発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 (精神分析 臨床心理 心理療法)
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ホメオパシー信者がよく使うレトリックとそれに対する批判方法まとめ。ホメオパシーだけではなく他の民間療法・代替医療についても同様のことが言えるかもしれません。

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●ホメオパシーは200年の歴史があり、多数の人が使っている。効いたという体験談も多い。だから効果があるんだ。



歴史が長いことや多数の人が使っていることが効果があるという証拠にはなりません。また体験談もプラセボの体験談の積み重ねであるかもしれませんので、それをもって効果があるとはできません。

もし効果があるとしたいのであれば、きちんとした実証研究をして根拠を示すべきです。

●イギリスでは保険適用をされている。



イギリスでは保険適用が続いていますが、効果があるからが理由ではありません。イギリス議会ははっきりと効果はないと断言しています。ただ、使用している人が多いので、すぐに保険適用から外すと混乱が起こる為に適用を継続するとしているだけです。

●ホメオパシーの原理は今の科学では解明できないが、科学が発展すれば解明できる。



その論理はオカルトそのものです。「科学が発展すれば」ということで反証可能性がなくなってしまってます。

●ホメオパシーは害がないから安全だ。



毒を何万倍も希釈すれば化学的には害はないかもしれません。しかし、それによって必要な医学的処置を受けることから遠ざけられると、それは害になります。

●ホメオパシーの科学的効果がないことをちゃんと理解して使うなら問題はない。



その通りです。しかし、判断能力の低い児童や乳幼児は科学的事実を理解することが難しいです。そういう人に使うのはダメでしょう。またそうでなくても、他者に処置としてホメオパシーを行うことは慎むべきです。特に医療者はそうであるべきです。

中には現代医学では不治の人もいます。そうした人は藁にもすがる思いをしています。そういう人の足元を見て、ホメオパシーを処置するのは倫理的に大きな問題です。

●ホメオパシーの他の民間療法や代替医療の全てを否定するのか。



しません。それによって何らかの心の平穏や気持ちを落ち着きがもたらされている人もいるでしょうから。しかし、それはプラセボだからであり、その民間療法の効果であると嘘の情報を流してはいけません。



FC2ノウハウにも掲載されています
メラニー・クライン(著) 「「オレスティア」に関する省察」 1963年
メラニー・クライン著作集5巻 ”羨望と感謝” 誠信書房 pp139-178

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 ギルバート・マレーの「オレスティア」という物語の主人公たちを象徴的に解釈した論文である。「オレスティア」は3部構成になっており、1部では妻クリュタイメーストラーが、夫アガメムノンに不倫を咎められることを恐れて、夫を殺すという話。2部では、二人の子どもであるオレステアがクリュタリメーストラーを復讐のために殺すという話。3部ではオレステアが復讐の女神に審判を下されるかどうかという話である。どれも怒りや攻撃性、復讐といったテーマがある物語である。クラインはこの物語について、これまで構築してきた理論(攻撃性・破壊衝動・羨望・迫害不安・抑うつ不安など)で整理し、解釈している。

 物語なので、実在の患者ではなし、この解釈が妥当なのかそうでないのかは分からない。正解なんてない世界である。しかし、実際にこのような人物が患者として臨床の場に来た場合にどのように理解するのか、そして物語を読んで、どのような連想や着想をセラピストが持つのかはとても重要なことで、それは極めて臨床的な営みと言える。



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 その名のとおり基礎的な理論から疾患別の実践が書かれており、いわゆるスタンダードなテキストという感じ。またケースフォーミュレーションの章が多く掲載されているところが特徴といえば特徴。これまでの認知行動療法の流れや、疾患に応じたエビデンスを整理するのに役立つように思う。反面、事例やその手法・手続きが少なく、臨床的なリアリティにやや欠ける面もあるかもしれない。


メラニー・クライン(著) 「精神的健康について」 1960年
メラニー・クライン著作集5巻 ”羨望と感謝” 誠信書房 pp129-138


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 本論文ではクラインは精神的健康を述べているが、要約すると最早期の破壊性と迫害不安が良い環境の中で安定した情緒的刺激によって中和され、抑うつポジションに移行し、自我が強化されるということのようである。こう書くと、分かったような分からないような感じであるが。

 しかし、健康とは何かということを考えると分からなくなってしまう。たとえば、社会的にも適応していても、内的にストレスを多く持っている人がいたとして、それは健康と言えるのだろうか。もしくは、大きなトラウマを受け、そこからさまざまな精神症状を出していた人がいたとして、そういう状況の中で何の反応も起こさない方が異常である言えなくもない。

 「正常症」という言葉もあるが、これは健康で正常であるが故に、心の内面に対して無知で、鈍感で、内的探索ができない人のことを指したりする。もちろんニーズがない人に対して精神分析をすることは倫理的な問題はあるが、豊かな内面を一応の目標としている精神分析からしたら、そういう探索しない・できないということこそが問題と見えてしまうのかもしれない。さらに、「健康への逃避」というのもある。これは、精神分析の過程で、探索に対する防衛として健康になり、それ以上探索をしないように拒否するというものである。表面的に見れば、健康になり、問題が消失しているので、セラピーとしては成功なのかもしれないが、それは本当のところで成功と言えるのかどうかは判断が難しいところである。


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