発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 (精神分析 臨床心理 心理療法)
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 フロイトの論文はかなりの数になる上、一つ一つがとても長いものもあるので、なかなか全部読むのは大変です。また、フロイトの文章は独特の特徴があるので、それに慣れるまでが結構時間がかかります。

 その独特の特徴について本書では様々な角度から考察をしています。その考察の中で特に印象に残ったところと言えば、ストレイチーが英訳したスタンダード=エディションについてです。

 スタンダード=エディションという名前になっているだけあって、フロイトが直接書いたドイツ語のものよりも世界中で読まれているようです。このスタンダード=エディションのおかげで、精神分析が広く知られることになったという重要な貢献があります。

 ただ、本書ではドイツ語版と英語版の違いについて細かく考察をしているのですが、ザックリと言うと、ドイツ語では日常用語に近い言葉で書かれており、親しみやすい感じで、反面、英語版では専門用語的な訳語になっており、硬い感じになっているようです。

 具体的な例を挙げると、ドイツ語版でのIch(私)を英語版ではego(自我)と訳されているなどです。

 その他にもフロイトの文調について興味深い話がたくさんあって、こうなってくるとフロイト論文を和訳で読むよりも、ドイツ語で読んでみたいという気持ちがムクムクと湧き上がってきます。けど、現実的に見るとドイツ語どころか、英語ですら読めない僕には無理だろうと(笑)。


S.フロイトの1910年に発表された論文「レオナルド・ダ・ヴィンチの幼年期のある思い出」について。フロイト著作集3巻”文化・芸術論”より

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 レオナルド・ダ・ヴィンチには「兀鷹が尾で私の口を開き、何度も尾で唇をつついた」という幼年期のエピソードがあるが、フロイトはこのエピソードから精神分析的な考察をしていったのがこの論文である。

 極めて簡単に結論を書くと、兀鷹は母を表しており、尾は母の失われたペニスである。なので、そこにはエディパルな不安や葛藤、性的欲動、願望が表されている、ということである。このようなところから、人間の性の発達やそれにまつわる空想など、精神分析的発達論の面白さがとてもよく伝わってくる論文であると思う。

 また、結論を先に書いてしまったが、この結論に至るまでに、フロイトは色々な資料を提示したり、ディスカッションを繰り返したりしている。この作業はまさしく分析家と被分析者との間で営まれる精神分析療法の様相であり、フロイトの臨床実践がそこかしこに見え隠れするようである。そこには被分析者の空想という素材と、分析家の自由連想というあり方が非常にうまく噛み合わさっており、それを通して、無意識というものを探求し続けていたフロイトの姿勢がありありと眼に浮かぶようであった。

 そして、学術的な意味を考えてみれば、幼児期の空想として女性にはペニスは元々あったが、それが去勢されてしまったという観点から発達論を考えている。そして、この論文ではまずその失われたペニスの復活であったり、去勢の否認ということをフロイトは考えている。さらに、その否認のメカニズムは後の1927年の「フェティシズム」論文で体系的にまとめられている。フェティシズムは、母のペニスの代理として機能していると論じている。その後、1939年の「防衛過程における自我の分裂」では、否認・分裂といった原始的な防衛機制の初期の着想として論じられている。ただ、この論文は最後が尻切れトンボで終わってしまっている。

 しかし、この尻切れトンボを補う形でクライン学派や対象関係論の精神病水準の防衛として、引き続き議論されていっているようである(ただ、クライン学派ではこの論文の分裂と、クライン学派の分裂は違うという主張をしているようであるが)。そして、その後にシュタイナーにより心的退避・病理的組織化という概念として論じられていくようになる。


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