発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 (精神分析 臨床心理 心理療法)
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 EMDRとは眼球運動など両極性の刺激を与えることによって外傷記憶に伴う感情・認知・身体反応を処理していく比較的新しい心理療法である。そして本書はそのEMDRの手続きマニュアルやこれまでの研究結果を包括的に収められており、EMDRを習熟していく際の必須のテキストである。

 1章と2章ではEMDRの歴史的背景や治療機序の説明があり、3~8章で標準的なEMDRを志向する上での手続きが記されている。9章では標準的な手続きを超えた状況での対処方法が、10章では認知の編みこみというさらに高度なテクニックの紹介がなされている。10章ではPTSDやそれ以外の疾患に対する適応について、12章ではEMDRの理論的背景と効果についての網羅的な研究が紹介されている。さらには、付録として5つのEMDRを施行する際に活用できるリソースが付け加えられている。全部で500数ページにも渡る大著で、読み通すだけでも多大な時間と労力が必要となっている。逆に言うとそれだけ盛りだくさんの情報が載せられているということである。

 EMDR国際学会という組織があり、EMDRを臨床で使うためにはEMDR国際学会の基準に準じたトレーナーによる研修会を受講することが絶対条件である。そしてその研修会に参加するためには、一定の精神保健分野の資格と臨床経験が必要となる。日本ではEMDRの研修会を受けるためには医師か臨床心理士の資格を持っていなければならない。それ以外の者が研修会を受けることもできないし、ましては本書を読んだだけでEMDRを施行することも倫理的に許されないことである。ちなみにこの研修会は年に数回日本全国で実施されているが、いずれも盛況でほぼ満員であるとのことである。

 EMDRの施行であるが、眼球運動でトラウマを消す、という世間のイメージが強いように思うし、僕もそうであった。しかし、実際のEMDRは眼球運動だけではない刺激を用いるし、トラウマがそれで消えるわけではない。トラウマによって引き起こされた記憶の滞りや、不合理な認知や感情を元に戻していく方法である。なので、トラウマが消えるわけでも、記憶が無くなる訳でもない。トラウマによって隔離され、健全に統合されなかった記憶とその周辺機能をEMDRによって自然に戻していくだけなのである。

 以上のようなことが網羅的に・包括的に記載されているのが本書であるが、至るところに犯罪被害などの悲惨の経験をした事例が載っており、シビアな気持ちになってしまうところもあった。また、アメリカの独自の事情もあるだろうが、ベトナム戦争から帰還した元兵士の治療にこのEMDRが使われていることが多く、本書でもその事例が多く載せられていた。日本ではそのような帰還兵についての治療がほとんどないというのが現状なので、あまりリアルにその事例を見ることは出来なかった。



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尖閣諸島の歴史と中国の軍事的圧力について

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1884年 日本人の古賀辰四郎が尖閣諸島を初めて探検。
1885年 日本政府に対して同島の貸与願いを申請。
1895年1月14日 閣議決定により日本領に編入。
1945年 日本降伏。
1952年 サンフランシスコ条約にて沖縄の一部とする。
1969年~70年 国連の調査により尖閣諸島付近にイラクに匹敵する1095億バレルの石油貯蔵の可能性があると公表。
1971年 中国が尖閣諸島の領有を主張。
1972年 サンフランシスコ平和条約にて沖縄と共に日本返還。



あちこちから引っ張ってきた資料なので、もしかしたら不備があるかもしれませんが。

しかし、確実なのは1969年の国連による石油調査以前には中国は尖閣諸島の領有は主張しておらず、公的な地図にも尖閣諸島は記載してないようです。現在は「魚釣島」と称して領有を主張していますが、それ以前はちゃんと「尖閣」と記述して、中国の領土としては見てなかったようです。

この辺りについてはあの日本共産党でさえ、尖閣諸島は日本の領土であると主張しています。

日本共産党「日本の領有は正当」

ガス田・石油の埋蔵量については様々な調査があり、結果にはバラツキがありますが、だいたい円換算で100兆~600兆円ほどの資源になるようです。

莫大な人口を支えるエネルギー資源として中国にとってはノドから手が出るほど欲しいガス田でしょうし、制海権を太平洋まで伸ばしていく上で、尖閣諸島はその足がかりにもなる軍事上の重要ポイントでもあるようです。南シナ海においても中国はベトナムやインドネシアを軍事的に威嚇し、領海を武力で広げつつあります。

こうした中で尖閣諸島における漁船が海保船に衝突させるという事件がおきました。これまでにも、かなりの漁船が日本領海に不法侵入し、不法操業しているということもあったようです。

これ以後は様々なニュースで取り上げられているので、知っての通りですが、中国は軍事力と経済力を背景に、色々な圧力をかけてきており、中国国内では反日デモが繰り返されてきました。日本の対応としては、国の方針としては「司法手続きを粛々と進める」とだけしかしてきませんでした。

そして結果的に中国の圧力に屈した形で、漁船の船長の処分保留の釈放をすることになってしまいました。

このことにより、当面の経済制裁の解除を見込んでのことがあったのかもしれませんが、長期的に見れば、中国に日本の弱腰外交を見せてしまい、強く出れば日本は屈するということを中国に学習させてしまったことになります。

今回の事件以降、尖閣諸島に対する不法侵入はさらに増え、中国の実効支配が進んでしまうのではないかという不安があります。アメリカは「尖閣諸島は安保対象」ということを言っていますが、日本が強く領有を主張し、犠牲を払ってでも国益の為に尖閣諸島を死守するという気持ちがなければ、中国につけこまれます。というか、既につけこまれていると思いますが。

いくつかのニュースで中国はガス田の掘削を開始しているという情報も流れているようです。それにも関わらず国は「確認してから」という対応しかなく。

国同士の友好は単に平和的な姿勢によって得られるものではなく、主張すべきところは主張し、違法な行為に対しては断固抗議。友好を捨ててでも守らないといけないところも出てくるかもしれません。

目先の経済効果だけに走って中国と表面的な友好を欲するのではなく、長期的な視点を見て、国と国との対等な関係を持つことがこれからの日本には必要なことであると思います。


●『尖閣諸島』まとめ動画【日本語版】(4分42秒)




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D.W.ウィニコット(著) 「普通の献身的なお母さん」 1966年
ウィニコット著作集1巻 “赤ん坊と母親” 岩崎学術出版社 pp15-26

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 この論文は1966年2月16日にイギリス連邦看護学校協会ロンドン支部で講演したものである。口語的で非常に分かりやすく簡潔に、しかし大変重要な母子についての理解について書かれている。

 母親が赤ん坊とどのように出会い、どのように世話をするのかについて比喩や例を用いながら説明しているのだが、その多くは、母親は完璧な養育を必ずしなければならないということではなく、時々失敗するかもしれないが、ほど良い養育をすることができたら良いといった主張をウィニコットは行っている。そして赤ん坊が失望にまで至らない程度の失敗があるからこそ赤ん坊の自我は発達していくのである。

 さらに、専門家としてアドバイスできることは多くはなく、ほとんどは母親は自分自身が養育されたという幼少期の体験からまさに本能的に赤ん坊を養育することができるので、その自信を失わせないことが大事であるとも言っており、ここにウィニコットが母親と赤ん坊の健康さを信頼が垣間見えるところである。

 これまで僕はクラインの論文を読んできたが、ウィニコットの論文における語り口との違いは大変大きいと感じた。この論文が精神分析の研究論文ではなく講演録ということを差し引いても、である。ウィニコットはクラインに最初は学び、次第に離れていったのであるが、両者の生まれ育った環境、パーソナリティ、対象者の違いというのはとても大きく、そういう意味では両者が別の道を歩んだというのも分からないでもない。



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メラニー・クライン(著) 「孤独感について」 1963年
メラニー・クライン著作集5巻 ”羨望と感謝” 誠信書房 pp179-194

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 クラインの最後の論文である。その最後のテーマが孤独感というのは大変興味深いもののように思える。

 クラインは孤独感について、幼児期の不安の派生物とし、迫害不安と抑うつ不安から生じるとしている。PSの次元では、万能的一体感が満たされないことによる孤独感、破壊衝動が投影され、妄想的危険を感じることによる孤独感、外的・内的に良い対象に頼れないことによる孤独感が。Dの次元では、生の本能と死の本能の葛藤による孤独感、全体性を獲得できないことによる孤独感、良い母親を見失うことによる孤独感、良い対象と強調できないことによる孤独感、異性の持っているものを所有できないことによる孤独感があるとしている。そして、孤独感が完全になくなったり、癒されたりすることはなく、生涯を通じて心に作用するとしているところにクライン理論らしいと思える。PSポジション・Dポジションが生涯にわたって作用し続けることと関連があるのだろう。

 ここでの孤独感はクラインも最初に提言しているように、内的な問題から生じるものをターゲットにしている。もちろんそれは大事だろうが、やはり現実的な問題から生じるものもあるだろう。その一つは対象喪失である。フロイトの「悲哀とメランコリー」では、喪失した対象に対する怒りが自分に向け変えられることによって自罰的・抑うつ的になるとした。さらに大切な対象を喪失した際には孤独感をも味わうことであろう。クラインはさまざまの大切なものを人生の過程の中で喪失してきた。兄や夫、息子。さらに娘はクライン派から離脱した。さらに、クラインの賛同者であったウィニコットやその他の弟子も離れて行った。そのような現実的な対象喪失はクラインには多かっただろうし、孤独感も少なからずあったと想像する。クラインは人生後期になって、その孤独感をワークしようとしてこの論文を執筆したのかもしれない。しかし、それは途中で終わってしまったようである。クラインがあと数年ぐらい長生きしていたらどのような理論展開があったのか気になるところである。



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 本書では様々な代替医療に関する研究を包括的にまとめ、それぞれに効果があるのか、それとも効果がないのかを明らかにしていっている。

 第1章では科学的根拠の基づく医療(EBM)ができる前はどのような状況だったのか、そしてどのような経緯でEBMが出来上がってきたのかが概観されている。EBMの考えができ始めたのは1746年にイギリスのリンドが壊血病に対する効果的な治療を実験によって確かめていったことからである。それまでは様々な病気に対して経験と伝統に頼ったものであったが、この実験を皮きりにどんどんと実験を繰り返し、効果のあるものとないものを仕分けて行く作業が始まって行った。その中にはナイチンゲールの例もあった。ナイチンゲールは看護師という職業の基礎を築いた人物として知られ、暖かく包容的で親身に患者の世話をしたというイメージで見られることが多い。しかし、実際のナイチンゲールはそういう側面もあったかもしれないが、それ以上に統計学者・科学者であり、怪我の治療には衛生管理が重要であるとし、それを実験と統計によって確かめて行った。このようなナイチンゲールの仕事によって、今日の看護・衛生管理の大切さが世に広まっていったのである。

 このようにEBMの考え方のもとで、確かな病気の治療方法を探していくことにより、昔では考えられないくらい医療が発達し、その恩恵をたくさんの人が受けれるようになった。そして、以下の章ではこのEBMの考え方のもとで、鍼・ホメオパシー・カイロプラティック・ハーブ療法の4つを中心に、さまざまな代替医療がどのような評価を受けているのかを見て行くこととなる。

 鍼は細い針を皮膚に打ち込むことにより病気を治す技術であり、古代から続く代替医療であり、気や道といった概念を基礎理論を持っている。さまざまな研究から言えることは鍼についてはある種の痛みや吐き気にわずかな効果があるが、通常医療に比べて効果も小さく、効き目も長く続かないようです。すなわち、効果と思われていたもののほとんどがプラセボであるようです。

 ホメオパシーは200年ほど前にできたもので、微量の毒を何万倍にも希釈した水や砂糖を飲むことにより、病気を治療するものである。希釈されたものには1分子も含まれておらず、ホメオパシーが主張するメカニズムは根拠のないものとされている。また効果についても全くはなく、プラセボに過ぎないことが確認されている

 カイロプラティックとは、脊椎の異常により病気になるという理論の元で、脊椎に手技を施すことにより治療するものである。これについては、腰痛にわずかな治療効果が見られるのみで、その他の症状については効果は見られないものである。また、この手技を受けることにより、脳卒中などの重大な危険性が見られることもある。

 ハーブ療法とは、植物から抽出されたエキスで病気を治療するもので、漢方などとも近い関係にあるのかもしれない。これについてもいくつかの効果は確認されたが、通常医療による効果はそれほどなく、ほとんどがプラセボであることが確認されている

 その他に以下の代替医療について、それぞれ簡潔に効果研究のまとめをしている。

アーユルヴェーダ
アレクサンダーテクニック
アロマセラピー
イヤーキャンドル
オステオパシー(整骨療法)
キレーションセラピー
クラニオサクラルセラピー
クリスタルセラピー
結腸洗浄
催眠療法
サプリメント
酸素療法
指圧
神経療法
人智学療法
吸い玉療法
スピリチュアル・ヒーリング
セルラーセラピー
伝統中国医学
ナチュロパシー
パッチフラワーレメディ
ヒル療法
風水
フェルデンクライス法
分子矯正医学
マグネットセラピー
マッサージ療法
瞑想(メディテーション)
リフレクソロジー
リラクセーション
レイキ(霊気)



 いくつか聞いたことがないものもあれば、催眠療法・レイキ・スピリチュアル・瞑想などよく自称カウンセラーがしているものまで入っていた。催眠療法については自律訓練法などは不安やストレスに対する効果は確認されているが、その他のものは効果は確認されていないようである。レイキ・スピリチュアル・瞑想については、まったく効果がなく、ほとんどがプラセボであり、逆に悪化する危険性も指摘されている。さらには、いずれも継続的に手技を受けることをほとんどで勧められるため、多大な経済的不安を強いられ、通常医療を受ける機会を失うため、そういう意味での危険性は高いと指摘されている。

 本書ではいずれの代替医療においても効果はプラセボかどうかというところがとても重要なポイントとなっており、純粋な効果を判定するためにランダム化プラセボ対照試験という実験方法を用いて確かめて行くことが強調されている。代替医療のほとんどはプラセボに頼っていることが本書では明らかになった。しかし、中にはプラセボでも効果があればそれで良いじゃないかという反論もあるが、著者たちはそういう反論は医療に対する不正と切り捨てている。すなわち、プラセボを最大限に与えるためには、効果がないという真実を隠さねばならない。それは今後の医療の発展を妨げ、患者にウソを教えるという不誠実な行為をしなければならなくなる。また、プラセボを出すために代替医療は費用を高額にし、通常医療を過剰に否定している。このような行為が患者のためになろうはずはない。

 そして、何の効果もないものを与えてプラセボだけに効果を期待するなら、実際的に効果のあるものを与えて、プラスしてプラセボも出てこれば、もっと高い効果を期待できるのである。このような点からプラセボだけに頼る医療というのは捨てて行かねばならないと言える。

 代替医療は自らの効果のない方法を広めるために様々な手法を用いる。通常医療に対して根も葉もない噂を流し、あたかも代替医療がすべての病気を治すという宣伝を行う。たとえば、代替医療の好んで使う言葉に、統合的で(ホリスティック)、自然で(ナチュラル)、伝統的で(トラディショナル)、という3つがある。しかし、よくよく考えてみれば分かるが、いずれも中身のない美辞麗句にすぎないことが良く分かる。統合的については、逆に統合的に見ない医療はどこにあるだろう。自然で、というものも、そこまで自然が人間にやさしいかどうかは分からない。自然会は人間に対して様々な毒素を持っているものである。伝統的、というのも長ければ良いというものでもなく、長い間、間違った手技が伝統的に行われていた例はたくさんある。うわべが魅力的でも中身が伴なっていないと言える

 これらのことを良く言えばマーケティング戦略に長けていると言えなくもないが、患者に対する不誠実さを考えたら罪は重いだろう。ちなみに色々な調査結果から予想すると、全世界で代替医療に費やされるお金は日本円にして8兆円を超えるとのことである。そのすべてが無駄とは言わないが、このお金をもっと効果もあり、もっと短時間で済み、もっと安い費用でできる通常医療に切り替えるだけで、他に回せるお金が出てくるだろうと思う。

 そして、代替医療は時として「科学では解明されていない」や「科学では分からないことがある」といった批判をすることもある。そうかと思えば都合の良いときにだけ自らの正当性を主張するために科学を持ち出そうとする。科学では分からないということを合理化の材料にし、それ以上検証をしようとしない怠慢な態度がそこに現れていると言えよう。

 これらのことを見て行くと、代替医療というのは効果のない医療をしていることを指していることが分かる。逆に現在代替医療でもきちんとしたEBMの元で効果が検証されれば通常医療に組み込まれていく。そういう意味でもEBMは単に通常医療とは違うものを排除するものではなく、代替医療が通常医療に対して存在意義を主張することができる強い武器なのである。しかし、代替医療を推進するものは「代替」という言葉を通常医療を補完し、存在価値を見出すものと解釈しているように思う。そうではなく代替医療=効果のない医療という認識を持つことがもっともと分かりやすいのではないかと思う。なので、代替医療という用語を止め、「無効果医療」や「科学的根拠のない医療」と変更するほうが良いように思う。もっと否定的なニュアンスを強めたいのであれば、「インチキ療法」という用語でも良いだろう。

 最後に本書は様々な研究・論文を引用・参考にしながら構成されているが、文献を最後にまとめて載せ、その都度どの部分がどの引用なのかが書かれていなかった。研究論文を読み慣れている人にしてみれば、ちょっと読みにくいのではないのかと思う。



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 上記のホームページに日本ホメオパシー医学協会の反論がすべて読めます。それを読みましたが、根拠が稚拙で、論理も破綻しているところが多く、読むに耐えないというのが率直な感想です。細かい突っ込みは入れようと思えばいくらでも入れれますが、そうなると膨大な量になってしまうので、主要な部分(ホメオパシーのメカニズムと効果判定)のところのみ詳しく突っ込んでいきます。

1988年に「ネイチャー」に掲載されたベンベニスト博士の論文「高希釈された抗血清中の抗免疫グロプリンE(抗IgE抗体)によって誘発されるヒト好塩基球の脱顆粒化」ですでに水の記憶に関しては証明されています。



 「高希釈された抗血清中の抗免疫グロプリンE(抗IgE抗体)によって誘発されるヒト好塩基球の脱顆粒化」と長くて意味がよく把握できないタイトルですが、ホメオパシーのレメディでするような希釈をすると分子はほとんどなくなるが、その分子の記憶が水に残り、構造的変化を起こす、ということをこの論文では論じています。そして、それがホメオパシーのメカニズムとして科学的に実証されたと日本ホメオパシー医学協会は主張しているわけです。

 しかし、この論文が掲載された後、実験手続きの不備が見つかり、不備を調整したところ論文で書かれていたような結果は導き出せませんでした。不備というのは著者のベンベニストの助手であるダウナーが実験を主に行っていましたが、彼女はホメオパシー信仰者で、ホメオパシーに都合の良いように結果が出て欲しいというバイアスから結果を歪めていたというものです。すなわち盲検化されていなかったのです。その後、ベンベニスト論文を支持する研究・支持しない研究がそれぞれいくつか出されましたが、支持する研究はいずれも研究手続きの不備が多く、研究の質としては低いものばかりだったようです。これらのことを総合して、現在ではベンベニスト論文は否定されていますので、ホメオパシーのメカニズムは現段階では実証されていません。

ここで「有効性がないことが科学的に証明されています。」の根拠とされたLancetの論文については内容的にも疑義のある論文であることが各方面からも指摘されています。



 この論文はシャンがメタアナリシスの統計解析方法を用いてホメオパシーの効果を調べたものです。これまでいくつかのメタアナリシスの論文はありましたが、分析対象とする研究について質の良いものから悪いものまですべて含めて分析していました。質の良い・悪いというのは、実験計画や手続きが厳密で、中立的で、サンプルも必要数を満たしており、脱落などの否定的結果も誠実に記述している、などによって判定されます。例えば、同じような研究でもランダムサンプリングされているのとされていないのとでは絶対的にランダムサンプリングされている研究のほうが信頼性・妥当性は高いのは当然です。こうして、質の悪い研究をふるい落とし、質の良いものだけを集めて総合的に分析したのがシャンの論文です。そしてシャンの論文ではホメオパシーの効果は極わずかでプラセボとほとんど変わらないと結論しています

 そして、日本ホメオパシー医学協会はこのシャンの論文に不備があると言っているのです。どういうところに不備があると言っているのかというと、主に以下の4つがあります。

1.この論文でもわずかだが効果はあるといっている。
2.シャンのふるいのかけ方にバイアスが掛かっている。
3.個々の病気を対象にしていない。
4.個別化を大切にするホメオパシーは大規模な臨床試験には馴染まない。

 しかし、よくよく考えるとどれも的外れな批判に過ぎません。

1.効果がわずかなためプラセボとの違いが見出せない。
2.シャンはメタアナリシスに入る前にふるいにかけているのでバイアスが掛かっているとはいえない。
3.個々の病気・症状を対象にしたとしても、いずれも効果があるという根拠は得られていない。
4.いずれの臨床試験でもベテランのホメオパス(ホメオパシーを施術するセラピスト)が個別化のための聞き取りを行った上でレメディを処方している。

 また、シャンに対する批判的な論はほとんどがホメオパスらによるもので、それこそ中立性が保たれていないものであると言える。すなわちバイアスのかかった反論である。これらのことからシャンのメタアナリシスは現在のところもっとも包括的な研究であり、それによるとホメオパシーの効果については否定的なものであると言える。さらにコクラン共同計画という利権団体などからは完全に独立している医療を評価する団体があるが、ここもホメオパシーに対して系統的なレビューを出し、ホメオパシーに対する効果には否定的な結論を出している

以下にHPに二重盲検法に基づきホメオパシーの有効性を示す論文がありますので参照してください。



 といくつかの研究をアップしています。しかし、研究の質を決めるのは二重盲検法だけではなく色んな要因を総合的に検討して決めます。一度結果が出たからといってそれで終りではなく、繰り返しの追試が必要です。そして、質の悪い研究が100とか200とか数が多くてもそれはエビデンスの積み重ねにはなりません。もちろん、「治った」という体験談も同様です。シャンの研究ではそういう質の良い研究だけを分析しており、そこではホメオパシーの否定的な結論が出されています。

 上記2点(ホメオパシーのメカニズムと効果判定)が重要項目と思いましたので、重点的に突っ込みを入れました。その他にも突っ込みどころは満載なので、簡単にやっておきます。

 日本ホメオパシー医学協会の反論には、「治った」という体験談が多く、歴史も長い、ということを効果アリの根拠としていますが、その両方とも根拠とはなりません。体験談は単なる体験談であり、プラセボや思い込みの域を出ないものです。そういうものをいくら積み重ねても根拠とはなりません。また歴史が長いことも根拠にはなりません。何千年も続いている根拠の無い施術はいくらでもあります。

 さらに、ホメオパシーはお金が掛からず、安全性も高いとしていますが、レメディの中には何十万円もするものもあるそうです(ここはまだ確認中)。安いものでも繰り返し使えばそれなりの料金になります。安全性についても、レメディの中には分子が1つもないので、直接的な害にはなりませんが、ホメオパシーに頼ることで必要な医学的処置を受けることが出来なくなり、間接的に害になってしまいます。なので、自己決定権を盾にして、ホメオパシーを受ける権利を主張することは暴論と言えます。

 さらには「ホメオパシーは副作用が無い。現代医療は副作用がある」といった論もあまりにも画一的で観念論にしかすぎません。また、副作用を主張することで間接的に現代医療に不信感を国民に植え付けようとしているように思えます。効果のある医療・薬剤は副作用もあります。それは仕方の無いことです。しかし、副作用を恐れて効果のある医療・薬剤を使わないとすれば、もっと悪化します。要は効果と副作用とを天秤に欠け、必要なものを必要なだけ使うことが必要なのではないでしょうか。例えばX線はすることにより確かに発ガンの確立が0.6%上昇します。しかし、それをもってしてもあまるぐらいX線による診断や健診を行う価値が高いのです。

 ただ、山口県のレメディを投与し、ビタミンKを与えずに乳児が死亡した件については日本ホメオパシー医学協会が言うように裁判中のことであり、事実関係が争われているところです。それが明らかになるまで待つというのは分かるような気がします。ホメオパシーが直接の死因かどうかの事実認定(多分レメディは単なる水・砂糖なので死因にはならないだろうが)。ホメオパスの助産師がビタミンKやレメディの正確な情報を提供していたか否かが争点になっているのではないかと思います。また、今までどうだったか分かりませんし、各ホメオパスの思想がどうなのかも分かりませんが、日本ホメオパシー医学協会では「現代医学を否定しているわけではない」というところは了解するところかもしれません。



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