発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 (精神分析 臨床心理 心理療法)
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 フロイトが書いたドイツ語では「Witz」というタイトルで、日本語では「機知」という言葉に訳されている。夢判断や日常生活の精神病理と同様、普段は見過ごされそうな日常的な物事をフロイトはよく観察し、それについてのメカニズムを解明し、精神分析の素材にしているところを見ると、いつもながら洞察力の優れた人だったのであろうと思う。

 内容的には高尚なウィットから下ネタまで様々な事例が載せられているが、当時のウィーン文化やヨーロッパ情勢の中でこそしっくりとくるものが大部分であり、何のことかサッパリ分からない事例もかなりあった。そういう羅列を読むのはかなり苦痛な面も正直あった。

 フロイトの結論としては、僕の理解したところによると、機知は心のエネルギーの消費を抑えつつ様々な満足を得る、ということのようである。もちろん他にも色々とポイントはあるだろうが、あまりにも膨大すぎて実際良く分かってなかいところもあるので。

 しかし、このフロイトの挙げている機知は、夢や日常生活の精神病理に出てくるような言い間違いなどと比べると随分と意識的な部分の作用が大きく、意図的に作り出しているようなところが結構あるように思う。夢や言い間違いは無意識からの突き上げに対して検閲が働き、その検閲をすり抜けて表に出てくるのである。もちろん無意識の作用もあるだろうが、比較的意識、もしくは自我の作用が大きく関わっているニュアンスを感じた。この機知が出されたのは1905年であり、夢判断から5年目で、性欲論三篇と同時期ぐらいである。この時期は意識―無意識という局所論や性欲論が前面に出ていた時であり、この後、徐々に自我―超自我―エスといった構造論に移行していくのである。そして自我の防衛機制といった考え方も出されていくのであるが、その芽がチラホラと見え隠れするようなところもあった。

 この機知はフロイトの著作の中でも1、2を争うほど読まれていないものであるようで、引用文献にほとんど出てこないのである。なんとなく分かるような気もしないではないが。たぶん、今回読んで、よっぽどのことがない限り、今後読むことはないだろうと思う。


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