発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 (精神分析 臨床心理 心理療法)
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メラニー・クライン(著) 「不安と罪悪感の理論について」 1948年
メラニー・クライン著作集4巻 ”妄想的・分裂的世界” 誠信書房 pp33-54

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 クラインがこれまでの構築した攻撃性―不安―罪悪感といった一連の理解を要約し、まとめた論文。その為、ある程度分かりやすく、整理されて書かれている。反面、特に新しい概念が追加されたり、理論が進展したりということはあまりないよう。

 クラインはフロイトの死の本能を取り上げ、そこから派生する不安などを整理している。しかし、フロイトのいう死の本能とクラインがいうそれとは多少の違いがあるようである。すなわちフロイトのいう死の本能は生命体が消滅の方向にヒタヒタと静かに人知れず突き進んでいく不気味なものを想定していたのに対し、クラインは死の本能を攻撃的で活動的でサディスティックで、大変動的なものとしているようである。まさに赤ん坊がワー!と泣き喚くような大変激しいものがイメージされる。

 そしてクラインは、それらの死の本能が他者に投影される時、自らの死の本能が自らを攻撃してくる時、迫害的な不安を感じ、死の本能は自分のものであると認識し、それが他者を破壊してしまっているのではないかというときに抑うつ不安を感じるとしている。すなわち、迫害的不安から抑うつ的不安に変わる時、罪悪感が現れるとしている。これはフロイトがエディプスコンプレックスの結果として罪悪感が形成されるとしたこととはかなりの相違があり、フロイトが考えるよりも早期に罪悪感が形成されるとクラインは見ているようである。


メラニー・クライン(著) 「分裂的機制についての覚書」 1946年
メラニー・クライン著作集4巻 ”妄想的・分裂的世界” 誠信書房 pp3-32

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 クラインの理論として、抑うつポジションと妄想分裂ポジションは大変有名であり、臨床的にも有用であることは広く知られている。特に、神経症・人格障害・精神病といった病態水準を見立てる上では、必要不可欠であると思われる。その内の抑うつポジションは1935年の「躁うつ状態の心因論に関する寄与」と、1940年の「喪とその躁うつ状態との関係」において定式化され、そして本論文で妄想分裂ポジションが定式化された。ここにおいて、クラインの心的構造論が一応の形を成したということができる。ただ、この妄想分裂ポジションも定式化されたのは本論文であるが、それに関することは初期の論文でも触れられており、早期幼児期における妄想やサディズム、迫害不安、スプリッティングなどは常にクラインの主張するところであった。

 そして、本論文のもう一つの重要なタームに投影同一化がある。訳によって投影同一視と言われたりもしているが、単に「視」という状態を表すだけではなく、「化」という力動的な概念もそこに含まれているので、投影同一化の方がより訳語としては良いのではないかと思う。この投影同一化はクラインは病的な過程をニュアンスとして含めていたようである。確かに人格障害や精神病の患者を理解する上で投影同一化の概念は欠かせない。しかし、後のビオンは投影同一化を健康な発達をうながす機能もあることを指摘し、その概念の幅を広げていったことも意味あることだと思う。

 これらの抑うつポジション・妄想分裂ポジションは人の心のありようを理解する上での非常に重要であり、フロイトの発達論(口唇期・肛門期・男根期・潜伏期・性器期)に並ぶものと言える。ただ、フロイトの発達論はその段階を経て、より高次の発達に上っていくという意味合いが強い。反対にクラインのポジション論は、古いポジションは捨て去られるのではなく、その両方ともが同時に存在し、時と場合によって、どちらが前面に出てくるのかの違いに過ぎないと主張している。その為、生涯を通して、二つのポジションは心の中で生き続けるのである。そこにクラインは段階ではなくポジションと命名した理由があるのだと思う。



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 良いか悪いかは別として最近は日本も訴訟社会になってきました。臨床心理士やカウンセラーも個人の空想や内的世界に関わる一方で、社会的な存在として法律や倫理といったものを考えていかねばならないこともあるかと思います。本書はこのような世情の中で、現実的にぶつかる問題について法律的な側面から書かれています。心理臨床の技法や理論の本はたくさん出ていますが、法律に関する書籍は大変珍しいのではないかと思います。

 本書はQ&A方式で、現実的にありえるケースを素材にして多角的に論じられています。また、本書の対象者が法律の専門家ではないということを念頭において、平易な文章で書かれています。ただ、それでも法律の専門用語は出てくるし、法学的な回りくどい言い回しなどがあり、何度か読み直さないと理解し難いところはありますが。

 本書には34個のQ&Aがあり、例えば、実践的に守秘義務はどういう時に守り、どういう時に解除されるのか、どういう時に賠償責任を負い、どういう時には負わなくて良いのかなど詳しくかつ具体的に書かれているので大変参考になると思います。

 そして、本書を読んで思うのは、当初はインフォームドコンセントをすることや、契約は書面に残すことなどは、法的な争いにならないため、もしくは法的争いになった時に勝つ為だと思っていたところはあります。しかし、これらを突き詰めていくと、そのようなことをするのは単に法的争いに勝つ為ではなく、そうすることがクライエントの福祉と利益につながるものであることが分かります。例えば、プライバシーを守らないと訴訟を起こされるという考えだけではなく、プライバシーを守ることがクライエントの為になるということです。そういう観点から読み直すと、これは法律の本でありながら、きわめて臨床的な示唆に富む本であるとも言えます。

 最後の方の総論の章では、法律と倫理の違いや、外から押し付けられる倫理と各カウンセラーの内面から沸き起こる倫理との違いなども説明されていました。それを読みつつ、日本臨床心理士会の倫理綱領を読むと、これらは守らなければ罰せられるという意味ではなく、これらを守ることはクライエントの利益に直結することばかりが書かれているように思いました。すなわち、倫理綱領は倫理についてのものではなく、きわめて臨床的な技法論だったのかもしれません。


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