発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 (精神分析 臨床心理 心理療法)
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ドナルド・メルツァー(著)「肛門マスターベーションの投影同一化との関係」 1966年
E.B.スピリウス(編)松木邦裕(監訳)「メラニー・クライン トゥデイ1」 岩崎学術出版社 1993年 pp124-141.

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禁止ワードに引っかかってしまいそうなタイトルであるが。

肛門マスターベーション・投影同一化・偽成熟という3つの概念を結び付けていくことが本論文の目的である。肛門期葛藤に関してはアブラハムに詳しいが、その時期での自慰を通し、表立っては順調に発達しているように見えて、その実はこの時期に倒錯的に退行しているのである。そうしたことをメルツァーは事例を通して考察しているが、メルツァーの特徴で、言葉の言い換え・ジョークなどを取り上げながら解釈につなげていっている。フロイトの「機知」や「日常生活の精神病理」が実際の臨床で生きていることが見て取れるかもしれない。
ハーバート・ローゼンフェルド(著)「急性精神分裂病者の超自我葛藤の精神分析」 1952年
E.B.スピリウス(編)松木邦裕(監訳)「メラニー・クライン トゥデイ1」 岩崎学術出版社 1993年 pp15-60.

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前半には精神分裂病に対するセラピーとして自我支持的なアプローチと、洞察志向的なアプローチについてレビューされている。ローゼンフェルドはクライン派であり、クライン派はどのような病態にも精神分析をできるかぎりピュアな形で提供しようとする。本論文でもそうした方向の元で書かれており、それによって一定の成果が上げれるということを主張している。

特に精神分裂病の超自我について焦点付けられている。神経症の超自我に比べて精神分裂病の超自我は過酷で迫害的で破壊的である。それゆえか超自我を投影同一化を通して他者に排出し、その押し付けられた他者からの攻撃と体験されるのが、原始的な超自我であり、精神分裂病がよく体験するものである。ローゼンフェルドはそうした超自我を転移分析的に扱うことで精神分裂病の精神病理を深く理解できるとしている。



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精神分裂病(統合失調症)はいつもどこでもずっと精神病的でいるわけではない。時によって精神病的になり、極度の興奮や迫害的・被害的になり、幻聴などの異常体験がもちろん起こる。それと同時に、極めて健康的で、やや奇異な感じがするものの日常生活を普通に送れる状態の時もあり、そういう時にはコミュニケーションは正常で、時には共感的で、情感豊かにも見えることもある。精神科デイケアや精神科作業所などで、元気に働いたり、活動したりしているのはよく見かける光景である。

本論文では、そうした精神分裂病が分析やセラピーの中でどのように病的になったり、どのように正気になったりするのかを転移関係を通して、解釈を通して変化する過程を描写している。精神分裂病は抑うつ的な部分がないということではなく、抑うつ的なことになることが極めて恐怖なことであり、不安なことである。そのため、抑うつ的な部分を外部に排出し、精神病的になるのである。セラピー関係であれば、そうした抑うつをセラピストに投げ入れてくるのであろう。そうしたものをすぐさまに投げ返してしまっては、それはセラピーとはならない。精神分裂病が受け入れるようになるまで耐えたり、保持したりして、再獲得できるようになるようにしなければならない。そうしたことを通して、精神分裂病は抑うつを引き受けることができ、正気であることを瞬間を取り戻すことができるのである。


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