発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 (精神分析 臨床心理 心理療法)
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ライヒの評価はほとんどの場合、2つに分かれる。一つは精神分析の技法論を整備し、さらに発展させた功績。もう一つはオルゴン療法という怪しげなものを創り、オカルトに走った変わり者。本書は前者の部分が前面に出されていることは間違いがない。原著の「Character-Analysis」は三度改訂されており、初版と2版では性格分析の技法だけだったのが、3版になりオルゴン療法の部が追加されて、全てで1冊になっている。しかし、訳者の小此木先生は主に初版を元に訳し、敢えてオルゴン療法の部分は本書には入れなかった。それはあまりにも精神分析からは離れてしまっていたためのようである。

オルゴン療法の顛末やそれに対する批評については、本書の最後に収録されている「ウィルヘルム・ライヒの悲劇」というタイトルの小此木先生の講演録やあとがきで詳細に述べられているので参照してもらいたい。簡単にいうと、オルゴン療法とは、物理的な生命エネルギーが宇宙にはあり、オルゴンボックスというライヒが考案したとされる箱の中に入ると、そのエネルギーが身体に入り、精神疾患が治ったり、性不能が治ったりするというものである。しかし、そうしたエネルギーについては物理的にも確認はされておらず、科学界からはNOを突き付けられ、さらにメイン州裁判所からは医薬品販売法違反で出廷を命じられ、それに応じず、裁判所侮辱罪で懲役刑が課され、刑務所服役中に獄死したのである。ライヒの死後もオルゴンボックスは一部のシンパに引き継がれ、現在の日本でも購入できたりするようである。これらのことからライヒはパラノイアであった、精神病を発病したなどと言われている。このようないわくありの人物なので、内容的に妥当であると思われる本書「性格分析」も一種いかがわしいもののように思われてしまう節もないではない。

また、ライヒはマルクス主義・共産主義に傾倒しており、本書でも資本主義と社会主義、ブルジョアとプロレタリアート、イデオロギー闘争などについてが散見されている。そのあたりはある程度の素養や思想がないと読みにくいかもしれない。

さて、オルゴン療法や共産主義は横に置いておき、本書の中にうつろう。前半の1部は主に技法論が、後半の2部では性格形成論が展開されている。

これまでフロイトは症状を象徴解釈することにより症状を除去する方法として精神分析を創案した。しかし、ライヒはそうした象徴解釈をする前に、患者は性格の鎧を身にまとい、ある種自我親和的な防衛をしている部分を解釈によって解消しなければならないとした。その為の技法として、抵抗分析・ふるまい分析・性格分析を象徴解釈に先んじて実施していく技法論を定式化した。このことにより、患者を全人格的なものとして扱い、さらに過去の解釈ではなく、今ここにおける解釈を重視し、それによりより長期間にわたる精神分析を行わねばならない道筋をつけていった。さらに、患者の陰性転移を重視し、その分析をしていくこのを重要視した。フロイトが精神分析の技法については曖昧にしか述べてなかったのが、ライヒによってかなり明確に定義され、公式化されたと言える。このことから、精神分析の方法論を学ぶために、本書が訳され、日本精神分析学会で配布されたのであろう。

技法面では、古典的な精神分析から現在の精神分析への橋渡し的な役割がここでなされており、そうした意味で歴史的な価値は高いと思われる。さらに、陰性転移を重視したり、今ここでの解釈を重視したりするスタンスはクライン派は対象関係論とはかなり近いように思われる。ただ逆転移については、ほとんど出てこないのであるが。

また2部では、そうした性格にはどのようなものがあるのか、その性格はどのように形成されたのか、などについて論じられている。ここでは主にヒステリー性格、強迫性格、自己愛性格、被虐的性格などが取り上げられている。性格形成の要因として、イドや超自我の発達もあるが、それよりも両親との間における養育の影響や、社会との関わりについての関係についてライヒは重視しているようである。さらには、ライヒは健康な人というのは、性を楽しめるようになることを一つにおいており、そういう意味では性本能を重視している。これは後年のフロイトやその後継者が自我というものを中心に据え置いたこととは反対の方向性である。ライヒがフロイト以上にフロイトらしいという評価が与えられるのは、性欲動を重視した前期フロイトに忠実であったからであると思われる。



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主に自我心理学に基づいた方向性で診断や見立てについて書かれている。さすが自我心理学というところだろうか、どういうところに着目するのか、どういった部分を見立てるのか等、大変細かく、そして明確に整理されている。この患者の防衛はどうなっているか、自我は、超自我は、発達の固着は、対人関係は、病理は、等々。実際の臨床でも、どういったところを見ていけば良いのかが整理されてくると思う。

また、自我心理学では不十分な取扱いしかないと思っていた逆転移や、対象関係、自己などについても言及されており、そうした意味では古典的な自我心理学とは違い、現代的に発展しているバランスのとれた理論になっているようである。

ただ、患者をこのような観点から整理しなおし、見立てを立てる必要はあるだろう。が、それが実際の精神分析・精神分析的心理療法に入ってからのその経過や進展とどれぐらい関連性があるのか、もしくは予測できるのか、そしてその予測は本当に精神分析的過程に意味ある影響があるのだろうか。つまり、精神分析は患者を判断するためのものではなく、ともに体験し、ともに生きて、ともに交流することそのものが目的みたいなところがある。そこには理解することを超えた何かがあるのだろう。そうしたことと本書で書かれているような診断することとの関連性についてもう少し考えていきたいところである。


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