最近のスピリチュアルブームについて心理臨床・精神分析の視点から考察する。
■はじめに
最近はスピリチュアルブームということで、患者さんも一部のカウンセラーもスピリチュアルということをカウンセリングや心理療法に求める・取り入れる動きが多いように思います。
■患者さんがスピリチュアルを求めることについて
患者さんがスピリチュアルカウンセリングを希望したり、前世療法を求めたりすることもないわけではありません。スピリチュアルや前世があるのかないのかは僕には分かりませんが、まずは患者さんがどういうところから、どういう経緯で、なぜスピリチュアルや前世療法を求めているのか、そして、それらについてどのようなイメージを持っているのかをまずは患者さんに即して理解していくことが重要だと思います。
特に神秘的・オカルト的な臭いがするだけに患者さんはスピリチュアルや前世療法に万能的・魔術的な期待を抱いていることもあります。そのような期待は悪いことだから消去すべきである!という意味ではなく、そういう期待をもっていることの理由や背景についてきちんと把握していくことがどのような治療をしていくにしても大前提として必要なことだからです。
これはスピリチュアルや前世療法だけではなく、患者さんが行動療法や精神分析やEMDRなどある程度基礎のしっかりとした治療技法を求めていたとしても同様です。患者さんが行動療法といってても、治療者がイメージしているものと患者さんがイメージしているものと完全に一致しているとは限らないからです。
■治療者がスピリチュアルや前世療法に親和性があることについて
治療者がたまたまスピリチュアルや前世療法に興味をもっていると、患者さんがそれらを求めていると、ほいほいとそれに乗ってしまうことがあります。しかし、上記で書いたように、患者さんがなぜそれらを希望しているのかについてきちんと把握していないと、本質的なところで共感不全に陥ったり、何らかの病理に巻き込まれたりしてしまう可能性があります。これはスピリチュアルや前世療法だけにかぎらず、行動療法や精神分析などであっても同様です。行動療法や精神分析を患者さんが求めているからといって、アセスメントや聴取をせずに、すぐにそれらを施行しないことが重要です。これは患者さんに意地悪をしているという意味ではなく、技法を使用する前段階が重要ということです。
また、スピリチュアルや前世療法が好きな治療者は、なぜ自分がスピリチュアルや前世療法に興味を持っているのか?について自己分析していくことは重要です。それがないと、スピリチュアルや前世療法を患者さんにすることが、患者さんのためではなく、治療者の欲望のためになってしまうからです。例えば、治療者自身がスピリチュアルな体験をしたから、患者さんにもそれをさせてあげたい、お裾分けをしたい、なんていうのはかなり傲慢なことだと思います。もしくは、治療者自身のhelplessnessを否認するために、スピリチュアルや前世療法といったものを理想化していることもあるでしょう。
■スピリチュアルな受け皿がないことについて
ある人はスピリチュアルや前世療法を患者さんがもし希望しており、それを満たす社会的な受け皿がないことが問題であると言います。確かにそういう部分はあるかと思います。ただ、もし仮にそういうものを患者さんが求めてて、仮に治療者がそういうものを提供できる!と思っていた時、どういうことが起こるか色々と考えられます。最初は患者さんは治療の中で満たされた・受け入れられたという感覚を持つかもしれません。ある種の治療者に対する理想化です。地に足のついてない理想化というのは変動が激しく、容易に脱価値化や怒りに転化することが多々あります。また、患者さんは受け入れてくれる治療者を理想化すると今度は受け入れてくれない社会を脱価値化したり、怒りを向けたりします。これをスプリッティングと言いますが、そうなると人間は好む好まざるとに関わらず社会に対する適応を少なからず見ていかねばならないことを考えると、治療という場に埋没してしまうことになってしまいます。言い換えるなら治療者に対する依存です。治療がないと生きていけないという風になり、その患者さんの自律・自立が妨げられます。いわゆる治療的な関係ではなく、倒錯的な関係になってしまっていると言うことです。治療者とたった二人きりで無人島などで一生暮らしていけるのであれば、それはそれで良いのかも知れませんが。
これらのことは否定的な部分を誇張しているところもありますが、意外とスピリチュアルや前世療法に親和性のある人はこういうことに陥ることが多い印象があります。スピリチュアルや前世療法というところを新興宗教というものに置き換えると、それこそ社会的な問題として対策を建てていかねばならないところかもしれません。
■スピリチュアルや前世療法の受け皿がないことの不満をどのように扱うか
もし仮に患者さんがスピリチュアルや前世療法を求めているが、社会での受け皿がないことに対する不満を語った時、どういう風にしたら良いのか、ということについて正解はありません。正解はありませんが、一つの方法として以下のようなものもあります。
患者さんがどういう人なのかといったアセスメントや、スピリチュアルや前世療法というものに対してどのようなイメージを持ち、そこにどのような思いを託しているのかを理解していくことが第一です。そして、社会での受け皿がない不満を語る時には、それをhere and nowの視点から、それは治療者に対して受け入れてくれるかどうかの不安や、受け入れてくれないことの不満として理解します。いわゆる患者さんの不満が転移されたのです。さらに分析が進めば、もしかしたらそこには社会に対する受け入れられなさではなく、両親などに受け入れてもらえなかった傷つきや悲しみが隠されているかもしれません。それらのことを抑圧するためにスピリチュアルや前世療法というものが防衛的に使用されているのです。
この治療関係で確かにそういう思いを満たすことはできないかもしれないけど、そこに不満があるということを共感/解釈することはできるでしょう。もっというと、患者さんは本当のところでスピリチュアルや前世療法というものを求めていたのではなく、理解されること・自分自身の存在そのものを受け入れられることを望んでいたという風に解釈することができます。
これらはもし僕ならこうするというだけで、妥当性があるとかこっちのほうが良いといった意味のものではありません。
最近はスピリチュアルブームということで、患者さんも一部のカウンセラーもスピリチュアルということをカウンセリングや心理療法に求める・取り入れる動きが多いように思います。
■患者さんがスピリチュアルを求めることについて
患者さんがスピリチュアルカウンセリングを希望したり、前世療法を求めたりすることもないわけではありません。スピリチュアルや前世があるのかないのかは僕には分かりませんが、まずは患者さんがどういうところから、どういう経緯で、なぜスピリチュアルや前世療法を求めているのか、そして、それらについてどのようなイメージを持っているのかをまずは患者さんに即して理解していくことが重要だと思います。
特に神秘的・オカルト的な臭いがするだけに患者さんはスピリチュアルや前世療法に万能的・魔術的な期待を抱いていることもあります。そのような期待は悪いことだから消去すべきである!という意味ではなく、そういう期待をもっていることの理由や背景についてきちんと把握していくことがどのような治療をしていくにしても大前提として必要なことだからです。
これはスピリチュアルや前世療法だけではなく、患者さんが行動療法や精神分析やEMDRなどある程度基礎のしっかりとした治療技法を求めていたとしても同様です。患者さんが行動療法といってても、治療者がイメージしているものと患者さんがイメージしているものと完全に一致しているとは限らないからです。
■治療者がスピリチュアルや前世療法に親和性があることについて
治療者がたまたまスピリチュアルや前世療法に興味をもっていると、患者さんがそれらを求めていると、ほいほいとそれに乗ってしまうことがあります。しかし、上記で書いたように、患者さんがなぜそれらを希望しているのかについてきちんと把握していないと、本質的なところで共感不全に陥ったり、何らかの病理に巻き込まれたりしてしまう可能性があります。これはスピリチュアルや前世療法だけにかぎらず、行動療法や精神分析などであっても同様です。行動療法や精神分析を患者さんが求めているからといって、アセスメントや聴取をせずに、すぐにそれらを施行しないことが重要です。これは患者さんに意地悪をしているという意味ではなく、技法を使用する前段階が重要ということです。
また、スピリチュアルや前世療法が好きな治療者は、なぜ自分がスピリチュアルや前世療法に興味を持っているのか?について自己分析していくことは重要です。それがないと、スピリチュアルや前世療法を患者さんにすることが、患者さんのためではなく、治療者の欲望のためになってしまうからです。例えば、治療者自身がスピリチュアルな体験をしたから、患者さんにもそれをさせてあげたい、お裾分けをしたい、なんていうのはかなり傲慢なことだと思います。もしくは、治療者自身のhelplessnessを否認するために、スピリチュアルや前世療法といったものを理想化していることもあるでしょう。
■スピリチュアルな受け皿がないことについて
ある人はスピリチュアルや前世療法を患者さんがもし希望しており、それを満たす社会的な受け皿がないことが問題であると言います。確かにそういう部分はあるかと思います。ただ、もし仮にそういうものを患者さんが求めてて、仮に治療者がそういうものを提供できる!と思っていた時、どういうことが起こるか色々と考えられます。最初は患者さんは治療の中で満たされた・受け入れられたという感覚を持つかもしれません。ある種の治療者に対する理想化です。地に足のついてない理想化というのは変動が激しく、容易に脱価値化や怒りに転化することが多々あります。また、患者さんは受け入れてくれる治療者を理想化すると今度は受け入れてくれない社会を脱価値化したり、怒りを向けたりします。これをスプリッティングと言いますが、そうなると人間は好む好まざるとに関わらず社会に対する適応を少なからず見ていかねばならないことを考えると、治療という場に埋没してしまうことになってしまいます。言い換えるなら治療者に対する依存です。治療がないと生きていけないという風になり、その患者さんの自律・自立が妨げられます。いわゆる治療的な関係ではなく、倒錯的な関係になってしまっていると言うことです。治療者とたった二人きりで無人島などで一生暮らしていけるのであれば、それはそれで良いのかも知れませんが。
これらのことは否定的な部分を誇張しているところもありますが、意外とスピリチュアルや前世療法に親和性のある人はこういうことに陥ることが多い印象があります。スピリチュアルや前世療法というところを新興宗教というものに置き換えると、それこそ社会的な問題として対策を建てていかねばならないところかもしれません。
■スピリチュアルや前世療法の受け皿がないことの不満をどのように扱うか
もし仮に患者さんがスピリチュアルや前世療法を求めているが、社会での受け皿がないことに対する不満を語った時、どういう風にしたら良いのか、ということについて正解はありません。正解はありませんが、一つの方法として以下のようなものもあります。
患者さんがどういう人なのかといったアセスメントや、スピリチュアルや前世療法というものに対してどのようなイメージを持ち、そこにどのような思いを託しているのかを理解していくことが第一です。そして、社会での受け皿がない不満を語る時には、それをhere and nowの視点から、それは治療者に対して受け入れてくれるかどうかの不安や、受け入れてくれないことの不満として理解します。いわゆる患者さんの不満が転移されたのです。さらに分析が進めば、もしかしたらそこには社会に対する受け入れられなさではなく、両親などに受け入れてもらえなかった傷つきや悲しみが隠されているかもしれません。それらのことを抑圧するためにスピリチュアルや前世療法というものが防衛的に使用されているのです。
この治療関係で確かにそういう思いを満たすことはできないかもしれないけど、そこに不満があるということを共感/解釈することはできるでしょう。もっというと、患者さんは本当のところでスピリチュアルや前世療法というものを求めていたのではなく、理解されること・自分自身の存在そのものを受け入れられることを望んでいたという風に解釈することができます。
これらはもし僕ならこうするというだけで、妥当性があるとかこっちのほうが良いといった意味のものではありません。
この記事へのコメント
「スピリチャルや前世療法」をそのまま「カウンセリングや精神分析」に置き換えても成り立つ話だなあ。受容してくれるカウンセラーに対して理想化が起こり、社会を脱価値化してしまう。セーイチさんの言われるように「なぜカウンセリングを希望しているのか」を把握せずにカウンセリングをしてしまうのは危険だね。それと、治療者がなぜ「精神分析」に興味を持っているのか、も。それは自分の「病気」に過ぎないんだから。
多分、半分は僕への自戒の意味を込めているところもあります。
詳しくは書きませんが、僕のところに「精神分析をしたい」といってきた人がいます。あまりそういう精神分析をできない環境だったので、あまり確かめたりせず、そのまま実施しました。結果が当然のごとく、うまくいかなくて。
やはりそこで思ったことは患者さんの言葉を信用しないとかではないですけど、やはりその希望を持つに至る背景をきちんと抑えていることが大切だなって思いました。
あと、僕自身がなんで精神分析に惹かれているのだろうって最近よく思います。やはり教育分析というものを最近はよく考えるようになったからかもしれません。
なぜ僕は精神分析をすきなんだろう?なんで臨床でそれをバックボーンにしているんだろう?それで僕は何を求めているんだろう?何をしようとしているんだろう?って、きちんと分かっておかないと行けないなって。
そういうことを考えている時にスピリチュアルというものを葛藤なくやっている人を見るときに、「そうではない」ということを考えたので、この記事を書きました。
ちょっと自己開示的になっちゃいましたが、この辺で。
詳しくは書きませんが、僕のところに「精神分析をしたい」といってきた人がいます。あまりそういう精神分析をできない環境だったので、あまり確かめたりせず、そのまま実施しました。結果が当然のごとく、うまくいかなくて。
やはりそこで思ったことは患者さんの言葉を信用しないとかではないですけど、やはりその希望を持つに至る背景をきちんと抑えていることが大切だなって思いました。
あと、僕自身がなんで精神分析に惹かれているのだろうって最近よく思います。やはり教育分析というものを最近はよく考えるようになったからかもしれません。
なぜ僕は精神分析をすきなんだろう?なんで臨床でそれをバックボーンにしているんだろう?それで僕は何を求めているんだろう?何をしようとしているんだろう?って、きちんと分かっておかないと行けないなって。
そういうことを考えている時にスピリチュアルというものを葛藤なくやっている人を見るときに、「そうではない」ということを考えたので、この記事を書きました。
ちょっと自己開示的になっちゃいましたが、この辺で。
倒錯的な関係はそこかしこに見受けられますね。
若手ベテラン流派を問わず。
初心の頃、「クライエントの役に立てないならまだしも、害にはなるな」とよく言われましたが、無自覚にスプリッティングに加担している治療者は多いな、と感じます。
自戒の意味もこめてですが。
教育分析(カウンセリング)から得るものは大きいですが、どういった時期に、どんな人から、どんな分析を受けるのかは難しい問題だと思います。
私の場合、出会いに恵まれ、得たものも大きかったですが、同時に数々の危機も経験しましたので、安易にお薦めできるものではありません。
それでも、この仕事をしている限り、自分自身(の病)から目をそらすわけにはいかないでしょうね。
若手ベテラン流派を問わず。
初心の頃、「クライエントの役に立てないならまだしも、害にはなるな」とよく言われましたが、無自覚にスプリッティングに加担している治療者は多いな、と感じます。
自戒の意味もこめてですが。
教育分析(カウンセリング)から得るものは大きいですが、どういった時期に、どんな人から、どんな分析を受けるのかは難しい問題だと思います。
私の場合、出会いに恵まれ、得たものも大きかったですが、同時に数々の危機も経験しましたので、安易にお薦めできるものではありません。
それでも、この仕事をしている限り、自分自身(の病)から目をそらすわけにはいかないでしょうね。
教育分析ってどういう時期に、どういう人に受けるのかってとても重要かもしれませんね。
分析の中で不安定になったりすることもあるだろうし、そういう時に仕事で失敗してしまったりもあるかも。
でも、受けてみなければ分からないこととか、受けることで見えてくるものもありそう。
臨床家にとって教育分析は必須といかなくても大変重要なポジションにありますね。
そうしてみると、フロイトなんかは厳密な教育分析とか受けずに、あそこまで行ったのだからスゴイって思います。フリースとの手紙のやり取りや、自己分析だけですからね〜。
分析の中で不安定になったりすることもあるだろうし、そういう時に仕事で失敗してしまったりもあるかも。
でも、受けてみなければ分からないこととか、受けることで見えてくるものもありそう。
臨床家にとって教育分析は必須といかなくても大変重要なポジションにありますね。
そうしてみると、フロイトなんかは厳密な教育分析とか受けずに、あそこまで行ったのだからスゴイって思います。フリースとの手紙のやり取りや、自己分析だけですからね〜。
だからあれほど、たましいはたまにしい、と…(TT)。(つまりません)。
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