発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 (精神分析 臨床心理 心理療法)
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 フロイトは大変たくさんの論文を発表しており、人文書院のフロイト著作集では11巻にまでなっています。これらの論文を全部読むことはかなり骨の折れる作業ではあるが、とても実りのあるものでもあります。本書はたくさんあるフロイトの論文から主要なものを取り上げ、それぞれの要約や解説、現代的な意味や視点が書かれています。そして、著者はすべて日本精神分析協会の会員であり、いわゆる精神分析家の先生方となっています。その為、臨床的な視点からのものが多くなっています。

 本書はフロイトの主要論文が網羅されており、非常に読みやすく、含蓄深いものばかりですが、これだけを読んでフロイトを理解できたとは思わない方が良いと思います。というのも、フロイトの言ったことを著者たちなりの「翻訳」をしているところもあります。またフロイトを読むことは各自の体験とのすり合わせの中で生きてくるものであり、単に知識と技術を習得するためのものではないからです。フロイト論文をロールシャッハの図版に見立て、そこから連想を広げ、自分なりのフロイト理解をしていくことが極めて臨床的な営みへと通じていくものと思われます。ですから、本書を入門的に読むとしても、そこで終わらず、できればフロイトの論文を実際に読むことをお勧めしたいと僕は思います。

 そして本書は1巻であり、フロイトの論文の初期~中期ごろものが収められています。そして、中期~後期のものを収めた2巻もすでに発売されています。

西園昌久(監修) 「現代フロイト読本2」 みすず書房 2008年 3570円

 こちらのほうも是非読んでみたいと思っています。←先日読みました(こちら

 しかし、僕がフロイトの論文を実際に読み始めたのは約2年ほど前です。ちょうど、研究会でフロイトの論文を購読していくというものがあって、それにふと参加したのが始まりです。最初は課題として出されるのを苦痛に歪みながら読んでいましたが、それでも継続していくうちに面白くなっていき、ついには課題以外のフロイトの論文も読むようになりました。今まで読んだものはこちらの記事赤文字になっているものです。後は「日常生活の精神病理」「機知」「科学的心理学草稿」が残っているぐらいです。いずれも長い論文なのでゆっくりと読んでいこうと思っています。

 そういえば、2年前にフロイトの論文を読み始めた頃は、一つ一つがとても長く、回りくどく、難解でした。これは初学者には難しいだろうと思ってて、いつかフロイトの主要論文を集めて、それぞれの論文の要約や解説を書いて、初学者の人に分かりやすく紹介した本を出したいと思ってました。それを実際にのんさんに相談したりもしていたけど、それが僕の知らないところで僕の企画したような形で本書が出されてしまい、遅れを取ってしまったなと思いました(笑)。精神分析家の先生にこういうのを出されたらもう出せないですね(^^ゞ いや、あと20年ぐらいたって、本書が古くなり、誰からも忘れてしまった頃に、その時期のフロイト理解ということで、僕なりの本なんかを出せたらなって密かに思ったりしています(笑)

現代フロイト読本1 収録論文一覧

序文 西園昌久
フロイトの著作について 藤山直樹
『ヒステリー研究』を読む 福本修
『科学的心理学草稿』――忘れ去られ数奇な運命をたどった難解で異色の論文 衣笠隆幸
『夢判断』を読む 福本修
『日常生活の精神病理学』――発掘されるこころの真実 鈴木智美
『あるヒステリー患者の分析の断片』――「症例ドラ」 岩崎徹也
もしも、もっとよく眼をこらして見るならば――『性欲論三篇』を読む 乾吉佑
『機知』――冗談の精神分析 *コラム 北山修
『W・イェンゼンの小説『グラディーヴァ』にみられる妄想と夢』――空想・妄想から愛の自覚へ 大橋一惠
『ある五歳男児の恐怖症分析』――「ハンス症例」 小倉清
『強迫神経症の一症例に関する考察』――「ねずみ男の症例」 堤啓
『レオナルド・ダ・ヴィンチの幼年期の一記憶』――ダ・ヴィンチの母親コンプレックス *コラム 前田重治
『自伝的に記述されたパラノイア(妄想性痴呆)の一症例に関する精神分析学的考察』――「シュレーバー症例」 牛島定信
『精神現象の二原則に関する定式』の現代的意義 岡野憲一郎
発見とたじろぎ――「技法に関する諸論文」に聴くフロイトの肉声 藤山直樹
『トーテムとタブー』――フロイトの文化論を読む 門田一法
『ナルシシズム入門』――自我と自己の病理への道を拓く 狩野力八郎
『想起、反復、徹底操作』を読む――すべてを知り、一人で闘ったフロイト 福井敏
『本能とその運命』の運命について 相田信男
“ひとを読む”フロイトに出会う――『精神分析的研究から見た二、三の性格類型』 松木邦裕
私有化された「フロイトを読む」 北山修





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 本書で印象に残ったフレーズは「精神分析は"あや"についての学問である」というところです。精神分析というとどこか堅苦しくて、系統立っていて、小難しい印象をもっていたけど、あやの学問と言われると、イメージが変わってくるように思います。言われてみれば、フロイトは「機知」や「日常生活の精神病理」で、言葉の置き換えやジョークなどについて色々と書き記していることを思い返せばなるほどな~とも思ったりします。

 そして、それと関連しますが、フロイトの書き記したものを「論文」と表記するのか「エッセイ」と表記するのかで随分と印象が変わってきます。しかし、これもよくよくフロイトの書き記したものを読むと、論文と言うほど形式がきっちりあるわけでもなく、「一次過程」に任せて、自由連想風に書いているものがほとんどなので、やはり「エッセイ」という方が合っているのかもしれないです。

 少しフロイトのエッセイについて書いてしまいましたが、本書に話を戻すと、著者である北山先生は精神分析の中でも独立学派のウィニコットが専門と書いているだけあって、本書もウィニコット的なところが多々見られました。ウィニコットは臨床的な専門用語を日常的な話し言葉で記述し、そこに曖昧さや多義性を持たせてエッセイを書いていました。本書でも北山先生は小難しい専門用語を日本語の話し言葉的なものに置き換えて書いていました。たとえば「強迫」を「こだわっている」など。このことで随分と実際の臨床的なリアリティに近づいているように感じました。

 こういうところからも北山先生とウィニコットって似ているなと思いますが、これは北山先生がウィニコットが好きだから似てきているのか、それとも、似ているから北山先生はウィニコットを好きになったのか、どちらなのかななどとも連想したりしました。まー、卵が先か鶏が先か、の問題に過ぎないのかもしれませんが。


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