発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 (精神分析 臨床心理 心理療法)
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一次愛と精神分析技法はバリントの約30年に渡って書き続けられた20本の論文集である。思索の変遷が見られてなかなか面白い。精神分析は完成された理論には面白みがない。思索を重ねられているそのプロセスが面白い。精神分析実践の中で患者の語りを聞いているのと似ているかもしれないが。

バリントはフェレンツィから分析を受けて精神分析家になった。他にフェレンツィから分析を受けた人にジョーンズやクラインがいるが、前者はフェレンツィをこき下ろし、後者は無かったものとしている。バリントだけがフェレンツィの弟子を公言してる。そのため亡命した英国では風当たりが強かったようである。多分、バリントがいなければフェレンツィの業績は未だに陽の目を見ることがなかっただろう。クラインやフェアバーンが対象関係論の領域に切り込んだが、それはやや理論的な部分が多い。しかし、フェレンツィやバリントは対象関係を実際の分析治療でガツガツ使っていたところがあり、極めて実践的に思える。

一次愛と精神分析技法は欲動、技法、訓練の3部構成になっている。欲動の部ではいきなり生物のややこしい話から入っているので正直分からないことが多いが、その中でも進化の中で性機能の変遷から人間の欲動に繋がっていることを論じている。また、バリントの受身的対象愛ということもここで出てきている。土居健郎の甘え理論に繋がる概念である。人間は生まれた時には絶対的な愛に囲まれることから始まり、それがあるからこそ生きていけるということ。ウィニコットの一次ナルシズムや母子ユニットに近いところがある。

さらにそれを技法面で論じると新規蒔き直しになる。抑鬱態勢でもなく、妄想態勢でもなく、受身的対象愛の段階に退行することにより、そこから進展していくことができるというものである。治療的には心的ひきこもりとどう区別すれば良いのか分からない部分もあるが。さらにそうした状態の時には転移解釈などで扱うのか、ただただ待つのみかは、その点はあまり明確には語られていない。ウィニコットは解釈ではなくマネジメントということを言っているが、そうしたことをバリントもやっていたようにも思う。

バリントはフェレンツィを発展させたと言っても良いが、フェレンツィのように逸脱(と言って良いか分からないが)した技法は継承しなかった。フェレンツィは相互分析、弛緩技法、積極技法など何が患者に役立てるのかを突き詰めた。その結果、古典的な分析技法にこだわることはなかった。バリントはフェレンツィとは違い、理論や考えを継承したが、技法はそこまで継承しなかった。従来の精神分析技法を踏襲した。もっとも精神分析の枠外では、一般医や家庭医の訓練もしており、そこには精神分析を参照しつつ、現実的な医療実践をも対象にしていた。それは他書に詳しいからここではやめとく。

この一次愛と精神分析技法は、ほとんどが夫人であるアリス・バリントとの共著であると言って良いほどのものである。それほど、精神分析の伴侶として、人生の伴侶として共に歩んでいたようだ。そういう意味ではウィニコットやクラインのように不幸なことはなく、幸福な人生だったのかもしれない。それが関係してるかどうか分からないが、受身的対象愛や新規蒔き直しといった他者をとことん信頼することから始まるような理論はそうした人生が影響してるのかもしれない。クラインは暗い人生から憎しみの重要性を説いたし、ウィニコットは母の庇護がないことへの苦しみを説いた。

バリントは英国精神分析の中心にはならなかったが、クラインやウィニコット、フェアバーンなどとは違う形で対象関係論を深め、それを実践の中で実際に使ってきたように思える。それが今日の精神分析に生きていることはよく分かるものである。

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