発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 (精神分析 臨床心理 心理療法)
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 精神病にはセラピーは効果がないどころか悪化させるものである、というのがこれまでの精神医療の現場で言われてきており、薬物療法の他にできることと言えばSSTのような訓練ぐらいのものと言われてきた。しかし、たが、最近ではそうではないということが徐々に認識されてきているように思う。認知行動療法の世界でも妄想を直接扱うような治療技法も開発されてきていると聞いている。

 本書では精神分析的な観点から精神病のセラピーを論じており、その中心的な病理を、妄想や幻覚などの陽性症状でも、無気力や荒廃といった陰性症状でもなく、精神病性不安としているところに極めて高い臨床的価値を見ることができる。この精神病性不安をどのように扱い、受け止めていくのかがセラピーの鍵となることがいくつもの個所で触れられている。

 この精神病性不安を扱う一つの方法として器官言語による解釈がもっとも興味引かれるところである。器官言語の詳しいことは本書を読んだら分かるが、簡単に言うと、人体の各器官の名称を用いて解釈を行っていくということである。たぶん、(乳幼児を除いて)一般の人や日常の中ではほとんど使うことがないと思われる。それは日常では高度に抽象化した言葉(機能言語)でのやりとりが可能であり、器官言語を使う必要がないからである。しかし、そういう抽象化能力が育っていない・疎外されている精神病の人(and乳幼児など)では、そういった機能言語は理解しがたいもののようである。その為、治療者も器官言語を用いて解釈することが求められるようである。

 精神病だけではないが、精神分析的なセラピーをする場合には、「理解」と「交流」という二つの事柄が必要になってくると思う。精神病のセラピーでは、精神病者の具体化された思考などにより理解するということが極めて難しくなってくる。その上、ビビッドな交流が活発に行われ、逆転移が容易に賦活しやすい状況となる。理解がないのに交流が起こり続けるというのは治療者にとっては強い不安を喚起するものである。その強い不安を防衛するために、「あの人のいうことは妄想である」とか「あれじゃ社会復帰はできないね」などとレッテルを貼り、自分と彼らを別世界の住人とし、不安を感じないようにしてしまうことが治療者に起こってしまいやすいのである。そうなるとセラピーがセラピーでなくなり、単なる治療者の時間つぶしか自己満足になってしまう。しかし、この具体化された思考やその背後にある精神病性不安を理解し、器官言語を通して患者に伝えていくことにより、「理解」ということができるようになり、それとともに「交流」がとても意味深いものとなっていくのではないかと思われる。これらのことを理解していくための参考に本書はなっていくと思う。

 最近では精神病者とのセラピーを経験することが少なくなってしまい、ビビッドに本書を追体験していくことは難しいところもあった。それでも、神経症やパーソナリティ障害の患者と関わるなかでセラピーのある局面では精神病的部分が治療関係の中で前面に出てくることはある。その時に、精神病というものを感じることはできるし、その時に今ここで何をすべきか、何ができるか、どう抱えていくのか、ということはとても重要なトピックである。これらのことを本書を読むことによって、一つの指針ができたようにも思う。もちろん、ケースにそのまま当てはめるということではないが。



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 本書はタイトルのとおり解離性障害、特に解離性同一性障害(DID)を対象にした精神分析技法について書かれている。

 第1章と第2章はこれまでの歴史的経緯をざっとまとめているが、要点をきちんと押さえられており、とても読みやすく、理解しやすいものとなっている。中でも精神分析と解離の相性の悪さについて指摘てしており、それをどのように統合し、うまくまとめていくのかというところはとても興味深いところだったと思う。また、解離の基本的な病理としては精神病的不安とスキゾイドであるとしており、その病理の取り扱いがポイントとなるようである。

 第3章以降では実際の治療例を参照にしながら技法について説明している。筆者の技法の特に大きな特徴は、DIDの臨床症状である人格交代についての取り扱いである。パトナムらの治療技法では、人格ごとに契約を交わしていくということをしている。しかし、本書では、人格交代は防衛の表れのひとつであり、それを転移の文脈から理解し、全体的な一人の人間として、here and nowの対応をしていくというものである。このやり方はとてもシンプルで分かりやすく、パトナムのように高度に複雑化されているものと対照的である。

 その他に、治療外転移解釈の治療意義についても大変興味深いものである。現代の精神分析ではhere and nowの転移解釈がきわめて重要な位置づけになっていることは周知の通りで、それはストレイチーの「精神分析の治療作用の本質」から出発している。しかし、この転移解釈を十分に体験できるためには下準備が必要であり、その受け皿となるのが治療外転移解釈であると本書ではしている。

 この治療外転移解釈以外にもいくつかの取り扱いについて述べられているが、その根底にあるのは、治療者が自分の逆転移を十分に体験し、十分に吟味し、それを練り上げて解釈としていくことが重要であるということである。単に知的に理解しているだけではダメなのはもちろん、受容的・共感的にすることの反治療的作用についても論じられている。

 さらにマネジメントという観点からも、抱える環境の提供や、退行の制限、外傷記憶の扱いなども論じられている。一般精神科の診察での文脈で語られているものの、これらのことは診察をしないサイコロジストにも参考になると思われる。

 あと、面白かったところは、ある症例提示において、患者が治療者(筆者)に対して寂しい思いを言語化できず、さまざまな行動化を行っていた時に、治療者が「思い出作りがしたかったのですね」と寂しさを解釈していた。その解釈は極めて治療的であると思うし、そのような的確な解釈は僕にはできないなと思った。しかし、そのすぐ後、「一緒に豆まきをした」という一文があり、とてもビックリした。あの先生がどんな感じで豆まきで遊んだのかが想像がつかなかった(笑)

 それはともかく、解離性障害の患者の多くは小児期などに深刻な虐待や性被害があるようであり、その虐待的な対象関係が治療関係の中に持ち込まれ、反復されることが多いようである。そのため、治療者は無力感や怒り、罪悪感など色々な感情が沸き起こり、情緒が揺れ、治療者としてのアイデンティティが危機に瀕してしまう。それに耐えられないと治療者が行動化を起こしてしまい、反治療的なことになってしまう。そうならないように、治療者は自分に起こっている逆転移感情をよくよく吟味し、もの思いに耽れる余裕をもつことが重要になってくる。時にはSVや事例検討会、先輩や指導者とのディスカッションなど活用することが必要になってくる。治療者は患者の受け皿となると同時に、治療者自身の受け皿を日頃から作っていくことが大切になってくるのだと思う。

 また、本著者による研修会が日本臨床心理士会の臨床心理センターで行われるようである。興味のある方は是非参加すると良いかもしれない。

日本臨床心理士会 臨床心理センター 研修講座
「解離性障害の理解と心理臨床」



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