発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 (精神分析 臨床心理 心理療法)
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前著「実践入門 解離の心理療法」の姉妹編に当たるだろうか。前著同様に、初心のセラピストに対して向けて書かれたものである。しかし、何らかの正しい理論や技法を紹介し、それを忠実に学んでもらうように書かれてはいない。著者自身の臨床経験から導き出された著者なりの考えや工夫が述べられているが、それらをヒントにして、自分なりの自分らしい臨床スタイルを実践していくようにと著者は語っている。著者自身も既存の精神分析理論を鵜呑みにはしておらず、著者自身で確信したものしか信用していないと言っている。

著者は思春期について様々な観点から語っているが、思春期心性についてスキゾイドと行動化傾向、アンビバレントという3つの特性を主に重視しているようである。そして、そういった心性は基本的には病理的なものではない、としている。発達の一つのプロセスの中に多かれ少なかれ誰にでもあらわれてくるものである。しかし、それゆえに思春期の心理療法をしていく上で、独特の難しさも同時に立ち現れてくるのであろう。また、成人の心理療法の場合には、問題の解消や自己理解などが目標となるが、思春期が発達の一プロセスであることを考えると、何らかの理由で停滞してしまった発達が再び前進できるようにすることが目標となる。心理療法で様々な介入を行うが、それらは全て発達を促進させるための介入となる。さらにセラピストの姿勢として、「ちゃん」付けで読んだりなど、患者を子ども扱いしたりはしていない。かといって、完全に堅苦しくするのではなく、通常通りのセラピストとしての礼儀と興味関心を向けることを推奨している。

第2部では心理療法のプロセスに合わせ、初回面接・アセスメント・初期・中期・後期・終結・フォローアップという時間順に述べられている。初回面接に関しては、前著でも述べられていることと同様であるが、生育歴・家族歴・病歴といった情報を引き出すことよりも、最初の出会いを大事にし、そこで喚起される転移状況や逆転移を味わうことを第一にしている。さらには、無意識的な心理療法への動機づけのアセスメントを行うことが必要であると述べている。無意識的なものをどうアセスメントしていくのかについては、基本的に逆転移の活用していくことになる。

そして、思春期の言語でのやり取りが十分にできないことも関係しているのかもしれないが、アセスメントや初期には、マネージメントによる抱えを著者は重視している。従来の精神分析では転移解釈が特権的な位置づけになっており、それ以外の介入はパラメータと呼ばれ、一段低く見られる傾向がある。しかし、著者はマネージメントを行為による解釈としてとらえ直し、そこに心理療法的な価値を見出している。もちろん、そうした行為に及ぶ背景にある逆転移は吟味してのものである。

後期・終結について、成人とはまた違ったやり方を著者は述べている。精神分析においての目的は精神分析的体験をすることそのものなので、終結といった概念はなくなる。何らかの目的があり、介入を行って、それによって解消されて終結に至るというものはフィクションであると著者は過激にも語っている。心理療法の主体はセラピストでも患者でもなく、心理療法そのものであるとし、終結や終わることなどはコントロールすることはできず、自然な流れの中で迎えるものなのであろう。そして、これらを結婚に例えて言っている。こうした終結観の上で、思春期については著者はどのように見ているのであろうか。思春期の場合には、発達の促進が主眼になることから、心理療法への抵抗や転移状況の一つの表れとして見たとしても、それを解釈によって扱うことよりも、やや性急には感じつつ、受け入れることもあるとしている。そのあり方を解釈によって扱う方が発達促進的なのか、それとも終結を受け入れることの方が発達促進的なのかは非常に判断ができないところであるが、最終的にはセラピストの直感と責任によって判断していくしかないようである。

終結後のフォローアップについても述べられている。精神分析は喪の作業と深い関係にあることも関連し、フォローアップなどはしない人の方が多いようである。しかし、著者は前著でも述べられているが、フォローアップをすることが多いようである。そういう著者であっても、思春期の心理療法の場合にはフォローアップはしないことが多い。それは、成人のように心理療法の終結を死としてとらえるのではなく、卒業ととらえるからである。学校は通学している時には濃密な体験があるが、卒業するとかなりの程度で忘れ去られてしまうものである。心理療法もそういったものなのであろう。

10章では、セラピストの適性やサブカルチャーについて述べられている。前者の適性について端的に示すと、思春期心性は持ちつつ、大人として機能できる人がセラピストに向いているとしている。そういう点からすると、年齢を経るごとに思春期心性は忘れ去られたり、もしくは抑圧していったりすることが多いことを考えると、年齢的に若い人の方がやや向いているのではないかと言っている。サブカルチャーについて、「アーバンギャルド」「神聖かまってちゃん」「ミドリカワ書房」といったバンドを取り上げ、そこに表れる思春期心性について考察している。こうしたサブカルチャーに接近することで、思春期心性の理解が深まるのかもしれない。

本書では、思春期の多数のケースが登場し、著者がこれまでどのようにケースの中で考え、試行錯誤し、向かい合ったのかについてリアルにうかがい知ることができる。本当のところでケースと出会い、本当のふれあいをしようとした著者の臨床スタンスは大変尊敬できるように思う。できるのであれば、著者に治療分析・訓練分析を受けたいと思うのだが、私は著者にかなり近い位置にいるので、それも適わないかもしれない。

それと、あと一つ、本書では思春期の心理療法ということで、思春期ならではの心性や困難さを描き出しているが、どのケースもかなり重篤で、病理の重たいものが多いように思う。そういう意味で、それは思春期という括りでの困難さではなく、病理的な重さの方が前面に出ているのではないか、とも取れなくはない。とはいっても、何が思春期心性で何が病理的心性なのかを明確に区分けすることなんてできないのだから、この疑問はあまり意味のあるものではないのかもしれないが。


モネー・カイル(著)「認知の発達」 1968年
松木邦裕(監訳)「対象関係論の基礎」新曜社 2003年

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本論考の最後にも書いているが、モネー・カイルはここで何か新しい概念を提出したり、新たな理論構築をしたりすることを目指しているのではない。ビオンに代表される、思考の理論を補完したり、補足したりするためのものであるとしている。

カイルによると、誤った概念の形成により、人間は苦しんでいるとしている。それは人生の事実を知ることの苦痛から逃れるために形成されたものである。いわゆる否認ということなのかもしれない。否認により、ある種の根源的な苦痛は回避できたとしても、それによる副作用ともいうべき苦痛がさらに待ち受けている、と言い換えることが可能かもしれない。


レオン・グリーンバーグ(著)「患者の投影同一化による逆転移のある特異面」 1962年
松木邦裕(監訳)「対象関係論の基礎」新曜社 2003年

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いわゆる「投影逆同一化」についての論考である。ハイマンは逆転移を患者理解のために利用することを提唱したが、投影同一化に分析家がはまり込んでしまい、治療的な理解に結び付けるどころか、患者の投影同一化に踊らされ、時には行動化してしまうような分析家のありかたをこの投影逆同一化という言葉で表したのが本論考である。

そのようになってしまうのは、患者によってもたらされた投影同一化や、その素材の猛々しさよるもので、それに分析家が耐えられない時にそうなってしまうとしている。そうなったときには、患者と分析家のコミュニケーションが阻害され、断ち切られてしまう。それらはほとんど無意識の領域で起こっており、意識化することは困難である。


ポーラ・ハイマン(著)「逆転移について」 1950年
松木邦裕(監訳)「対象関係論の基礎」新曜社 2003年

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フロイトは逆転移について提唱をしたが、基本的にはそれは治療妨害因子であり、訓練分析等で解消していかねばならないという立場であった。その後、クラインは投影同一化を提唱し、無意識的なコミュニケーションの重要性を提唱し、逆転移についての論考を進めはしたが、やはり逆転移を治療に生かす、という視点には慎重であった。

その折に、このハイマンが逆転移を治療に生かすという視点をこの論文で導入した。ハイマンはクラインの訓練分析を受け、一時はクラインの忠実な弟子・共同研究者であったが、このハイマンの論文をきっかけにして、袂を分かつことになってしまった。クラインは上記で書いたように、逆転移をハイマンの言うようなやり方で使用することについては慎重であったからだ。

しかし、クラインは逆転移の治療的活用については否定的だったが、その後、ポストクライン派と呼ばれる分析家のグループでは、主にこのハイマン流の逆転移の扱いを基本的なスタイルとしているのである。それは後にビオンはコンテイン論で投影同一化-逆転移の治療的意義を定式化していったことが大きなことであると思われる。

この論文自体は短く、端的で、分かりやすいものであり、重要な視点をコンパクトにまとめられている。その中で「患者の情緒の動きや無意識の空想についていくための、自由に湧き上がる情緒的な感受性が必要であることを述べておきたい。分析家の無意識が患者の無意識を理解するというのが、私たちの基本仮説である。深いレベルのラポールは逆転移として、患者への反応の中で分析家に気づかれる感情として、表面に現れる。これは患者の声が分析家に届くもっとも力動的な道筋である。分析家に湧き起っている感情を患者の連想や振る舞いへ照らし合わせることに、その分析家が患者を理解できたかどうかをチェックするとても価値のある手段である」としており、そこに本論文が要約されている。


スーザン・アイザックス(著)「空想の性質と機能」 1948年
松木邦裕(監訳)「対象関係論の基礎」新曜社 2003年

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アイザックスは初期のクライン派精神分析家の一人であり、アンナ=フロイト・クライン論争においてクライン派の基礎理論の展開・発展に寄与した人物である。クラインは無意識的空想について論じているが、本書はそれらの性質やその機能について詳細に論じており、現代クライン派が空想について論じるときには常に参照・引用される論文のようである。

空想phantasyは一次的には身体・本能に関するものから派生したものである。それらが外的な体験や発達の中で、徐々に複雑化していき、イメージになったり、不安の内容物になったり、時には防衛として機能したりするようになる。それらはやがて現実適応の支えになるが、時によっては症状化したりすることもある。

クラインは空想について、主にその内容について取り上げ、破壊的な暴力性などの明瞭に描き出していった。アイザックスはそれを補完するものとして、その成り立ちや機能について描き出したと言えるかもしれない。


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