発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 (精神分析 臨床心理 心理療法)
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 本書はフロイトの数ある論文の中のいわゆる文化論・宗教論というジャンルを扱ったもので、代表的な「幻想の未来」「文化への不満」「モーセと一神教(の一部)」が収録されている。

 しかし、フロイト全集がどんどんと刊行されている中で出版された本であり、どういう経緯・どういう位置付けとして捉えたらよいのか分からないが、スッキリとまとまった構成がされているところが特徴かと思う。また、フロイトの原著では小見出しはほとんどないが、本書では訳者が分かりやすいような小見出しをつけており、メリハリをもって読むことができるようになっていると思う。

 精神分析というのは最初はヒステリーの治療法として始まり、徐々に疾患の対象を広げていった。さらに疾患に対する治療法だけにとどまらず、人間というものの理解方法としてもその地位を確立し、文化論や宗教論までも射程範囲に含めるようになっていった。

 本書に治められている論文からは臨床家・治療者フロイトの顔も垣間見えつつも、文化人・批評家としてのフロイトが大きくクローズアップされているように思う。フロイトは治療者として始まり、死ぬ寸前まで精神分析療法を施行し続け、臨床家・治療者として生涯あり続けた。それと同時並行的に、なぜ文化論・宗教論・芸術論といった非臨床的なジャンルにまで進出しようとしたのだろう?

 この問いに対して諸説あるだろうし、色々な説明がされることだろうと思う。そこに僕なりの勝手な推測を付け加えようと思う。

 人間というのは幼少期に体験したことがとても重要な意味をもってきて、細部は違えども、現在の人間関係や、生活、思考、空想、行動に影響している。いわば過去と現在がパラレルになっているのである。そのような中で、文化や宗教観というものは生活の中にしみこんで、空気のような状態になっており、意識することが難しいが、これは幼少期の忘れられた体験を意識するのが難しいのと同様のものであると思う。

 なので、文化や宗教観を意識化・分析していくことで人間の幼少期の体験につながっていくことができ、自由連想だけではなかなか到達できない深い部分を知ることができるのではないかと思う。そういう文化や宗教といったものに臨床的に活用できるヒントがあるのだろうと思う。文化や宗教観を扱うことはそういう意味で、もしかしたら非常に臨床的な営みであると言えるのかもしれない。

 最初に僕は「非臨床的なジャンルにまで進出しようとしたのだろう?」と問うたが、色々と考えてみると、一見非臨床的に見えつつも、実は臨床的なものだったのである。このことからもフロイトの文化論・宗教論などは単に批評家として第三者的に考察しているというよりも、患者のこととして、そして自分自身のこととして臨床的な観察眼によって扱われているのである。

 しかし、こうしてみると、精神分析というのは理論体系という側面ももちろんあるが、世の中にある数ある思考方法の中の一つであり、人間理解の方法論と言えるのかも知れない。それは患者だけでなく、文化や宗教といったものまでも扱えるのである。


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