多分、僕は元々が普通の一般臨床家としてフロイトと出会ったところがあるので、臨床的な部分を多くフロイトに投影してしまっているところがあって、それでこのような感じをもったのだろうと思います。

その人それぞれの背景によって結構フロイトの見方って変わるから、そこがとても面白いところだなって感じます。
2007/06/28(木) 02:09 | URL | セーイチ # 6fwIY24o [ 編集する]

お邪魔します。私は女子大生サトミンです。

ネットサーフしてたらたどり着きました☆と

っても勉強になるブログだったので、またお

邪魔させて頂きますね!私はブログ始めたば

かりなので、よかったら遊びに来てくだい☆

世代問わず大歓迎です★
http://ameblo.jp/jyouhoukigyoujyosidaisei
2007/06/28(木) 17:37 | URL | オタク女子大生サトミン # - [ 編集する]

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正直言うと、私はどうも心理カウンセラーという人種が好みでない。特に自我心理学系の方々はなんかクラスに必ずいた優等生的(成績がいいかどうかは関係ない)空気を感じてしまう。もちろん中には好感の持てる人もいるが。
2007/07/28(土) 20:30:53 | アブラブログ
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