発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 (精神分析 臨床心理 心理療法)
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 本章はロンドン大学の教育学部で講演されたものようである。たぶん、教育を志す学生が対象だったのであろうと推測される。

 ウィニコットは道徳を教えるためにはその前提が必要で、前提がないと独特を教えることは不成功に終わるとしている。その前提とは、子どもが十分に情緒的な発達がなされていることである。その十分な情緒的な発達とはウィニコットの言う“ほどよい環境”における養育のことである。

 また不良や反社会性の子どもに対して道徳を説いて教えることについては限界があるとも言っている。それはまさしくその通りであろう。彼らには道徳を説くことではなく、まずは安全で保証された環境を提供することにあるとしている。そのことによって不良行為の中に閉じ込められた希望が見出されるのである。

 道徳・教育と精神分析とは水と油のように思えるこのタイトルに対してウィニコットは自身の理論を絡めながらうまく説明しているように思われる。



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准看護師であり、SSTの認定講師である著者がこれまでのSST実践の中で経験した事柄をエッセイ風にまとめたもの。テキスト的な堅苦しいものではなく、砕けていて、それでいて経験に裏打ちされた重みのある言葉がちりばめられているので、初心者から中級者には大変参考になるものと思われる。

日本ではSSTというとグループを構成し、その中で手順と手続きがしっかりと構造化されている治療法というイメージがあるかと思う。しかし、本書で実践されているSSTはそういう構造化されたものももちろんあるが、それ以上に病棟内や実際の生活の中に自然と組み込まれたSST実践も書かれており、そこは大変新鮮な視点であったと思う。SSTの技術を身につけることによって、もちろんグループとしてSSTを実践することもできるが、日々の患者さんとの関わりや援助の中にも生かされてくることがあるのだと思う。


D.W.ウィニコット(著) 「個人の情緒発達に見られる依存から独立の過程」 1963年
牛島定信(訳)“情緒発達の精神分析理論-自我の芽ばえと母なるもの-” 岩崎学術出版社 pp93-106

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 個人が情緒的に独立するためには依存の時期、それも絶対的な依存の時期に十分な環境における満足がまずは必要となるのであろう。その時期には母親は“原初的な没頭”と呼ばれる状態になり、すべてのエネルギーを幼児に向けて奉仕するようになる。その時には母子が一体となっていると言っても良いかもしれない。この時期に失敗が起こると幼児は侵害として体験し、後に精神病的な状態に陥ってしまうとされている。

 そして相対的な依存の時期になると、幼児は環境に対する知覚ができるようになり、徐々に活動範囲も増えていく。母親の役割は、幼児の自我ニードに沿いながらも漸次的に手を引いていき、それがうまくかみ合うと急速な発達を促すことになる。

 本章では母親を幼くして亡くした3人の兄弟の症例が紹介されている。それぞれが母親を亡くした時期にどのような発達段階にいたのかはバラバラであるが、それぞれ母親喪失に対する影響が後々にどのように出たのか、もしくは乗り越えたのかが描き出されている。ウィニコットは分析治療を行っていたわけではないようだが、長い経過の中でマネジメントをしていくことによりこの家庭を支えていたようである。このようなウィニコットの精神分析外での臨床経験が精神分析に行かされていることが本当によく分かるように思う。



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SSTは本書の著者であるリバーマンが創始したものであり、その後ベラックなどによって体系化された行動療法の一つの技法である。SSTはストレスー脆弱性ー対処技能モデル受信ー処理ー送信モデルなどが仮定されており、の中には行動リハーサル、正の強化、モデリングなどの行動的な技法が組合わさって構成されている。

またリバーマンのSSTの方法と、後にでてきたベラックのSSTの方法は多少違っており、それは両者が対象としていた患者層の違いによるのが大きいと言われている。

本書では基本的なSSTの方法をふまえた上で、個々のケースや進めている中でのポイントや工夫するところ、トラブルが起こった時の対処などについて事細かに書かれている。また難事例をモデルにして、実際にどのようにトラブルを乗り越えるのかを臨場感あふれる文章で書かれており、大変参考になる。

さらに付録として、リーダーのチェックリストや評価尺度などもあるので、それを実際の臨床でもそのまま使えるようになっている。

本書では最初に前書きや謝辞や序文、著者の挨拶などが25ページというちょっと多めに収録されており、ここだけ読むのでちょっと疲れてしまうところもあったのが、難点と言えば難点。



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 精神分析においては罪や罪悪感についてはかなり論じられており、フロイトはエディプスコンプレックスの関連から、クラインは抑うつポジションの関連から考察されている。しかし、両者ともネガティブな意味合いを含まれる用語を使っているが、ウィニコットはここに“思いやり”という用語を用い、ポジティブな意味合いのものとして理解しようとしている。

 ウィニコットによると、幼児はイド衝動に対する不安を持っているが、母親はこれらの不安によって死に絶えることなく、抱え続け、引き受け続けることによって、幼児は同じように耐えれるようになるとしている。そして破壊してしまったものに対する思いやりが生じ、修復していく過程で信頼感も育っていく、ということのようである。



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 SSTは主にリバーマンの方法とベラックの方法の2つに分けることが出来る。本書は後者の方法について2日間のワークショップを行い、それをまとめたものである。様々なソーシャルスキルを小さいステップにわけ、それを段階的に練習していく方法であり、ある程度、問題や特徴が似た患者さんを集めたグループを構成することがベラック方式のSSTでは重要のようである。

 そして、それらの方式によるSSTをデモンストレーションを通して、分かりやすく本書では紹介されており、かなり臨場感あふれる印象がある。セッションの具体的な進め方や正のフィードバックの方法など、なるほどと思えるところが多数ある。


D.W.ウィニコット(著) 「健康なとき、危機状況にあるときの子どもに何を供給するか」 1962年
牛島定信(訳)“情緒発達の精神分析理論-自我の芽ばえと母なるもの-” 岩崎学術出版社 pp67-78

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 ウィニコットの発達観・人生観・育児観ともいえるが、人間は適切な環境が与えられて初めて成長する、ということが常に念頭にあるように思える。それは単に欲求をそのまま満たしてあげるといったものではなく、自我ニードに奉仕するということが重要のようである。具体的にいうと、人間環境の連続性・信頼性・漸次的適応・創造を現実化するために必要なものの供給、である。

 そしてそれに失敗することにより、様々な問題が発生するとしている。例えば、極端な依存の時期に環境の失敗があると、精神病的な障害が起こり、依存と独立の時期では反社会的な問題が起こる、などである。

 これらのことは他の論文でも述べていることであるが、育児で行われていることは精神分析治療の中で行われていることとパラレルであるとしている。さらには、“愛情”というものが基礎にあるというのはウィニコットらしい表現であると思う。


わかりやすいSSTステップガイド-分裂病をもつ人の援助に生かす上巻わかりやすいSSTステップガイド-分裂病をもつ人の援助に生かす下巻

アラン・ベラック、キム・ミューザー、スーザン・ギンガリッチ、ジュリー・アグレスタ (著) 熊谷直樹、天笠崇 (監訳)
「わかりやすいSSTステップガイド-分裂病をもつ人の援助に生かす-上巻:基礎・技法編」
「わかりやすいSSTステップガイド-分裂病をもつ人の援助に生かす-下巻:実用付録編」
星和書店 2000年

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 SSTの施行について全般的なことが網羅されているマニュアル本。メンバーの選択から技法の適用まで細かいところまで具体的に記載されているので初心者やこれからSSTを始める人にとってはとても役立つものと思われる。

 ベラックのSSTでは会話技能群・対立の処理技能群・自己主張技能群・地域生活技能群・友達付き合いとデートの技能群・服薬自己管理技能群・就労関連技能群の7つの領域がカリキュラム化されている。さらにこれらの基礎となる技能として、嬉しい気持ちを伝える・頼み事をする・他人の言うことに耳を傾ける・不愉快な気持ちを伝える、の4つがあり、この4つは全ての人が恩恵を受ける技能と位置づけられている。そしてこの4つの技能を用いて7つの領域のカリキュラムをこなしていくこととなる。

 また、症状の重い患者、アルコールや薬物乱用患者などに対する対処方法や、SSTを施行する上での環境調整なども網羅されている。そして何度も出てくるものとして、エイズ・HIV関連のテーマは繰り返し取り上げられている。日本ではまだまだ正面切って取り扱うのに抵抗が大きい領域であるかもしれない。

 そして下巻ではそれぞれの技能のステップや注意すべき点、ロールプレイ場面の例などがひとつひとつ記載されている。これらを参考に取り上げるテーマを設定していくことも可能である。さらには、資料として実際のSSTで使用できるワークシートや評価尺度なども載せられており、大変便利である。
D.W.ウィニコット(著) 「子どもの情緒発達における自我の統合」 1962年
牛島定信(訳)“情緒発達の精神分析理論-自我の芽ばえと母なるもの-” 岩崎学術出版社 pp57-66

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 子どもの自我は早期においては体験を体験として知覚できるほど機能できていないのである。それが母親の抱っこにより統合され、あやすことによって人格が成立するとしている。

 さらにもう一つウィニコットは対象を提示することにより、対象と関係を持つことができるとしている。これは分析的な治療の中でも大変重要になってくるのではないかと思われる。分析治療では転移解釈ということが要になってくることは大多数の同意を得られるであろうが、適切な時に適切な対応をすることにより、漠然とした体験に形を与えていくことになる。

さらにウィニコットは、この対応とはイド欲求を満たすものではなく、自我の体験を作り出すような、内界・外界の状態とも言っている。これも重要で、単に求めるものをそのまま与えることは育児でもないし、分析治療でもないと言えるだろう。


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SSTはリバーマンやベラックによって開発された行動療法の一技法であり、主に統合失調症に対して適用されてきたという歴史がある。しかし、統合失調症に限らず学校現場や福祉現場における発達障害や知的障害に対しても適用されてきていたが、体系だったテキストはあまりなかったように思う。その点から本書は発達障害・知的障害に対する適用を模索しており、様々な点で参考になるところはあるだろう。

発達障害と知的障害ではかなり違うが、両者とも認知的な能力に障害があり、そこをどうクリアして、SSTに導入していくのかがポイントであると思われる。例えば、本書での工夫を一つあげるとすると知的障害に対するSSTでは、SSTの流れやルールの明文化を平易でやさしい表現にし、数を絞るということも行われている。さらに子どもの場合には特別支援学級でどのように導入するのかについて、教師全体に対して周知し、理解を求めることが必要であるというのはまさにそのとおりであると思われる。

本書ではSSTの実際的な適用について述べられており、研究的な部分はほとんど記載はない。SSTのエビデンスベースドにおける位置づけはどこかで盛り込まれても良かったのではないかと思われる。特に統合失調症以外への適用は新しいが、それでも全く研究がないわけではないので、そういうところの知見を踏まえることは重要ではないかと思われる。また、本書に記載されている実践では様々なアセスメントツールが使われているが、そのほとんどが標準化されてなかったり、恣意的に変更されたものが多く、妥当性や信頼性に疑問を持たざるをえない部分が多かった。

あと、本書では「発達障がい・知的障がい」となっており、「がい」をひらがな表記で統一されていた。最近は疾患名の変更や表記の変更が数多くあり、それは差別的な表現だからという理由が主のようである。しかし、表記そのものが差別というよりは、社会的な認知・認識の問題が大きいので、表記だけを変えても中身が変わらなければ意味がないように思うし、下手すれば言葉狩りになってしまう危険性もある。

最後にこれは私の個人的な印象であるが、SSTをする人は変に根拠のない明るさを持っており、良くも悪くもそれがSSTの特色にもなっているように思う。SSTのワークを楽しくするためにテンションを上げねばならないというのも理由かもしれないが。どうもこの明るさに少なからず抵抗感を持ってしまう。


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