発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 (精神分析 臨床心理 心理療法)
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 S.フロイト(著) 竹田青嗣・中山元(訳)「自我論集」ちくま文芸文庫 1996年に収められている1924年の論文「マゾヒズムの経済論的問題」について、とある研究会で発表した要約です。

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1、フロイトの問題意識
 快を求め、不快を避ける快感原則が一義的であるとすれば、自らを痛めつけることを求めるマゾヒズムは不可解なものである。このことからマゾヒズムは精神分析にとって脅威となるので、検討していく必要性がある。

2、マゾヒズムの検討の前段階
 フロイトはマゾヒズムを検討する前に、快感原則と二つの欲動(死の欲動と生欲動)を考察している。

 フェヒナーの恒常性の原則からすると、刺激・興奮・緊張があった場合、それをゼロ、もしくは低減していく力が働くこととなる(涅槃原則・ニルヴァーナ原則)。この場合、不快は刺激・興奮・緊張の増大、快は刺激・興奮・緊張の減少となる。しかし、これだけですべてを説明することは出来ない。快感に満ちた緊張もありえるからだ。このことから刺激・興奮・緊張の増減と快・不快とは関係がないと言える。

 快と不快は量的な問題ではなく、質的な問題である。

 マゾヒズムの事例は精神分析の患者を見ずとも、日常的に目にすることができる。それを例にしてマゾヒズムについて考察していく。

3、女性的マゾヒズム
 女性マゾヒズムをもつ男性は性交不能となることが多い。そして、空想の中で自慰的行為をすることで満足するか、空想自体が性的な満足をもたらす。空想内容は殴られ、縛られ、叩かれ、鞭打たれ、服従を強いられ、汚され、貶められ.etcこの時、主体は罪を犯し、償わなければいけないといった罪責感が表現されることもある。そして、自立不能な子供として扱われることが快楽となる。

4、性愛的マゾヒズム
 死(破壊)の欲動をリビドーは無害なものにするため、死の欲動を外部に放出させる。この一部が性的機能のために向けられ、サディズムとなる。また、一部は内部に留まり、性的興奮と結びつき、性愛的マゾヒズムとなる。

 性愛的マゾヒズムは苦痛を伴う快感であり、生物学的・素因的に根拠づけられる。他の二つのマゾヒズムの基礎となる。また、リビドーの発達段階によって色々と姿かたちが変化する。

口唇期:食べられる
肛門期:叩かれる
男根期:去勢される
性器期:SEXする、子どもを産む

5、道徳的マゾヒズム(1)
 道徳的マゾヒズムは性的色合いが少ない。また、他二つのマゾヒズムは愛する人物から苦痛を受けるというところが重要であるが、道徳的マゾヒズムそのような側面はない。

 精神分析療法の中で起こる陰性治療反応は無意識的罪責感によるものである。またこれらは疾病利得の基礎となっている。神経症的苦しみは、マゾヒズムによって価値のあるものである。

6、道徳的マゾヒズム(2)成立過程
 罪責感は超自我と自我の間の緊張であり、超自我の定めた目標に到達できないと感じたときに、不安感情として顕在化する。なぜこのようなことになるのだろうか?

 →エスのリビドー的興奮の最初の対象である両親が自我の中に取り入れられ、その際に両親との関係が脱性化される(エディプスコンプレックスの克服)。自我に取り入れられた両親の性格(厳格さ・処罰したがる傾向)が保持される。取り入れることによって、欲動の解離が発生し、厳格さが強化される。これが超自我となる。

 超自我は両親の厳格さが取り入れられたものであり、現実の表れとして強力に実感される。超自我はエディプスコンプレックスの克服の副産物であり、自我の営みの手本となる。

■無意識的な道徳性の拡張
・超自我の強められたサディズムに重点
・自我が屈服する(受動的?)
・意識化されている

■道徳的マゾヒズム
・自我に固有のマゾヒズムに重点
・超自我や外部からの処罰を求める(能動的?)
・意識化されていない

7、道徳的マゾヒズム(3)自己破壊的な機能
 無意識的罪責感は両親の権力によって罰せられたいという欲求である。父親に叩かれたいという願望は受動的な性的関係を結びたいという願望と極めて近い。このことから、エディプスコンプレックスの克服で、一度は脱性化されたものが、道徳的マゾヒズムによって再び性的な意味合いを帯びてくる。これらは性的関係という罪深い行為への誘惑をもたらすものであり、サディズム的な良心の呵責によって贖われるか、運命という強力な両親の力による摂関によって贖われる。これを求めるために、マゾヒストは不合理で、一見利益に反するような行為を行う。最終的には自己の生存そのものをも滅ぼしてしまうこともある。

 道徳的マゾヒズムは死の欲動によって発生し、外部へと向かうはずのものが内部へと向う。さらに、これは性の欲動の成分もあるので、リビドー的な満足を伴って、破壊欲動を助長させる。


8、Discussion

(1)本論文の最初のほうに、涅槃原則・快感原則・現実原則についての説明をし、その後マゾヒズムの説明に入っているが、その3つの原則からどのような論理的展開でマゾヒズムの考察に移ったのかが良く分からない。(pp277-278)

(2)女性マゾヒズムにおいて、顔と性器だけは傷つけてはならないとなっているが、それはなぜか?(pp280の3行目)

(3)エディプスコンプレックスの克服の副産物として超自我やそれによるマゾヒズムが出現するとなっている(pp286)。しかし、すべての人がマゾヒズムの傾向をもつものではない。人がマゾヒズムになるかならないかの分かれ道は何だろうか?また、一部の神経症や境界例のように過酷な超自我のゆえに、過度にマゾヒズムになる人もいるが、このように異常なまでにそうなってしまうのはなぜだろうか?

(4)抑うつの人の自責感や希死念慮はマゾヒズムと同じなのか?違うのか?


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