発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 (精神分析 臨床心理 心理療法)
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タイトルのとおり初回面接について精神分析的な観点から書かれた本。サブストーリーとして“居場所”というキーワードがあり、どのように人は居場所を求め、それを得るのかについても論じられている。本書は精神分析的な観点が主ではあるが、それに囚われず、もっと幅広く他学派の人でも参考になるように一般的な視点も取り入れられている。

初回面接と言ってもさまざまな段階があり、面接室を作る段階から患者と相対する時の姿勢まで事細かく論じられているので、マニュアルとしても使用できるようになっている。さらに転移の読み取りから治療をしていく上でのフォーミュレーションの手順も詳細で、大変分かりやすいものとなっている。

そして精神分析への導入だけではなく、一般的なセラピーへの導入にも対応できるようになっている。ただ、精神分析への導入で、“分析可能性”として精神機能や症状査定などが記載されているが、私の考えではそういうことはサブ程度の重要性と思っている。それよりも患者がどれだけ分析に対して関心を持つのか、そして治療者が直感的にその患者と取り組みたいと思えるのか、そうしたことが非常に重要と考えているのは本書と異にするところである。極端に言えばどういうフォーミュレーションかは精神分析への導入とはあまり関係ないということもできる。

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ウィニコットのある分析ケースから見出された知見のメモである。ケースはどういう主訴で、どういう人物かはほとんど記載はされてないが、あるセッションでウィニコットへの陽性感情を告白し、次のセッションでは妄想的転移が展開し、強い怒りを表出していた。そこには引きこもりと退行があるとウィニコットは指摘し、前者には病的な独立が、後者には依存があるとしている。そして面接時間の最後まで引きこもりと非難を続け、最後に「自分の時間をこのように浪費するならもう二度と来ない」と言って彼女は帰った。ウィニコットは彼女はこれと似たような外傷や剥奪があり、それを今ここで転移関係の中でリアルに体験したのだろうと理解した。そしてこのような妄想的転移はただ耐えることが必要だとも言っている。

そして、来ないと言っていたが、その次のセッションに彼女は来て、桃を二つウィニコットに差し出した。ウィニコットはそれを受け取った。明らかに彼女の罪悪感が関係しているが、精神病者の場合にはそれを受け取るとウィニコットは決めているようであった。その後、彼女は夢を報告し、分析は展開していったようである。

このようなプロセスがあると、どうしても抵抗・治療抵抗と理解してしまいがちであるが、ウィニコットはそこにある種の病的な部分と発達的な部分があることを見出し、その文脈で扱っていったようである。その扱いの是非はあるだろうが、ウィニコットらしいものと言える。



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摂食障害と一口に言っても、さまざまな病態・症状が多彩にあるのが特徴である。過食・嘔吐・拒食、など様々である。これまでの認知行動療法ではそれらの症状にターゲットを絞り、手法をそれらに適応させながら治療を行ってきていた。しかし、本書で行われている認知行動療法は症状をターゲットにするのではなく、摂食障害の患者全てに共通する中核的な問題をターゲットにし、症状に囚われない画一的な一つの方法を提案している。

そこで提示されている中核的な問題とは体重や体型、それらのコントロールについての認知の偏りである。過食患者・拒食患者、どちらにしてもそれらの認知の偏りは存在し、それらを変容させることが治療の要であるとしている。その為の技法として、認知再構成法などの直接認知を扱う技法よりも、まず先に摂食のコントロールをし、定期的で健康な食生活を送るように指導するようである。それによってさまざまな体調や体型・体重が改善し、それにともなって認知の変容も起こるとしている。さらに体型などに対する不安を回避させず、それに曝露することも技法の中に取り入れられている。これらのことから認知的な技法よりも行動的な技法を優先させているように思われる。それらを20週20セッションに限定しておこなっている。

ただ、どのような摂食障害の患者にも同様の手法を用いるとはしているが、やはり拒食患者に対してはかなり難しいようである。そこで拒食患者に対してのみは40週40セッションを行う拡大版を施行しているようである。セッション数は多くなるが、中身はそれほど違いはないようである。

本書の治療ではまず取り組むことは摂食のコントロールであるが、摂食障害の患者はそこに対して強い拒否を示すことが多いと思う。心理教育をしっかりとしているとは言え、最初からそれを指導できるとはにわかに信じがたいがRCTなどで、しっかりと結果を出しているところをみると、意外とできるのかもしれない。


D.W.ウィニコット(著) 「家族内における個人の発達との関係からみた外傷概念」 1965年
D.W.ウィニコット(著) 北山修(監訳) 「ウィニコット著作集7 精神分析的探求2 狂気の心理学」 岩崎学術出版社 1998年 pp19-42

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この論文はケースのプレゼンテーションから始まっている。ケースは前思春期の女の子でウィニコットが分析とマネジメントで関わっていたようである。ケースは小児病棟に入院していたが、そこに倒錯者が出没しており、外傷をこうむったようである。その後の経過は省くが、彼女は分析家(ウィニコット)との万能的一体感から脱錯覚し、分析家を憎むことができるようになっていったということである。これはアンビバレンスに達することができたということであるとウィニコットは言っている。その他にもいくつかのケースを提示しつつ、上記のような類似的なことが起こったことをウィニコットは説明している。

適度な環境からの侵襲はほどよく良い対象を憎むことができ、それが社会性を伸ばす事に繋がる。しかし、あまりにも突然で予測不可能な侵襲は外傷となり、ほどよく対象を憎むことが出来ず、逆に憎まれていることとして妄想的に体験されてしまうのである

子どもが健康に情緒的な発達をおくるために、親は「無数の方法を駆使して子どもを外傷化から保護している」としている。それが何らかの形で失敗した時に分析家の仕事が必要となってくるのかもしれない。それは外傷が転移関係の中で再演され、健康に分析家を憎むことができることが重要なのかもしれない



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本書はSSTを少なからず経験し、さらなるレベルアップを目指す人のために書かれた中級者向け。そのため、SSTの基本的なことにはほとんど触れられていない。

SSTを効果的に施行するためのアセスメントとして行動分析の基礎を第1章で説明されている。さらにドライランにおけるアセスメントの方法や評価方法についても詳しく書かれている。

その他にも見所はいろいろとあるが、いつも思うのはSSTのリーダーをする人はなぜここまでエネルギッシュで、エンターテイナーで、まるでマニックのようにテンションが高いのだろうと。そのようなやり方で円滑的にグループをすすめ、患者を飽きさせないようにしているのかもしれないが、なかなか僕には合わない感じもしないではない。



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精神分析はヒステリー・神経症の治療としてフロイトによって開始されたが、徐々にその適用を広げて、ついには精神病を扱うまでに至っている。ウィニコットはその中で精神病の起源をパーソナリティが確立する乳幼児期に求めている。そして、精神病を環境欠損病と捉えなおし、早期の育児や世話(ケア)との関係が重要であると指摘している。

さらに、成人の様々な精神病的な症状も、成人になってから初めて経験されたものではなく、すでに幼児期の頃に体験したことの再燃であるともしている。そして、その治療においては「患者にとって必要なのは、本来の狂気original madnessを思い出すことである」としている。つまり、「分析設定の中で狂気になることであり、患者にできることとしては、狂気を思い出すことにもっとも近いことである」とウィニコットは提起している。精神分析の中で幼児期の欠損を想起し、ワークすることが必要ということなのかもしれない。

このようなことが精神分析の中であらわれることは、妄想的転移(M.Little 1958)と呼ばれているのであり、分析家はその受け皿として引き受けねばならないのである。ゆえに、転移や防衛の背後に隠された不安に触れていくことを分析的にしていかねばならないのである。

このような精神病の苦しさには解体・非現実感・離人等さまざまあるが、この「苦しみを自覚するためにこそ苦しみ続けるということを意味している」とウィニコットは言う。

乳幼児期に侵襲によって起こる事態が防衛を再組織化していく。つまり、偽りの自己の発達であり、それによって本当の自己は守られているのである。精神分析とはこの本当の自己に触れて行くことが究極の目標であるが、それは自覚することではなく、転移の中で生きていくことを意味するのである。それによって患者は変容していくのかもしれない。



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認知行動療法はうつ病性障害や不安障害に効果があるとされる心理療法である。主に認知や行動に働きかけるものであるが、子どもや若者といった認知機能が十分に発達していないクライエントにどのように適用していくのかについて本書は取り扱っている。

認知行動療法では知能の低いものには適用しにくいというイメージがあるが、実際にはそうではなく、応用しだいでは適用可能である。すなわち、できるか/できないかで考えるのではなく、どのように適用したらよいか、を考えるのである。

ただ、そうは言っても生まれたばかりの赤ん坊の認知に働きかけるというのはやはり無理というものだろう。このあたりについて、研究者や実践家によって対象年齢がどれくらいならば適用できるのか、というのはさまざまな意見が出されている。抽象的な思考ができはじめる12歳ぐらいからという意見もあれば、具体的思考ができる6歳ぐらいという意見まである。本書では6歳ぐらいから施行できるという立場で書かれており、それぐらいの年齢のクライエントに対しての認知行動療法の施行例が掲載されている。もちろん、成人のような施行の方法では不可能で、マンガやイラストなどを用いたり、映画などで登場する道具を比喩的に利用して行うなどの工夫がさまざま凝らされている。

このような子どもや若者に対する施行で必要なのは、もちろん知識と技術は必要であるが、それ以上にユーモアや子どもの感性に合わせるセンスなどが必要になってくるように思う。子どものテンションに付き合うだけの体力と気力も必要だろう。


D.W.ウィニコット(著) 「育児、保育、および精神分析的設定のなかでみられる依存」 1963年
牛島定信(訳)“情緒発達の精神分析理論-自我の芽ばえと母なるもの-” 岩崎学術出版社 pp283-297

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 育児における幼児と母親との関係は、分析治療における患者と分析家との関係はパラレルであるというのはウィニコットが常にしてきた主張である。そして幼児と母親との間でなされていることは分析治療に利用できるのである。

 そして依存をどのように扱うのかは学派によってかなり違うのかもしれない。厳格なフロイト的・クライン的な対応であると依存は分析家に向けられた転移であるので、解釈によって応答しなければならないとなるであろう。しかし、ウィニコットは早急な解釈はたとえ正しい解釈であったとしてもその情緒的体験をこなす能力がないので、怒りや興奮を引き起こすとしている。患者が万能感を十分に体験できる環境を提供することが分析家の務めでもあるとしている。



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SSTとは「Social Skills Training」の略で、日本語では生活技能訓練・社会技能訓練と訳されることが多い。行動療法のモデリングや行動リハーサルといった技法を使い、対人関係やコミュニケーションの練習をしていくものである。これは集団ですることが多いが、個別に施行することもできる。

本書はSSTのマニュアル本などではなく、これまでの歴史を概観し、現在のSSTの治療的な位置づけについて包括的に論じているものである。

しかし、本書の編著者である西園氏はIPA(国際精神分析学会)に認定されている精神分析家であり、一見SSTとは関係がないようにも思える。なぜその西園氏がSST普及協会の会長をし、本書の編著をしているのかについては、第1~2章でその内実が書かれている。簡単に述べると、アメリカ精神分析アカデミーでSSTの創始者であるリバーマンが受賞されるということがあり、それをきっかけに西園氏はSSTについて知ったようである。その後、IPAの大会に出席する折にリバーマンに会い、大学の研究室でSSTを導入することになったようである。西園氏は精神分析家ではあるが、精神医療の現場で長年働いており、包括的に精神障害者の治療に当たっている経緯からSSTにも興味を示されたのかもしれない。

本書では、SSTの歴史から技法の解説、基礎理論、各分野での応用、さらにはエビデンスについてまで網羅されている。すべてに触れることはできないが、いくつか印象に残ったところいうと第8章では更生保護分野でのSSTの導入について前田氏が詳細に説明している。その中でSSTを導入する際に、手弁当で、ボランティアで、休日返上で、無給で行ったとしており、それを奉仕精神によるものとして美化しているところがあった。そのような熱意には感心するし、そういう金銭が支払われない財源的な事情もあったのかもしれない。ただ、援助専門職ということであれば、奉仕精神で技術を安売りするのではなく、誇りをもって専門技術の提供の見返りとしての正当な報酬をもらうことが大事なのではないかとも思う。特にサービスや福祉は奉仕精神の名の下で援助者の善意を搾取し、疲弊しつづけてるリスクが非常に高くなる。ボランティア精神・奉仕精神に依存した援助ではなく、効果が裏付けられた根拠ある援助を行うことが必要である。今でも福祉現場では低賃金でこき使われることが多いと聞く。もちろん、そうではない現場もあるだろうし、専門意識が高い援助者もいるだろうが。

また、第13章ではSSTのエビデンスについても述べられている。これまでのさまざまな研究を通して、SSTの効果はそれなりに認められているが、唯一、般化と維持については一貫して否定的な結果が見出されているようである。つまり、SSTをしている時には良いが、それが現実生活に応用されず、SSTが終われば効果が低下するということである。このあたりの知見は以前から見出されており、色々な工夫が凝らされているようであるが、未だにそれを克服することができていないのが現状のようである。


D.W.ウィニコット(著) 「青年期の積極的精神療法を補う病院管理」 1963年
牛島定信(訳)“情緒発達の精神分析理論-自我の芽ばえと母なるもの-” 岩崎学術出版社 pp273-282

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 ウィニコットは幼児と母親についての言及は本当にたくさんあるが父親や思春期・青年期についてはほとんど言及はない。ここでは数少ない青年期に対するウィニコットの考察が述べられている。

 幼少期には幻想の中でしか実現しなかったものが、青年期では身体的にも成長し、現実的に実現させる能力を獲得していく時期であると言える。そのような中でさまざまな精神疾患が表れやすく、神経症・ヒステリー・躁鬱病・偽りの人格・精神分裂病がみとめられる。さらには自殺の問題も多くなる。そこまでいかなくても依存と自立の境目におり、精神的な不安定さを経験する青年も多いことであろう。

 このような青年に対して病院の中におけるマネージメントは重要になってくる。それは世話や看護といった関わりを通して青年を抱えて行くことが求められる。また精神療法を行う土壌を支えるといった機能も必要となるであろう。ただ、これらを提供していくには難しいところもあり、青年がスタッフを巻き込み、集団を分裂させていく場合もある。ウィニコットはこれらを両親との間で体験したことを再現している、という言い方をしている。


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