発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 ラカンの精神分析(精神分析 臨床心理 心理療法)
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■はじめに

 ラカンの人生とラカン理論について簡潔に書かれた入門書である。入門書であるが、やはり基本的な精神分析についての知識などがないと理解がしにくい本である。また、言語学や記号論についての知識があればなお良いが、なくても丁寧に読めば、理解はできるぐらいである。

■フロイト回帰

 ラカン理論は基本的にフロイト回帰から出発しており、フロイト理論の読み直しが最重要課題となっている。特に死の欲動の概念はフロイト以後は思弁的なものとして一部の分析家以外はあまり重要視していない。しかし、ラカンはこの死の欲動こそが他者と自己とをつなぐ概念として再注目している。

■短時間セッション

 ラカンの技法としてもっとも目を引くのが短時間セッションである。これは精神分析療法の一回のセッションの時間を短くするというものである。この技法によってラカンは主体を尊重できるという主張で国際精神分析学会(IPA)からの要請にも関わらず、捨てることはなかった。このためにラカンは教育分析家になることができなかったのである。

 短時間セッションについては、ラカン理論の背景から読み解けば、確かにそこに大変意味のあるものと思われる。特に時間を区切るということが解釈としての機能を果たすということはうなづけるのである。しかし、反面では、解釈というのはそれをすること自体も重要だが、解釈後の患者さんのレスポンスを見ることも重要となってくる。治療者の解釈を肯定するのか、否定するのか、無視するのか、連想が変わるのか、連想が変わらないのか、そういうところからさらに分析を進めていく素材が浮き上がってくるのである。時間を区切るということはその区切った後の患者さんのレスポンスを扱うことが難しくなってしまうというデメリットは無視できないものである。ちなみに、短時間セッションはラカン以外のラカン派は使用していなかったようである。

■黄金数

 また、本書では黄金数という言葉が多数出てくる。これらは「他者を見る中に自分の存在をみる」という観点から重要な考え方で、いわゆる存在論的な視点である。P93で「”どう見えるか”ということを割合で、つまり理性で表すことにしよう」としている。すなわち、「他人y/私x」となり、そこからさまざまな数式で黄金数に導いている。しかし、なぜこれらの前提がなりたる理解できないのだが、見ることがどういうところから割合で示すということになるのかがまだ理解できていない。

■ラカンの思想的側面

 ラカン理論の他者の欲望や対象aという概念はフロイトのテクストから抽出したラカン独自のものである。これらの概念から転移や精神分析療法における治療者-患者間における関係性の変化を理解していくことができる。また、それに留まらず、精神分析を超えて、人間存在を規定するもの、人間のありようを証明するものとして、哲学的・思想的な価値を有するものであると考える。その傾向が強いがゆえに、臨床的にこれがどのように活用されるのか、患者さん理解にどうつなげられるのか、といったことが削り取られてしまっており、臨床的有用性の観点から少し物足りなく感じてしまうところである。

 精神分析は臨床の中から生まれ、臨床の中で活用されるものである。しかし、ラカン理論は臨床の中で活用されるというよりも、思索的に活用されることが多いように思う。ラカン理論を研究している人は、臨床家よりも哲学者や思想家、文化人に多いことからもうかがえる。精神分析臨床をしている人は自我心理学-クライン派-独立学派-コフート派-対人関係論学派を基盤にしている人が多いのではないだろうか。こういう風になっているのも色々な歴史的経緯が関係していることが考えられる。

 ラカンの独特な考えや思想、技法はIPAの考えとはかなり異なっており、IPAからは破門に近い形でラカンは追放されている。IPAに属さないということは、精神分析家や教育分析家と言えなくなるということであり、臨床指導ができないということである。ラカンはその代わり、教育機関において臨床家対象ではなく、哲学者や思想家、文化人を対象としたセミナールを開講することとなった。対象がそういう人であったために、臨床というよりは思想的な観点が強調されていったのではないかと思われる。ラカンは臨床実践を軽視するなといったり、パリフロイト派を立ち上げたりの活動はしていたようだが。こういうところから、ラカンが臨床家ではなく、非臨床家を中心に思想が展開して行ったのではないかと思われる。

■ラカンの人生

 ラカンの人生はかなり紆余曲折があり、対立と同盟が繰り返されていたようである。また、その難解な語りが災いしてか、誤解や偏見によって迫害されていたところもあるようである。自分の理論の実践の場としていくつかの団体を結成したが、弟子にさえ、その理論の根本を理解されることなく、言われなき分裂や決別、失望、失敗を体験した。パリ・フロイト派の解散はラカンにとってはかなり大きな出来事であったようである。

 そこのはフロイトが「分析技法における構成の仕事」で弟子たちがフロイト理論を正しく継承していなかったことを嘆いていたのと同様に、ラカンもラカン理論が正しく伝えられなかったことを嘆いていたのかもしれない。特にパスという資格制度についてはラカンの理想や理念が織り込められたものであったろうが、最終的には「失敗だった」と言わざるを得なくなり、自らパリ・フロイト派を解散させねばならなくなってしまった。

 ここにラカンがラカンであったがゆえの悲しみが付されているように思う。


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コメント
この記事へのコメント
ラカンは、難しくって、手が出ません(とくに、黄金数のところは、さっぱりです)。臨床上の有用性が見えないだけに、がんばって読もうという気にさなりません。ちゃんとチャレンジして、書評を書こうとするセーイチさんは立派だと思います。
2007/02/12(月) 09:12 | URL | Y.. # - [ 編集する]

色んなことを知って行きたいというところが大きいです。でも、これ以上はチャレンジする気が起きません(笑)。もうしばらくラカンは据え置きにしていこうかな・・・
2007/02/12(月) 10:56 | URL | セーイチ # 6fwIY24o [ 編集する]

短時間セッションは、1953年までのサンタンヌ病院での臨床が基になってるからなあ。まだ抗精神病薬のない時代。一人に一時間も掛けたら、患者さんを捌ききれない。だから精神分析は「金持ちのための心理療法」になっちゃった。もし精神分析を受ける機会をどの患者さんにも与えようと思えば、ラカンやバリントのように短時間セッションを工夫するか、ビオンのようにグループでやるかしかないと、僕は思うんだけど?
2007/02/12(月) 12:28 | URL | ぽっき # mQop/nM. [ 編集する]

そういえばフロイトは「精神分析療法の道」だったと思いますが、お金持ちだけではなく、普通の市民の人も精神分析(精神療法)を受けれるようになっていくようにと書いていたと記憶しています。また、自費ではなく保険適用もほのめかしていたり。

そういう意味では、たくさんの人に、必要な人に、分け隔てなくという考えはフロイトが希望していた方向性なのかもしれません。

日本での週1回というセッティングももしかしたらその流れなんでしょうか?日本的文化も関係しているのでしょうが。

ちょっと話はずれるかもしれませんが、連想したことなんでご勘弁を。
2007/02/13(火) 00:27 | URL | セーイチ # 6fwIY24o [ 編集する]

成田先生が『精神療法家の仕事』で15分セッションの話を書かれているけど、お医者さんになると一日に会う人の数が多いから。短くすればデメリットがある。それを分かった上で、短くせざるを得ない。そういうジレンマがあるのだと思います。で、心理士の場合は給料が安いから回ってるわけで(涙。
2007/02/13(火) 00:42 | URL | ぽっき # mQop/nM. [ 編集する]

診察という構造と、心理療法という構造がどう違うのか?というところも議論になるかもしれませんが。

で、これは僕の経験ではなく、知り合いの精神科医(分析家の人)の先生の話ですけど、5~10分といった短い診察なら、長い時間の面接では出来ない独自のことができると言ってました。

すなわち、精神療法をやっているからこそ、本質が比較的短い時間で把握でき、患者さんの退行を促さずに対応できるみたいなことを言ってました。

短い中で、たくさんの人の対応をしていく場合、精神分析に固執しない方が良いのかな~ということも考えたりしました。
2007/02/13(火) 00:50 | URL | セーイチ # 6fwIY24o [ 編集する]

ええ。それでラカンの言う「論理的時間」とか「クッションの留め金」とかが活きてくるわけです。心理療法のエッセンスを短時間に注入する方法論だから。そこを見誤らなかったら、ラカンはそんなに難しくないと思います。
2007/02/13(火) 01:05 | URL | ぽっき # mQop/nM. [ 編集する]

私、実は大学で新宮先生の講義とゼミに出てました。淡々とした感じでしたが、人気がありました。私自身は精神分析やラカンには全然関係ない位置にいるのですが、この本は時折読み返して楽しんでいまして、いつも新しい発見があります。しかし、ラカン、難しいです。私はセミナール挫折組です(^^。また何か書評してください。楽しみにしてます。
2007/02/13(火) 07:50 | URL | shu # mQop/nM. [ 編集する]

>ぽっきさん

短時間の中に心理療法のエッセンスをギュっと凝縮させて入れていくということはよく分かるな~って思います。

コンサルテーションや助言などをしている時も心理療法をやっているからこそ、可能なこと理解できることがあります。

ただ、心理療法のエッセンスがあるということと、心理療法そのものとはまた違うのかなとも思います。

それは、50分なり1時間という長い時間を取ると沈黙という現象が起こります。それをどのように理解し、どのように取り扱うのかはやはり短時間では難しいように思います。また、今日会って、明日あった、明後日も会う、そういう設定は週1回の設定とはインパクトが違いました。

回数や時間が多ければ多いほど良いというものではないと思いますが、多くなれば濃密になり、関係性が深まるように思います。


>shuさん

はじめまして、ご訪問ありがとうございます。ラカンの本の中でも本書は比較的分かりやすいかな~って思いました。ラカンの原典を訳したものがなかなか理解できなくて・・・(^^ゞ

フランス語でやらないとダメなんですかね(笑)
2007/02/13(火) 15:01 | URL | セーイチ # 6fwIY24o [ 編集する]

ええ、その人が「思い込み」で話をしているとき、その「思い込み」が途切れる瞬間があり、それが「沈黙」となる。その「沈黙」を分析家が待てば、そこから「満ちたパロール」として「問いかけ」が生まれる。「私はどうしたいのだろう?」とか「息子は何に困っているのだろう?」とかね。この流れを「論理的時間」と言います。もし変化を速めたいときは、その問いを分析家が繰り返し面接を終了すると(留め金を打つと)、その人は「心の開いた状態」で次の面接までを過ごす。これを、開いたまま帰すか、閉じてから帰すかを調節することが「短時間セッション」です。

フランス語で原著に当たるよりは、ラカン派のモード・マノーニやフランソワーズ・ドルトの事例に当たるほうが分かりやすいと思います。ラカンには「著書」がありません(書かれたものは誤読される、が彼のポリシーですから)。ラカンの本は、どれも講演録(受講者がメモ書きしてまとめたもの)だから、編集者の意向が入っています。
2007/02/13(火) 22:56 | URL | ぽっき # mQop/nM. [ 編集する]

>その「沈黙」を分析家が待てば、そこから「満ちたパロール」として「問いかけ」が生まれる

沈黙を待つことによって「問いかけ」が生まれる人もいれば、そこから退行してしまう人もいました。面接の場では沈黙が支配していましたけど、内的世界では転移空想が活発に作動し、セラピストに対して迫害感をもったり、「セラピストは何を考えているんだろう」と考えたり。迫害感を持つ人は病態の重たい人が多かったのですが。

僕の場合に限りですけど、自己に対する問いかけという風にスムーズには行かずに、転移空想で埋めようとする人が多かったように思います。

この辺りはセラピストの腕なのかな~・・・(^-^;A
2007/02/14(水) 10:47 | URL | セーイチ # 6fwIY24o [ 編集する]

それはまあ、大変そうですね。フロイト自身は「そうしたタイプの沈黙には、『もしかしたら今、ここでのことを考えてませんか』と尋ねると良いよ」と言ってます。セーイチさんの書いておられるのは、ビオン風に言えば「link-L」が「link-H」や「link-K」に変化しているから(ラカンだと「知を想定された主体の転移」ですね)、むしろ自由連想が前進しているんじゃないかな。「愛の関係性(二者関係)」から「知の関係性(三者関係)」へと進むプロセスに乗ってると思うけど?
2007/02/14(水) 12:17 | URL | ぽっき # mQop/nM. [ 編集する]

たぶん、そういう転移関係(二者関係)を経ないと三者関係には到達しえないということなのでしょうか。

どっぷりと二人の関係に陥って、そこですったもんだした経験が生きてくるのかも。もしかしたらそれは、昔に両親との間で繰り広げられなかった関係をやり直しているとも言えるかも。

満足できなかったリビドーが治療者に転移され、それが十分にワークスルーされると、また次の段階(三者関係)に行くんですかね。

それにしても自由連想って本当に「自由」に「連想」されることってないですね。転移とか抵抗とか、そういうのが邪魔をするというか。

できるだけそういうのを僕は言葉にしていくけど、なかなかすぐには解消できません。

SVにそのことを相談したら、「そりゃ、自由連想ができるようになった時点が治療の終了だよ。自由連想は努力目標で、それにむかって進む道しるべみたいなもの。できなくて当然」って言われました。

そういうもんなんですかね。
2007/02/15(木) 16:14 | URL | セーイチ # 6fwIY24o [ 編集する]

自由連想は、分析家側の態度でもあるからなぁ。古武道家の甲野善紀は「自由とは、宿命に身も心も従うこと」と定義してますよね。確かに変化(大他者)はいつも到来しているのに、人はそれに抵抗してしまう。もし「自由」が何かわかれば、セーイチさん、2ランクくらいアップするんじゃないかな。
2007/02/15(木) 22:28 | URL | ぽっき # mQop/nM. [ 編集する]

「そうですね。面接の中でセラピストも自由連想しながら話を聞いています。」

と書けたら良いけど、実際はなかなかできないです(^-^;A

どこかに注目してしまったり、何かに当てはめようとしてしまったり、一つの固執した考えが堂々巡りしたり、焦ってしまってつい言葉を出したりetc

まー、これがいわゆる逆転移というものなんだと思いますが。

抵抗してしまうのは、患者さんだけでなく、セラピストもなんですかね。

僕が2ランクアップするのはいつだろう。殉職したらアップするかな?(笑)
2007/02/16(金) 09:55 | URL | セーイチ # 6fwIY24o [ 編集する]

ピュアリーさん、ずいぶん日時が経ってしまいましたがTBありがとうございます。
 「独解、吉本さん」はご覧のとおり『心的現象論序説』という発刊当時各大学の医学部や心理学・精神医学関係周辺を席巻した理論の探究と展開を目指しています。今年は『心的現象論』の本論が初刊行され『序説』も復刻版がでました。自分も09年からラカンほかノンジャンルで参照しながら探究と新しい展開を目指したいと考えています。
2008/12/31(水) 13:12 | URL | sheep5 # - [ 編集する]

TB承認ありがとうございます。ラカンについてはまだまだ分からないところがあるので、またよろしくお願いします。
2009/01/01(木) 17:55 | URL | ピュアリー # 6fwIY24o [ 編集する]

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