発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 (精神分析 臨床心理 心理療法)
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本書は著者にとって「解離性障害の治療技法」と「心的外傷の治療技法」に続く3冊目の単著であり、その続編に位置づけられるものである。前2著書はある程度経験を積んだ臨床家に向けて書かれたものであるが、本書はどちらかというと私のような経験の比較的浅い初心の臨床家に向けて書かれたものである。また、1対1の心理療法を行う臨床家だけではなく、PSWや看護師などの解離性障害に関わる援助者にも役立つものであると思われる。なぜなら、かなり平易で分かりやすく書かれており、込み入った専門用語や概念は極力少なくなっているからである。反面、分かりやすいことを念頭に書かれているために、理論や技法、理屈がかなり単純化された形で表現されてしまっているところは否めないかもしれない。ただ、それを補いってあまりあるぐらいのリアリティがあるので、概要がイメージしやすく、スッと理解しやすいかもしれない。

さらに、著者は各所で、「これは私の臨床スタンスであり、正解ではなく、参考にしていただく程度にしてほしい」と書かれている。これは単に謙虚な姿勢を示すためにこのように書いているのではないと私は考えている。これは著者もどこかで書いていることだが、臨床、とくに精神分析は科学的な裏付けのあるものではなく、どちらかというと伝統芸能に近いものである。つまり、何か科学的に正しいことがあり、それを順守することが求められるものではない。臨床の場でセラピストが自分の体験や直観を大事にしながら、何かをクリエイトしていくことが大切なのである。そういう意味で、正解を示すための本書を記しているというよりも、著者の臨床スタンスを提示することにより、初心のセラピストが参考にし、さらには本書を破棄して、自分なりのスタンスを作っていく上での道標となることを目的としているように思われる。

前置きはこれぐらいにして、本書の中身を見ていくことにする。まず第1章では精神分析的心理療法の基礎知識についてざっと触れている。著者は「精神分析的心理療法は精神分析の心理療法への応用」とし、いくつかの心理療法で活用できる精神分析の概念について紹介している。また、やや単純化の傾向はあるが、精神分析的心理療法を臨床的に有効活用できるレベルでここまでわかりやすくまとめたものを私は寡聞にして知らない。簡単に理論を並列的に説明しているものはあるにしろ、本書のようにたった20ページほどで、臨床的な観点からのまとめは類をみないように思える。本書は解離性障害というメインテーマはあるが、ここだけを切り出して、精神分析的心理療法のエッセンスを学ぶだけでも価値はあるように思える。

第2章では解離や解離性障害の基礎知識を説明している。ここでは解離は精神病水準の不安に対する防衛であり、その中核にはスキゾイドがあることを明示している。そして現象として健忘と離人症を挙げ、この二大症状を解離性障害の目安にすると良いようである。また近い関係である境界性パーソナリティ障害との鑑別にも触れており、境界性の中核には見捨てられ不安としがみつきがあるが、解離にはスキゾイドがあるので、その点で分けられるとしている。

第3章~第10章はセラピーのプロセスにそって章立てをしており、初回面接・アセスメント面接・初期マネージメント・治療初期・治療中期・治療後期・終結・フォローアップとそれぞれについて解説している。これらのところに網羅されている事項はそのどれもが重要であり、全部取り上げたい気持ちに駆られるが、それは難しいのでいくつかだけピックアップするが、初回面接での重要なこととして情報収集にならないように著者は気を付けているようである。それよりも、実際に患者に出会い、そこで起こる関係性や情緒を味わうことが重要であると言っている。それは情報から理解していくのではなく、体験から理解していくためであるとのことである。

また、動機づけについてはどの治療法でも大切であるが、精神分析でももちろん大切になってくる。これは主にアセスメント面接の時に把握していくことが多いが、ここでは意識的な動機づけだけではなく、無意識的な動機づけを把握していかねばならない。そのために著者は主に夢を聴き、そこから理解していく方法を取っている。夢は無意識への王道であるとフロイトは言っている。フロイトの頃の精神分析と現在の精神分析では夢の理解と扱いはかなり変わってきており、現代では夢を今ここでの転移状況の反映とみるようになってきている。それをセラピーに対する動機づけという観点から夢をみていくというのも至極当然のことのように思われる。

そして、治療中期には必然的に訪れる困難と行き詰まり、後期では精神病水準の不安の抱えと扱い、このような嵐にまみれながらも治療は終結に向けて進んでいく。このプロセスについては、言葉を交えるだけではリアリティは伝わらないので、是非本書に出てくる様々な事例を読んでもらいたいと思う。

本書のところどころと、終章「おわりに」では、著者はセラピストとしての資質の話を少ししている。著者は臨床的なセンスや知識も大事だが、「根性」「ど根性」がもっとも大事と断言している。そして、それを「往生際の悪さ」とも表現しなおしている。これらは単なる精神論ではなく、実際に著者が重篤な解離性障害の治療に長年にわたってあたってきた、一つの理解であろうと思われる。誤解を恐れず敢えて言えば、努力で到達できることは少ししかない。力量の大半は生まれ持ったものなのだろう。だからといって、根性が少ないからと言ってそれはダメなセラピストということではなく、自分の力量と器の中で専門家としてできることをすれば良い。というよりも、そういうできることの少なさに絶望することなく、そうした低い力量しかない悲しさと悔しさを防衛せずに、真摯に向き合いながら自分なりの臨床をしていくことが大事なのかもしれないと私は思う。



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カウンセリングに関するエビデンス集のような書籍。カウンセリングの分野でどのような研究がなされていて、どのような知見が見出されているのかが網羅されている。たとえば、傾聴は様々なセラピーにおいて重要とされているが、それは本当に治療効果のあることなのか、またどのような対象には効果があり、どのような対象には効果はないのか、などを過去の研究知見から回答している。また、それらは何かの学派や立場に偏ることなく、万遍なく公平にレビューしており、カウンセリングや臨床に携わる人にとっては少なからず役に立つものと思われる。



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タイトルのとおり科研費をいかにして獲得するのかについてのノウハウが書かれている。科研費は概ね20~30%ほどの採択率で、狭き門であると言える。しかし、単なる運で左右されるものではなく、通りやすい申請書の書き方もあるらしい。それらは今までは各大学の研究室などで伝達されているのであまり表に出ることはなかった。そこで著者はこれまでの科研費を獲得したり、ピアレビュアーをしてきた経験を元に本書を書いている。

科研費を狙おうとしている人は是非読んでみることをお勧めする。



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本書「再考:精神病の精神分析論」の第1章イントロダクションを除く、第2章~第9章はビオンが主に国際精神分析誌に投稿したものである。そしてこの「解説」はこれらの論文を再び考察しなおしたものである。また1967年時点のビオンの新たな思索も含まれているので、単なる解説には終わらないものでもある。

第2~9章の論文は事例を掲載し、そこから考察を進めているのであるが、後年のビオンの論文ではそうした事例はまったく載せなくなってしまっている。そのことについてビオンは本論文で触れており、精神分析セッションは言語的な記述では言い表せないとしている。そのため事例は載せずに論考を進めるようになったとのことである。そして、精神分析の論文を読むのは、精神分析セッションと同様の姿勢で臨まねばならないとしている。つまり、「欲望なく、記憶なく、理解なく」である。そして、忘れ去られるべきであるとも言っている。


ウィルフレッド・R・ビオン(著) 「考えることに関する理論」 1962年
松木邦裕(監訳) 中川慎一郎(訳) “再考:精神病の精神分析論” 金剛出版 2007年 pp116-124

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ビオンは思考の発達について卓越した知見を残しているが、本論文はその代表的なものである。人間は欲求不満に耐える能力が十分であれば、求める乳房がない時には、「それはないんだ」と思え、それが考えるための装置として発達していく。しかし、耐える能力がない時には、「不在の乳房」があると知覚し、考えるための装置が発達せず、すべて悪い対象であると体験してしまう。そこでは、考えを考えるための装置ではなく、悪い対象を排出するための装置となってしまうのである。


ウィルフレッド・R・ビオン(著) 「連結することへの攻撃」 1959年
松木邦裕(監訳) 中川慎一郎(訳) “再考:精神病の精神分析論” 金剛出版 2007年 pp100-115

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クラインは投影同一化を病的なプロセスとして理解していたが、ビオンはその概念の幅を広げ、投影同一化を正常な発達の中で機能するものとして再概念化した。つまり、母子の普通のコミュニケーションにはこの投影同一化が重要な役割を取っているということである。しかし、精神病パーソナリティにおける羨望や破壊性により、それらが正常に機能できない時、母子カップルに対する攻撃、分析家-患者カップルに対する攻撃として現れる。つまりこのような連結に対して攻撃を向けるのである。


ウィルフレッド・R・ビオン(著) 「精神病パーソナリティの非精神病パーソナリティからの識別」 1957年
松木邦裕(監訳) 中川慎一郎(訳) “再考:精神病の精神分析論” 金剛出版 2007年 pp52-72

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ビオンの有名な論文の内のひとつ。パーソナリティは二つに分けることができ、それが論文のタイトルにもなっている精神病部分と非精神病部分である。この二つは同時並行的に存在しており、どちらかひとつであるということはない。つまり、健常者でも精神病パーソナリティはあるし、精神病者でも非精神病パーソナリティはあるのだ。


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