発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 (精神分析 臨床心理 心理療法)
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 フロイトのフェティシズム論の延長線上にあり、参考になるのでというアドヴァイスを受けたので、読んでみました。クライン理論・対象関係論についての知識もあまりない中で読んだので、不十分にしか理解できていなかったり、よく分からないところが多々あったように思います。

 僕の理解したところで言えば、妄想分裂ポジションと抑うつポジションとの中間に、様々な葛藤や痛みから心を防衛するために構築されたものを病理的組織化と言い、主に否認や倒錯などのメカニズムなどから成っているというところでしょうか。

 理論的なところはほとんど理解できなかったけど、症例がたくさん提示されており、全く同じではないものの、似たような症状や行動を示す患者を今までに受け持ったことはあるなとは思いました。確かにそれらの患者に対する対応はとても大変だったですし、あれらを理論的に記述すると心的退避・病理的組織化ということが可能なのかなとは思います。

 フェティシズムの関連から書くと、分かっているのに分からない振りをする、知っているのに知らない振りをする、見ているのに見ていない振りをする、という否認の機制と似たようなものとして確かに理解できそうだなと思いました。これらをつきつめていくと精神病的なあり方と、神経症的なあり方の両方が同時にあらわれているということであり、どのようにして理解すれば良いのかというヒントはもらえたように思います。

 ただ、11章の技法上の問題の中で取り扱われている、「患者中心の解釈」と「分析家中心の解釈」の違いがあまりよく分かりませんでした。言わんとすることや大雑把な違いは分かるけど、使いどころの違いや、メカニズムの違い、効果の違いについては十分に理解できずに終わった感じです。

 僕にとってはかなり高度で難解な書籍だったので、またレベルアップしてから、何年後かに再度チャレンジしてみたいです。


ロジャーズ選集(上)

カール=ロジャーズ(著)「ロジャーズ選集(上)」誠心書房 2001年 3990円に収録されているロジャーズの「セラピーによるパーソナリティ変化の必要にして十分な条件(1957)」という論文の感想です。

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 カウンセリングや心理療法を習い始めたときには耳にタコができるぐらい言われてきた「共感」「受容」「一致」で、言葉だけは知っていたり、その言葉から連想することを実践しようとしたりはしてきたが、実際にこのことを書いている本論文を今まで読んだことがなかった。でも、実際にどのようなことが書いているのかをやはり知っておかないとダメだろうということで今回ちゃんと読んでみた。

(1)心理的な接触がある
(2)クライエントは不適応の状態にある
(3)セラピストは自己が一致している
(4)セラピストは無条件の肯定的関心を寄せている
(5)セラピストはクライエントの内的照合枠に従って共感的理解をしている
(6)3~5のセラピストの態度がクライエントに知覚されている



 ロジャーズはパーソナリティ変化のためには上の6つの条件をすべて満たしていることができていれば良いとしているが、かといってそれ以外のものがまったく不要であるとは述べてなかった。また、あいづちやうなづきは技法としては重要だが、それ自体には意味があるというよりも、それを媒介にして6条件を満たせば良いと考えていたようである。

 このことは非常に良く分かる主張で、単に技法的な問題ではなく、その背後にある人間性やスタンスといったものがセラピーには重要であるといった考え方を持っていたのであろうと思う。

 また、2~6の条件は程度問題としており、完璧に「受容できている」とか「共感できている」といったことを維持しなくては行けないとは書いていなかった。ある意味では、到達不能な努力目標として位置づけていたのであろう。

 ただ、単純にそれに向けて努力すれば良いというのは、僕には少し疑問が残るところで、臨床をしていれば、共感できないこと、受容できないこと、一致できないこと、が多く起こり、どうしてもポジティブな気持ちを患者に持てないこともある。それを6条件を満たす方向で努力するというだけでは、なんだか腑に落ちないところがある。

 そういう「できない」ということはそれ自体に何かの意味があり、それこそが関係の一部が現れているのだと理解することができる。そして、その意味について理解していくことで、「共感」「受容」「一致」できるようになっていくことが僕の経験としては多かったと思う。このことをロジャーズは「チャンネルを通して」という風に表現しているのかもしれないが。

 とにかく、単に杓子定規に「共感」「受容」「一致」したら良いというのはやはり誤ってロジャーズを理解しているということになると思う。ロジャーズ派かどうかは別としても、一度はこの論文に目を通しておくことは大切なことであろうと思う。



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 スーパーヴィジョンは心理臨床家にとって必須のトレーニングである。心理臨床家になるためにも必要だし、なってからも研鑽を積むという意味でも必要である。

 この本はスーパーヴィジョンについて体系的にまとめているというよりは、さまざまな方面からさまざまな意見が載せられ、読者の着想や連想を誘うような形式で書かれているところが特徴かもしれない。また本書はどちらかというと、精神分析やユング心理学の先生が書いていることが多く、ブリーフや行動療法系からの話がなかったので、偏っているといえば偏っているかもしれない。

 スーパーヴィジョンをどこで受けるのかというのはとても重要なことであると思う。それはスーパーヴァイザーが大学院の指導教官であったり、職場の上司であると、そこに成績評価や職場命令といった要因が入ってきて、自由にできなくなってしまうところはある。それは僕自身の体験を振り返ってもそう感じる。職場の上司であると、評価に関わるので、どうしても知られたくない、見られたくない、失敗してしまったところなどをごまかしたくなってしまう。これが外部でまったく利害関係のないスーパーヴィジョンだったらそういうこともないだろう。

 また本書では、スーパーヴィジョンと教育分析を全く別の人から受けるか、同じ人から受けるのか、といった議論もされている。僕自身は分けた方が良いと思うが、これについても様々な意見があるようで、どちらが正しくて、どちらが間違っていると一概には言えないところもあるようであった。

 その他にもカウンセラーとクライエントの性的関係が問題になるのと同様に、スーパーヴァイザーとスーパーヴァイジーの性的関係も非常に問題であると提起されていた。これは単に一方的に悪意のあるものであれば単純だが(いや、それも問題だが)、性的関係はスーパーヴァイザー(orカウンセラー)のスーパーヴァイジー(orクライエント)を何とか良くしたいという強い善意の思いから出てきていることもあり、問題は簡単ではない。もちろん、善意だから許されるものではないが、自分だけはそういう問題は起こらないというふうに否認するのではなく、自分にも起こりうる問題として捉えなおしていく必要はあるかもしれない。

 あと、守秘義務の問題で、スーパーヴァイザーがスーパーヴァイジーの報告したケースを無断で公にしたり、他の人に話すことの問題についても触れられていた。ちなみに、本書の執筆者の一人がその問題でゴタゴタしたことが一度あったということを以前に聞いていたことがあって、その執筆者が倫理についてのコメントしたあとに、他の執筆者がこんな問題もあったとコメントしている箇所があった。思わずその場の雰囲気がどんなんだったのだろうと考えると背筋が寒くなるような感じであった(笑)

 しかし、本書ではスーパーヴァイザー・スーパーヴァイジー・スーパーヴァイズといった似たような言葉がたくさん出てくるので、読んでいるうちに一体何がなんだか分からなくなってしまうところもあって注意が必要である(笑)


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