発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 (精神分析 臨床心理 心理療法)
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 フロイトの1915年の「転移性恋愛について」という論文の要約と感想と考察。昨年のある研究会で発表したレジュメを少し改編したものです。

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(1)前半部分の要約
 「転移性恋愛は抵抗であるので、解釈によって対応しなければならない」ということに集約される。

(2)恋愛の帰結
 患者が分析家に対して恋をした時、以下の3つの結果が考えられる。

A、結婚する。
B、分析治療が中断する。
C、一時的な恋愛関係になる。

 なお、Bの場合には、中断後に他の分析家のところに行っても同様のことを繰り返すことになると予想される。
 また患者が分析家に恋心を抱くのは、何も分析家の人格が優秀だからということではなく、単に状況がそうであるからということにすぎない。

(3)恋愛感情を無くす為に
 これらの恋愛感情を無くす為に分析治療以外の治療をしたとしても、恋愛感情に込められたリビドーが無くなるわけではないし、曖昧なままに残されるだけなので、無意味である。

(4)恋愛感情が起こるとどうなるか
 患者が分析家に恋愛感情を持つと、恋愛以外のことを話さなくなるし、恋愛に応えてくれることを第一の目的としてしまう。その為、分析治療が滞ってしまう。
 しかし、分析治療が滞ってしまうのは抵抗の表れだとすると、恋愛感情を持つこと自体が抵抗なのだと理解することができる
 もしくは、抵抗が恋愛感情を利用していると言い換えることもできる。

(5)恋愛感情のまずい扱い方
 「恋愛感情を捨てて治療に専念しなさい」と説明することも可能だが、あまり意味はない。SEXはせずに、感情のみ応えるという方法もあるが、これも良い方法とは言えない。それは真実を否認することになるし、そこまで自己コントロールできるものではないから。また「禁欲原則」を破ると、その満足ばかりに目が行ってしまい、分析治療の目標である洞察が達成されなくなる。

 では、どうすれば良いか?

(6)恋愛感情のうまい扱い方
 恋愛感情は幼児期の体験や感情の反復である。なので、恋愛感情を転移と抵抗の文脈という非現実的なものとして理解し、無意識的な起源にさかのぼって、隠蔽された記憶を想起させていかねばならない。これは恋愛感情を否定するものでも肯定するものでもなく、無意識へと至る道筋をあきらかにしてくれるものである。

 ここまでが前半部分

(7)いったい恋愛とは何なのか?
 しかし、抵抗が恋愛を利用しているだけであって、抵抗が恋愛を作っているのではない。また、通常の恋愛であっても、それは幼児期の対象関係の繰り返しなので、それ自体が病的というのはどうなのだろうか。

 だとすると、一般の恋愛と転移性の恋愛との違いは何だろうか?

(8)転移性の恋愛の3つの特徴
 転移性恋愛・抵抗性恋愛は分析治療の中で表れるが、だからといってそれが「真実の愛ではない」と結論することはできない。それは社会性の欠けた恋愛など現実生活の中にでも結構見られることからも明らか。それでも以下の3つの特徴がある。

A、分析治療の中で生成される
B、抵抗によって強められる。
C、社会性が欠けている。

(9)分析家の取るべき態度
 上のAで書いたように、恋愛感情は分析状況に反応して起こっていることなので、分析家の個人的な欲望のために利用してはいけない。また、恋愛感情を分析的に取り扱うことによって、治癒した後は、その恋愛に関するエネルギーを日常生活できちんと使えるように患者はなっていく。だから、その時にエネルギーを使えるように、分析治療の中で浪費させてはいけない。

 分析治療をする以上、快感原則を克服し、無意識を意識化し、精神的な自由を得るように患者を援助しなければならない。そのためには例えどんな誘惑であったとしても拒否しなければならない。

(10)フロイトの決意
 転移性恋愛は非常に扱いが難しく、危険なものである。しかし、危険だからといって扱わずに神経症の分析治療が出来るほど甘いものではない。危険はあったとしても敢えて治療の中で扱っていくことが必要である。

(11)感想と考察
A、転移性恋愛を向けてくる患者の描写がリアルに感じられたので、もしかしたらフロイトが今まで体験したことから学んだことや考えたことをそのまま書いているのだろうと思った。前半は治療者・臨床家としてのフロイトの取り澄ました顔を感じ、後半は人間フロイトの個人的な恋愛観を感じた。それとともに、偽者ではない真実を探し、見つめ、都合の悪いことからも目を逸らさないようにした誠実なフロイト像が垣間見れた。このようなところについてみなさんは何か連想することなどあるでしょうか?

B、フロイトは父親との葛藤を中心に理論化したが、それはフロイト自身が父親と大きな葛藤を抱えていたことが関係していると思われる。反面、母親については「母子関係は大事」というぐらいの認識しか持っておらず、母親との関係は変に理想化したままに留まっていると思われる。これはフロイトが母親との間で葛藤を抑圧・否認していると言える。そして、フロイトは恋人マルタにゾッコンで、これもかなり理想化した関係と思われる。恋愛なんてそんなものだとも言えなくもないが、フロイトはマルタに母親を投影していたのかもしれない。このようにフロイトは「相手に求める」ことを基本とした人で、「相手に求められる」ことが苦手なのかもしれない。だから、精神分析治療の中で女性から恋愛を求められた時に辟易し、それがこの論文にまで昇華されたのかもしれない。というのが僕の解釈ですが、みなさんはどう思われますか?

C、3年前に私は様々な身体症状を呈するヒステリーの女性との心理療法を経験した。

<守秘義務のためケース内容については削除>

この「転移性恋愛について」の論文を読んでいるとこのケースのことを常に思い出してしまいます。この短いケース報告からですが、何か連想など沸いたことなどがあれば教えてもらえたらと思います。


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