発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 (精神分析 臨床心理 心理療法)
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 フェレンツィは1933年に60歳で死去したが、死去の前年に約10ヶ月にわたって臨床的なアイデアや経験を書き綴った日記。学術論文ほどしっかりとした構成や論理的帰結があるわけではないが、その分、自由な印象がある。そう言えば、このblogも学術論文ではないが、日記風に臨床的なことを書き綴っているので、本書と似ているかもしれない。格は違うだろうが(笑)

 フェレンツィはフロイトの下で精神分析を学び、協会の会長を務めたこともある人物であるが、後年ではフロイトの理論や技法から逸脱しているということで精神分析の歴史から闇に葬られていた。しかし、最近になってフェレンツィの理論や技法が精神分析にとって大変重要であるということが言われ始め、再評価の機運が高まっている。

 特に、精神分析家の逆転移や分析的設定による患者に対する影響などを再検討し、従来の精神分析を批判しているところは極めて現代的であると言えるし、当時としては受け入れられないところはあったのかもしれない。またフロイトは性的外傷論から心的空想論に大きく方向転換をしたが、フェレンツィ性的外傷論の重要性を主張していた。それが現代になって児童虐待やパーソナリティ障害の問題が顕在化してきており、フェレンツィの性的外傷論の有用性が認識されているところもある。時代がようやく今になってフェレンツィに追いついてきたということなのかもしれない。

 またフェレンツィは積極技法やリラクセーション法、相互分析など、従来の精神分析の技法からは逸脱していると言われるような方法を開発してきた。その技法をそのまま使用することには議論はあるが、この技法を使用するに至った背景や患者の病理を考えることは大変重要であると思う。さらに、このフェレンツィの技法からまた新たに従来の精神分析技法を眺めると面白い連想が沸いてくるかもしれない。いわゆるアンチテーゼとしての機能であろう。

 しかし、フェレンツィは本書でフロイトに対する批判をたくさん書いているが、なぜかそこには単なる批判以上の感情を感じてしまう。批判はするが愛情を感じるというか。思春期の子どもの反抗期といったら、フェレンツィに対して失礼かと思うが、そこにはフロイトに対して反論もするが、認めてもらいたい、分かってもらいたい、受け止めてもらいたい、受け入れてもらいたいというフェレンツィの切ない思いが隠されているように思う。アンビバレントとも言えるか。

 本書でも書いているがフロイトの下での訓練分析の中でワークスルーされきれていないフェレンツィの葛藤があるよう。後書きに少し書いていたが、フェレンツィの両親は十分に愛情を注ぐことができなかった状況があったよう。また当時としては普通だったのかもしれないが、多数の兄弟の真ん中ということで、あまり目立たなかったのかもしれない。そこでの満たされない思いをフロイトにぶつけていたのかもしれないし、怒りの感情もあったのであろう。フロイトとの訓練分析では陰性転移が十分に扱われなかったとフェレンツィは回想しているが、この怒りと愛情希求との間で揺れ動くフェレンツィは満足できなかったということかもしれない。そして、その感情が逆転移という形で患者に向かっていたのではないかとも想像する。

 反面、フロイトもフェレンツィに対する特別な思いはあったようで、フェレンツィの死後に執筆された1937年の「終わりある分析と終わりなき分析」でフロイトはフェレンツィにいくつか言及しながら論を進めている。

 こうしてみるとフェレンツィは「臨床日記」の執筆で人生最後にフロイトとの関係をワークスルーしようとし、フロイトは「終わりある分析と終わりなき分析」でフェレンツィとの関係をワークスルーしようとしたのかもしれない。

 話はフロイトの方に行ってしまったので元に戻すが、最近になってフェレンツィが再評価されてきつつあるということは上に書いたが、その流れからフェレンツィの後期の学術論文を集めた書籍が日本で出版された。まだこの書籍は読んでないが、近い内に読んでみようと思っている。

精神分析への最後の貢献

シャーンドル=フェレンツィ(著) 森茂起・大塚紳一郎・長野真奈(訳) 「精神分析への最後の貢献―フェレンツィ後期著作集」 岩崎学術出版社 2008年 3990円



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 リネハンの弁証法的行動療法(DBT)のテキストが昨年に2冊翻訳されたことにともなって、その導入・入門・道案内として特集が組まれたようである。

 DBTは日本では最近紹介され始めた新しい療法なので、知らない人もいるかもしれないので、簡単に説明すると、DBTは境界性パーソナリティ障害(BPD)の治療に特化した治療法である。行動療法に禅の思想を取り入れ、衝動性をコントロールしていくことを目的としている。そして、DBTは個人精神療法(週1回1時間)+グループ療法(週1回2時間半)+電話コンサルテーション(24時間対応)+治療者ミーティンググループ(週1回1時間半)の4つから成り立っている。

 この4つの構造を継続するには大変な時間と労力とお金がかかり、日本の現状ではこれをそのまま実施することはコスト的にも難しいと本書では繰り返し述べられていた。これは本当にその通りだと思う。P37ではDBTを医療保険で実施した場合の金額を算定しており、年間1人1,462,670円もかかると出ています。ただし医療保険自体はかなり低い金額なので、これでも赤字になるぐらいで、黒字にしようと思ったら2~3割増はしないといけないでしょう。

 米国ではチームアプローチが基本であり、病院のシステム上、このようなDBTの構造を導入してもスムーズに行くが、個人プレーが基本の日本ではDBTの構造をそのまま導入するのはかなり難しいようである。というかほぼ不可能で、現在のところ日本で標準的なDBTを行っているところは皆無のようである。少数ながらDBTを修正しながらやっているにすぎないよう。

 今、日本で標準的なDBTを低価格で提供できたら大流行かもしれない(笑)

 また、DBTは、行動療法の変容を促進させる介入と、今のままで良いと受容する介入の二つがあり、それは一見矛盾するようだが、弁証法的に統合していく中で治療が進むというのが基本的な考えのようである。しかし、結局、衝動をコントロールすることを目的においているのがDBTなので、変容する=good=治療という価値観が根底にあるのかなと思った。

 DBTは無作為割り当て比較試験(RCT)で効果が証明された治療法ということで、米国ではBPD治療のスタンダードになってきつつあると言う。これはあるところで聞いた伝聞であるが、研究のために集められたBPD患者はDBTを受けるだけの高い費用を捻出できる人に限られていたとか。高い費用が払えると言うことは、それが家族や周囲からのサポートであったとしても、それだけで病態水準が高いということである。本当に病態水準が低いドロドロのBPDは生活保護を受けていたりなど、収入を得られるものではない。さらに家族などのサポートもないから大変なのである。高い費用を捻出できる人を集めたということはそこですでにサンプルバイアスがかかっているということなのであろう。この点については詳しくは本書に載っていなかったので不明である。

 また、別の精神分析の先生が言っていたことであるが、「DBTでは確かに衝動性が抑えられるが幸福感が無い。精神分析がうまく行くと幸福感がある。」と。なんとなく分からないでもないが、精神分析をしているとそんなに幸福感が得られるのかどうかが今のところ疑問。知りたくないことを知ったり、自分の負の部分を突きつけられたりすることもあり、精神分析も結構大変で、辛い療法であるような気もする。直面したくないから防衛していたのに、その防衛を解釈し、直面したくないものを見ていくのが精神分析なのだから。自分を知っていくというのがある種の満足であるというのは分かるが。

 あと、DBTだけではなく、CBTなどで「治療がうまく行かないのは患者の努力不足などではなく、治療者の技法の選択ミスや技量の問題である」ということがよく言われる。これは確かにその通りであって、うまく行かないのを治療者が責任転嫁することを戒めているものである。これによって患者が必要以上に傷付いたり、放り出されたりしないというブレーキにはなっていると思う。しかし、ある意味では確かにそうなのだが、この格言の裏を返せば、「うまい治療をすれば、すべての患者を治せる」ということになる。これはどうなのだろう?僕もそんなにも臨床経験があるわけではないが、どうしようもない・手の打ちようがない・手が出せない・といった一群の患者もいるように思う。すべて治せるといった考えからは魔術的な万能感を感じてしまう。もちろん、「手が出せない」といった逆転移なのかもしれないが。

 しかし、本書で書かれていたDBTでの考えのいくつかは僕もすでに経験的に使っていたり、知っていたりしました。例えば、BPDの破壊的な行動というのは、悪意のある問題行動ではなくて、自分を守るため・人を守るための対処行動であり、そういう行動をできているというところを評価する、というところとか。精神分析でいうと自我の防衛機制がある意味ではきちんと働いていると理解できるところである。こういうところを精神分析などでは経験的に言われてきた事を、DBTではシステマティックにまとめあげているところが治療的な貢献なのだろうと思いますが。

 本書はDBTの入り口として読むには良い本であるが、これでDBTをマスターできるわけではもちろんない。さらに理解を進めるためには以下のリネハンの2冊の翻訳書を読んで見なければならないだろう。僕も時間があれば読んでみようと思う。

境界性パーソナリティ障害の弁証法的行動療法―DBTによるBPDの治療

マーシャ M.リネハン(著) 「境界性パーソナリティ障害の弁証法的行動療法―DBTによるBPDの治療」 誠信書房 2007年7月 9450円

弁証法的行動療法実践マニュアル―境界性パーソナリティ障害への新しいアプローチ

マーシャ M.リネハン(著) 「弁証法的行動療法実践マニュアル―境界性パーソナリティ障害への新しいアプローチ」金剛出版 2007年9月 4410円


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