発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 (精神分析 臨床心理 心理療法)
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D.W.ウィニコット(著)「羨望を巻き込んだ一例についての覚書」 1963年
館直彦 他(訳)“ウィニコット著作集6巻 精神分析的探究1 精神と身体” 岩崎学術出版社 2001年 pp97-100

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ここで登場する症例は男性で、これまで合計25年に及ぶ分析治療を受けた後に、ウィニコットとの分析に入り、3年が経過している。彼はウィニコットに羨望を向けており、それを同僚医師に対するものとして置き換えを行っていた。そこをウィニコットが解釈することにより、彼の同性愛願望が露になり、去勢する男性=父親を捜し求め、それをウィニコットに求めていたことが明らかになった。そして、連想すべきことを連想しないことにより、ウィニコットから解釈を引き出そうとしていたようである。

このようなことが分析の中で展開し、中間領域が開発され、憎しみを正当に感じるようになっていったとのことである。

ウィニコットの分析の一場面のことであるが、ウィニコットがどのように解釈をし、抱えていったのかがリアルに分かる論文である。



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過渡対象 Transitional Objectは最近では移行対象と訳されることが多いが、この移行対象は1951年に発表された「移行対象と移行現象」に初めて登場している。移行対象とは錯覚の世界・部分対象の世界から全体対象を獲得する途中に介されるものである。ぬいぐるみや布切れなどの手触り感の良いものが移行対象になることが多い。

その移行対象がどのような経緯でもって破棄されるようになるのかについてここでは述べられている。

1.取り替えられていても保持される
2.使い古されているか
3.与えてしまったか
4.母親によって保存されているか
5.その他

のいずれかが移行対象が辿る経過である。このような移行対象は外的現実と内的世界の中間に位置しており、それはメラニー・クラインのいう内的対象とは違うものであるとウィニコットは力説している。また、これらは幼少期だけのものではなく、成人でも何らかの悲哀を経験した後、回復過程の中でこの移行対象・移行現象を一時的に通過することもありうるようである。



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ここでは二人の症例から虚無感を考察している。

一人目は30歳の女優である。ウィニコットが彼女の虚無感に基づく飢餓感を解釈してから彼女は20分感も眠ってしまったのである。これらのことは、彼女は虚無感を解離しており、そこに本当の自己があったということを示しているのであろう。そして偽りの自己によって防衛していたのかもしれない。

二人目の症例は男性医師の患者である。親から女性のように育てられ、自分が男性であるということをなかなか認識できなかった。そしてそれは自由におしっこをすることができおなかったということにつながっている。この中心には虚無があったのである。これらのことが分析の中で明らかとなってきた。



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あまり数が集まってない様子です。

よろしくお願いします。

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ウィニコットはフロイトの「子どもが叩かれる」という論文を下敷きにウィニコットなりの母子関係を論じている。

ここでは10年にわたる精神分析の素材から論じられているが、患者の叩かれたという空想は母親のマゾヒズムと関係があるとしてる。そしてこの患者が感じていた絶望感は実は母親の絶望感であったと洞察に至った。

ここにもウィニコットらしさが現れている。つまり、母と子を見たときに全てではないかもしれないが、ウィニコットは母に原因を求めているのである。それは環境の失敗が重要であるとしているからかもしれない。



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幻覚は一般的に精神病の症状であると理解されている。しかし、本論文でウィニコットは幻覚が単なる病気の症状ではなく、さまざまな意味や機能、防衛が含まれていると主張している。

つまり、幻覚を見ることによって、何かを見ないようにしている、真実の触れないようにしているということである。その真実には情緒的な外傷があるのではないかということを症例を通して考察している。

実際に幻覚を持つ患者を何人か担当しているが、単に統合失調症の症状だなと思う患者と、何か意味のある幻覚だと思えるような患者といるように思う。後者の患者には敢えて分析的な介入をするとかなり変化を及ぼすことも経験している。

単に幻覚だから症状であると決めつけるのは臨床的ではないということをこの論文は教えてくれているように思う。



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精神分析においては、子どもはプレイで無意識を表現し、大人は自由連想で無意識を表現する。そして分析家はそれを解釈していくというのが一般的である。しかし、本論文でウィニコットは大人の精神分析の中で遊びをどのように取り入れるのかについて論じている。

ウィニコットはある臨床例をもちいて論じている。ある患者はコーヒーを飲まずに分析に来てしまい、そのためすべての時間を無駄にしてしまったとオロオロとしていたようである。その時ウィニコットは現実のものとしてコーヒーを差し出したのである。ウィニコットは空想の中でコーヒーを差し出されるのと、実際の関係の中でコーヒーが差し出されるのはとてつもない違いがあり、それは現実的な遊びの要素を持ち込み、分析が進展すると主張している。

さらには、他の大人の例でもしばしば紙と鉛筆を提供することもあると言ってる。これは描画を通しての精神分析ということであろう。

上記のコーヒーの例では、僕の観点からするとコーヒーを飲まないことでオロオロしたり、時間を無駄にしたという空想を持っていること自体が重要で、それをそのまま解釈した方が良いのではないかとも思ったりする。また、欲求不満状態に置く方が分析が進展することもよく知られたことでもある。

たぶん、ウィニコットはもちろんこういうセオリーについては知っていたであろうし、敢えてその上でこの現物を提供するということを通して、遊びの重要性を主張したかったのだろうとは思うが。

ここにウィニコットの自由さや柔軟性を見いだすのか、それとも精神分析における分析家のアクティングアウトや逸脱を見るのかはその人の価値観によるかもしれない。


ウィニコット著作集6巻 精神分析的探究1 精神と身体

D.W.ウィニコット(著)「知っていることと知らないでいること:ある臨床例」 年代不明
館直彦 他(訳)“ウィニコット著作集6巻 精神分析的探究1 精神と身体” 岩崎学術出版社 2001年 pp33-35

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35才女性の精神分析を素材にしている。患者は自分が何かに気づいているのに気づいていることを認めないということが繰り返されていた。

そのことが夢や言い間違いに幾度と無く現れ、それをウィニコットが分析していく中で両親との関係にいきついた。それは母親が彼女をだましていたが、だましていたことを認めることができなかったことが関係していたのである。

それは悪意をもってのことか悪意がないことなのかは分からないが、その両親との関係がウィニコットとの間にも転移されていた。つまり、患者はウィニコットが分析を守るために時には患者(彼女)をだますかもしれないと彼女は知ることができるようになったのである。これが一つのワークスルーと言えるのかもしれない。



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本書はウィニコットが教育研究所に所属する教師を対象に行った講義録である。前半は精神医学が精神分析のこれまでの基礎的な話が主であるが、後半にいくごとにウィニコット独自の見解や理論を織り交ぜられている。また前書きや解題でも書かれているが、ウィニコットの語り口はとても絶妙で、聞き手はウィニコットの講義に飲み込まれ、単に知識を吸収する以上の体験をしていたようである。それは出演していたラジオでも同様であったのかもしれない。

しかし、本書では精神医学・精神分析のコアな部分にも触れており、なかなか難しい内容でもあるように思う。そのような内容を精神医学・精神分析の素人である教師がどこまで理解できるのかは疑問に思う。多分、ウィニコットの講義では内容の理解よりも、そのような世界に触れ、無意識が動き、日々の実務に何らかの影響を及ぼすことが目的のようにも思えるので、内容の難しさは大きな問題ではなかったのかもしれないが。


D.W.ウィニコット(著)「治療的コンサルテーションであらわれた解離」 1965年
西村良二(監訳)“ウィニコット著作集2 愛情剥奪と非行” 岩崎学術出版社 2005年 pp276-303

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ウィニコットは反社会的行動や非行は愛情剥奪に起源があるとしている。そして愛情を取り戻すために反社会的な行動を行うとして、そこにネガティブな意味合いではなく希望を見出だしたのである。

本論文では上記の内容に解離や強迫の概念を加え、一つの治療相談のケースを通して、詳細に述べている。

ここで述べられているケースは8歳女児で盗みの問題のためにウィニコットの下に連れてこられたようである。この女児は解離を起こしており、強迫に盗みを繰り返していたようである。ウィニコットとの1時間15分の治療相談の中で、この女児の早期の愛情剥奪にまで到達し、解釈することで劇的に変化し、以後盗みをしなくなったと報告されている。

解離は外傷の結果として出現すると言われている。ということは愛情剥奪が外傷であると言えるのかもしれない。


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