発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 (精神分析 臨床心理 心理療法)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


【続きを読む】
 本書は、臨床を未だに経験していない大学院生を対象に書いている、現代におけるクライン理論を簡単に分かりやすく解説したものである。また時折、臨床素材を散りばめられているのでイメージが大変わきやすくなっている。

 確かにクラインの原著を読むよりはかなり分かりやすくなっているのだが、まだまだ初学者の自分には平易に書かれているその裏側が分からず、表面的な理解しかできていないような、そんな不十分さをも感じるところもある。ただ、これは本書の悪さというよりは、私の理解力の乏しさゆえであると思われる。

 しかし、深い分析体験をしていない僕のような初学者であればもしかしたら少なからず上記のような感想を持つ人もいるのではないかと思われる。

 というのも、クライン理論は言語獲得以前の乳児の対象世界を言葉で説明しようとしている。その為、言葉は体験そのもの現象そのものを包含することができず、さまざまな要素が零れ落ちてしまっているのである。その零れ落ちてしまっているものを拾い起こすには、読み手の臨床体験・分析体験が必要となってくるのではないかと思う。

 そのような臨床は週4回以上の分析をしたり、境界例や精神病といった病理が深く、原始的な心性がすぐに出てくる患者さんとの面接の中でしか体験できないのかもしれない。そして、それはまさしく「体験する」としか言いようの無いものであり、言葉で説明したり、思考したりすることが極度に難しい世界である。

 そして、そのような極度に難しい世界のことを無理矢理言葉で表現しようとしているところにクライン理論や対象関係理論の難解さが現れてきているのだと思う。

 あと、メラニー・クラインの生い立ちについて本書では1章が費やされているが、彼女の生育歴を何度繰り返し読んでも、かなり僕自身が悲しみに包まれるような感覚をもってしまう。これほどの喪失体験を幾度と無く繰り返している彼女は悲しみをどのように受け止めていくのかでとても大変だったのであろう。そしてその大変さを克服していく中で創造性といったものが生まれでて、今日のクライン学派というものが出来上がっていったのだと思う。

 理論云々は置いておいたとしても、そんなメラニー・クラインが僕は大好きです。



【続きを読む】
 ヒステリー研究(上)の続き。上巻では序論と5つの症例が書かれており、本書ではヒステリーにおけるフロイトは技法的側面を、ブロイアーは理論的側面がそれぞれ考察している。

 本書はフロイトとブロイアーが共著で書いているのだが、ヒステリーに対する見解の違いというのはかなり大きなもののようである。ブロイアーはヒステリーの病因について身体因や性とは関係のない情動を想定している反面、フロイトは性が病因として強く作用していると論じている。このことが、後にフロイトとブロイアーが袂を分かつ要因となってくるのである。

 しかし、両者は互いを批判をしているわけではなく、本書では互いにその業績を認めているように書かれている。互いが遠慮しあっているところもあるのだろうが。

 また、解説を読むと、二人の仲違いは単に学問的な不一致だけが原因ではないようで、人間関係・情緒関係も複雑に絡んでのことらしく、その辺りを見て行くことも大変面白いようである。

 それはともかくフロイトの考察を読むと、ヒステリーの治療技法として催眠から始まり、カタルシス法、前額法と変遷していっていることが書かれており、当時のヒステリー治療というのは試行錯誤の繰り返しであったことがよく分かる。ヒステリーという未知の領域を地図もコンパスもなく進むことの不安と苦労は大変なものであろうし、その努力には敬意を表するに値するものである。

 さらにフロイトの技法論を見ていると、この後の自由連想法の開発から精神分析へと至る道筋がほのかに読み取れるところがあり、精神分析の誕生の前夜といった感じがとてもするように思われる。葛藤や外傷を表出していくというアイデアなどはほぼ精神分析と言っても良いだろうし、転移といった概念もでているようで、そこに関係性の取り扱いもまた見て取れる。

 そのようなところから精神分析の成立につながっていく本書はワクワクドキドキしながら読んでいけるように思う。


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。