発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 (精神分析 臨床心理 心理療法)
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 三人のそれぞれの精神分析の出会いがユニークで面白い。そして、その出会い方がその後の精神分析臨床に影響している。そういう意味でも精神分析はパーソナルなものとの関わりは切っても切れないのかもしれない。

 その後、師弟関係についての議論になる。師弟関係が精神分析に取って意味のあることなのかどうか、それは分からないけど、少なくとも師弟関係を持って弟子を支配したり、師匠に盲信したりは精神分析的とは言えないのだろう。まぁ、私は信頼する指導者は何人かいるが、師匠と呼べる人はいないのだが。しかし、師弟関係は転移というのも面白い視点だと思う。

 解釈についての箇所では、藤山先生は解釈するという営みとそれができないことに対する抱えに意味があるとし、対して松木先生は解釈の中身や内容に意味があるとしている。解釈の項のところが三人三様の考えがあり、今までの中で一番議論が白熱してる。そして、解釈の伝え方も違うように思う。例えば学会やセミナーで聞く限り、松木先生の解釈はやや長く説明し尽くすという印象がある。それに対して細澤先生は解釈は短く要点のみのよう。どこかで先生に聞いたことがあるが、短い方がストレートに無意識に届くからだとのことであった。

 クラインの論文を見るとクラインの解釈はかなり長い。そんなに長かったら患者は全部理解しきれないだろうというぐらい。しかし、長くて全部を理解できないからこそ、どこか部分的に引っかかるところだけが心に残るのかもしれない。もしくはその解釈を伝える姿勢が伝わるのか。

 無意識やその人の本質は発見するものなのか、それとも創造するものなのか。

 そして、精神分析のプロセスにおいて失敗は必ず起こる。しかし、その失敗こそが何らかの意味を含むし、それがプロセスを進展させる。ただし、だからといって作為的に失敗すれば良いというものでもない。当たり前の話だろうが。ちなみに、これらはウィニコットが前提に話されている。

 お金の受け渡しの問題。やり方は三人それぞれだけど、いずれもそこを重要視してる。精神分析以外ではそういうところをそこまで考えないのではないのではないだろうか。あとキャンセル代の話も出たが、あまり議論は膨らまず。

 精神分析と心理学の話。もしくは臨床心理士と精神分析家。そして精神科医。何にアイデンティティにおくのかにも個性があるな。資格の話もあると面白かったのかもしれない。今ホットな話題なので。

 フロイトやクライン、ウィニコット、ビオンは古典だが、未だに読み込まれている。論文は残りカスでウンコであるとも言えるが、その古典論文を読むということは再利用すると言えるのか。

 年齢や精神分析家としてのピークの話。生物学的死は着実に近づいているが、精神分析家としてはまだまだ伸びていくという話はさすがだなあと思った。なら私のような若輩者はさらに伸びていかねばならないのだろう。覚悟が必要か。

 そして、この仕事はそんなに儲からないし、苦労も多いけど、良いところはやりがいがあることと、いつまででもやり続けれることかな。まさに人生をかけてワークスルーしていく感じ。これは他の職業では体験できないものといえる。

 前書きで書いているとおり、松木先生も藤山先生も学会の重鎮であり、権威であるとは思う。そんな二人に対して細澤先生は言いたいことを言ってる。自由だなと思う。けど、松木先生も藤山先生もそこまで権威から人を圧倒する人柄でもないにも関わらず、二人を前にすると私は萎縮する。しかし、これは二人の先生の問題より、私の問題の方が大きい。それは自身の臨床力の未熟さを理由にして、言わないということをしてる。つまり防衛か。自己卑下することにより、ある意味自分自身を守っている。また、権威と見ることによって自分自身のエディプスが刺激されるのだろう。つまり平たく言うと父を見てるとも言えるか。これはSVでも同じか。このあたり、自分自身のこころが自由ではないなと感じる。やはりセラピーや個人分析を受けないといけないかな。ただ細澤先生に対しては良くも悪くもあまり権威を感じないし、自由に話せる感じがある。細澤先生のパーソナリティかな。

 最後は事例検討。細澤先生が事例を出し、藤山先生と松木先生がコメントするというもの。私は松木先生のコメントはクリアで分かりやすく、理解しやすかった。しかし、細澤先生は松木先生のコメントには分節化されていないものが含み込まれていないとしている。藤山先生のコメントも私には鋭く感じたが、40代の頃の藤山先生と比べると鋭さは減じていると細澤先生は言う。だとすると、どれほど鋭かったのかは畏怖を覚える。

 後書きまで読み進めた。あっと言う間だった。夢中で読めた。後書きは細澤先生が二人の先生に対してdisってるが、そこにはある種の愛か甘えか親しみか、そうしたものが含まれているように思えた。それにしても細澤先生は自由な人だ。


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