発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 (精神分析 臨床心理 心理療法)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

メラニー・クライン(著) 「精神分析的遊戯技法-その歴史と意義」 1955年
メラニー・クライン著作集4巻 ”妄想的・分裂的世界” 誠信書房 pp157-182

【続きを読む】
 クラインの初期の仕事である児童の精神分析について述べた論文である。フロイトがエディプスを通過していない幼児には精神分析はできないとしていたが、クラインは師のアブラハムの元で前エディプス期にある幼児の精神分析に果敢に挑戦していた。そこでクラインはエディプスを通過していない幼児にも精神分析が可能であることを見出し、精神分析の新たな分野を開拓した

 この際にクラインは大人のような自由連想法を用いずに、遊戯というものを使用し、精神分析を行った。後に有名な「自由連想は遊びに匹敵する」といった名言までも残している。クラインは幼児の遊びは単なる遊びではなく、無意識的な願望や葛藤、不安、攻撃を表したものであり、それを解釈によって扱うことにより、幼児の不安を低減させることができると主張した。

 この遊戯の構造や方法について本論文でクラインは詳細に記述しているが、日本流の遊戯療法とはかなり異質なものである。すなわち、日本流の遊戯療法では、大きなプレイルームに、砂場・機関車・ミニカー・ボール・三輪車・人生ゲーム・ミニチュア家具・トランプ・絵本・ピストル・刀etc.といった本当にたくさんのおもちゃを置いている。何で遊ぶか目移りがしてしまいそうなぐらいである。また、セラピストも積極的に子どもと関わり、一緒に遊ぶ。多分、遊ぶこと自体に治癒能力があると捉えているのかもしれない。

 しかし、クラインの遊戯療法の方法はこれとは全く異なる。クラインは初期にはその子どもの家庭に出向いて、そこで遊戯療法を行っていたようであるが、これは問題があるとして途中で止めたようである。またおもちゃについても日本流のようにたくさんのおもちゃがある中では行わず、少数の小さい人形や描画用の紙とペンぐらいのものであったようである。そのおもちゃも個別の子ども専用のものを用意していた。さらに、クラインは解釈といった関わりに終始しており、子どもの遊びに積極的に関わり、一緒に遊ぶということはほとんどなかったようである。

 このように自由度という点からするとクラインのやり方はかなり低いと思われるが、この低さゆえに子どもの無意識的なプロセスがよく浮かび上がってくるのであろうと推測される。

 良く言えば遊戯の治癒力を信じていると言えなくもないが、ただ遊んでいるだけのことを遊戯療法と言われてしまうこともしばしばある。クラインの遊戯を分析の対象とし、そこに解釈の有効性を信じて、積極的に取り扱う姿勢は見習わねばならないだろう。


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。