発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 (精神分析 臨床心理 心理療法)
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対象関係論の基礎

ジョアン・リビエール(著)「陰性治療反応の分析への寄与」 1936年
松木邦裕(監訳)「対象関係論の基礎」新曜社 2003年

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陰性治療反応とは、フロイトが「自我とエス」において提出してきた概念で、精神分析治療が上手くいっていたのにも関わらず、後戻りしたり、悪化したりする状態であり、それは無意識的な罪悪感・処罰欲求によってそうなってしまう、というものである。リビエールはその概念をさらに発展させ、ナルシシズムに基づくものであり、抑うつに耐えられないために躁的に防衛するパーソナリティの一部分である、とした。そして、そうしたことを起こす患者はナルシスティックな困難な症例である、としている。

そうした患者は先に進むことに対する恐怖、変化することへの不安が強く、現状維持に甘んじていたいという欲望があるのかもしれない。分析をしていることで、何かの作業を行っているかのように見せて、その実際は何も行っていないということなのであろう。




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ビオンは難解な理論を難解な言葉で説明している難解な精神分析家であるというイメージがあるかもしれない。実際に「精神分析の方法Ⅰ」「精神分析の方法Ⅱ」「再考:精神病の精神分析論」などは読んでみるとそれが実感できるだろう。

しかし、本書や前書である「ビオンとの対話」では、そういったものは一切なく、参加者との討論やケーススーパーヴィジョンを通して、まさに語っているのである。そういう意味で、ビオンがどのように考え、どのように直感し、どのように解釈するのかがリアルタイムで見れるのが本書である。

もちろん、その語りの背景には、これまでのビオンの精神分析的体験や臨床実践があり、より深く、より豊かな含蓄がそこには込められているのだが。それがあまりに深いからか、本書でのケーススーパーヴィジョンにおいて、ビオンは時として、唐突にも思われるような連想や解釈を語り、私にはまだまだ理解しきれないような内容であることがまざまざと突きつけられてしまう。しかし、それを超えて、何か言葉での理解以上に心に迫ってくるくるものがあり、大変ひきつけられるように思う。

そのため、思わず、一気に読み切ってしまったのだが、最後に訳者である松木が「本書を一度にさっと読み通すようなことはせず、毎日少しずつ、例えば2~3セッションずつじっくりと読んでいただけたらと思います。そのやり方が、私たちの日々の臨床にこの書が一番生きるように思えるのです。」と書いていた。それは前書きに書いてほしかった。



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一見すると、落語と精神分析とはあまり関わりなんてないのではないかと思える。しかし、本書を読むとそれがそうでもないということが腑に落ちる。精神分析家と落語家ともにそれは技術を使う専門家という括りではなく、生き方そのものとなるようである。

さらに様々な落語の根多を通して、人間の本質に迫っていくのを見ると、思わず惹き込まれてしまう。単に精神分析の理論や知識を当てはめて、解釈するという稚拙なものではない。生の水準でリアルに浮き彫りにしていく様子は筆者の実際の精神分析を連想させる。

本書を読むのに、落語の知識も精神分析の知識もあまり要らないように思う。逆にそうした先入観なく読んでいく方が面白いのではないかと思われる。この本は面白いと思う。それは単に知的な水準で勉強することを目的に書かれたものではないからだろう。

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ビオンは分析家と被分析者が出会うところに情緒の嵐が起こるとしている。また、無視したり、理想化したり、逃避したりすることは楽なことである。それはすなわち真実や本質の探求は大変苦しいものであるということである。

そうした仕事をしていくことが「思わしくない仕事」としているのであろうが、単にそれは否定的な意味合いを帯びているだけではなく、ある種、使命のように行っているところもあるのかもしれない。



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精神分析とは直観を持って、未知のものを探求するものである。その時、何か事実や実際の物体を証拠として、それをもとに思考することはない。目に見えなければ、手に触れられないものを手掛かりに精神分析を行っているが、それが客観的な証拠となりうるのだろうか、というのがビオンの論点である。

しかし、そうした見えないものをもとめて患者は来るし、見えないものを見ていくことがこの世界でもあるのだろう。

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フロイトは大人の心の中に幼児の心を発見した。クラインは幼児の心の中に乳児の心を発見した。ビオンはさらにそれからさかのぼり、胎児の心について考察している。胎児はいつからパーソナリティを有し、人間になるのかは永遠の疑問である。そして、胎児の頃の記憶はいつ忘却するのか。ほとんどの人は胎児の頃の記憶を持っていることはない。一部にはそういう記憶を持つ人はいるだろうが。

こうした早期のことが後の人生に影響を与えているという精神分析では極めてオーソドックスな考え方であるが、ビオンはそれをトコトンまで追求していたようである。

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本論文はトペカ国際カンファレンスの論文集である「ボーダーライン・パーソナリティ・ディスオーダー」に掲載されたもので、後に出版されている。

ビオンは攪乱された情緒の原点はどこか?何がそうさせているのかについて考察している。また、そうした攪乱が見られたとしても分析家としてそれに耐えていかなくてはならないものとしている。しかし、攪乱された情緒のように実際には目に見えないものをどのように認識していくのかについて様々な例を持ち出しながらビオンは考えている。芸術家は見たものを絵にして伝えるが、分析家はどのように伝えたら良いのか、等。

こうした人間の根源的な思考や認識についてトコトンまで追求しつづけたビオンの姿勢には一種の感動がある。



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これは1976年にアメリカ・ロサンゼルスのとある病院で開催された4回の討論セミナーの記録である。

参加者は25名で、中には精神分析から距離のあるセラピストなども参加していたようである。そうした中で、ビオンと参加者との対話が織りなされている。参加者からは様々な質問をされていたが、中には厳しく批判するようなものもある。またはビオンの語りに触発された参加者が何かを想起したりするなど自由連想的な雰囲気になっているところもあった。

前書きにおいて松木邦裕も書いているが、この「対話」の記録からは何かの知識を得たり、技術を学んだりすることは期待できない。が、それ以上にこの自由な対話からさまざまな空想が生まれ、自由連想になり、まさしく精神分析的な体験になっていくのではないかと思われる。

そのような姿勢で本書を読むと良いかもしれない。

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こころが晴れるノート」や「うつを克服するための行動活性化練習帳」の姉妹本。PTSDやトラウマを受けたユーザー向けに作成されたワークブック付きのマニュアル。

PTSDの心理治療にはEMDRやPEが有名であり、認知処理療法は日本ではまだマイナーに属するものかもしれない。認知処理療法は大まかには認知再構成法と曝露療法を入れ込んだパッケージ形式のCBTであると言える。そして、スタックポイントや同化、過剰調節といった特有の概念を盛り込み、それにそった治療プログラムを構成している。

スタックポイントとは、トラウマを思いだし、整理する時に行き詰る点であり、信念に大きく根付いたものである。そして、トラウマにより「今まで信じてきたことを固く守って、出来事を解釈し(同化)」、「起こった出来事に過度に合わせて、それまでの考え方を極端に変える(過剰調節)」をすることにより、トラウマが慢性化し、過度に自責的になったり、回避的になってしまったりする。そこを認知再構成法で柔軟にしていくのである。

さらに、トラウマ場面を書き出し、それを繰り返し読み上げることにより、曝露していくことによって、トラウマを克服していくのである。

これらのことを7つのステップを通して、順次自分で行うことができるように本書は構成されている。

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microsoft wordには多彩な機能があるが、そのほとんどが通常のレポートや業務ではあまり使わないものだろう。ただ、使わないからといって使えないものではなく、特殊なことをする時には知っていると大きな武器になりえることもある。本書のタイトルにあるように卒業論文を作成する時などはそのもっともたるもので、普段は使わないが、このような特殊状況ではかなり使える機能もある。本書はそうした機能を紹介している。

本書では「日常的に使用しながら習得できる機能」と「体系的に学ばないと習得できない機能」とに分け、前者をある程度は習得している人を読者対象にしている。そして、その読者に後者を学んでもらうことが本書の目的である。

またタイトルではwordとしているが、その他にもメモ帳、excel、powerpointなどの機能も掲載されている。そのいずれもが知っていると使える機能ばかりである。

ただ、学術論文などに投稿する時は、デザインや体裁などは編集部や出版社、印刷会社がしてくれるので、それほど必要ではないかもしれない。下手すればベタ打ちのままメールで送れば、全てしてくれたりするので。

しかし、学生にはとても重宝する本と思うので、論文執筆で忙しくなる前に、手に取って読んでおくと良いと思う。


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