発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 (精神分析 臨床心理 心理療法)
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 本書はフロイトが精神分析成立以前にブロイアーと共に出版したものである。精神分析という言葉がまだなかった時期であり、精神分析的ではないところが多数見られるが、フロイト(とブロイアー)の思考プロセスやその時期に考えていたことを垣間見ることができる。

 たとえば治療技法でフロイトは催眠術や前額法を使用している。さらに、患者さんに宿題を出したり、暗示を与えたり、本当に様々なことをしている。それだけヒステリーというものが解明されておらず、治療技法も確立されてなかったので、効果がありそうなことは何でも試していたということなのだろう。

 しかし、本書のいたるところに今後の精神分析に至る小さな卵が散見されるところもある。フロイトも様々な方法を試しながら、少しずつみえてきたのだろう。

 ジャネやシャルコーと同じように催眠をフロイトも用いているが、ジャネ・シャルコーは治るような暗示を患者さんに与えているのに対して、フロイトは催眠下において過去の外傷を想起させることで治療しようとしている。これは後の精神分析において抵抗や転移を発見し、それを除去し、外傷の再体験や想起をすることで治癒するという治療モデルの前身ということができる。

 さらに、ブロイアーの症例であるアンナ・Oの語ることによるカタルシスの効果は後の自由連想法に発展していく原点であると言うこともできる。

 精神分析というのは一夜にして出来たものではなく、フロイトの長い研究と臨床の中で徐々に形作られたものである。さらに一度形作られたものが解体され、新たに再構成されていったり、改訂されていったりした歴史的な流れのあるものである。

 なので、このようにフロイトの初期の症例や研究、技法を知ることによって、どのように精神分析ができたのか、そして、精神分析の各理論や技法にはどのような意味があるのかを本質的に理解していくことができるのである。

ヒステリー研究(下)に続く



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 本書はフロイト初期の頃に書いた精神分析療法の事例研究である。現在の日本の一般的な事例研究の書き方は「はじめに」「事例の概要」「治療経過」「考察」という風に区分けされ、コンパクトにまとめられているが、本書はこのあたりゴッチャに詰め込まれている感じがするので、多少読みにくいように僕には感じた。

 また本事例は主に2つの夢の分析をメインに書かれている。そして、それを生活史へと位置づけながら記述されている。その為、治療の中で語られたことが外的現実として実際にあるという風なニュアンスで書かれていた。心的現実論ではなく、心的外傷論の文脈があるからだろうか

 さらにそれを後押しするように、訳注や解説でも具体的な年月日がどうだったとか、実際の年齢はこうだったとか、客観的な事実を跡付けるような記述が目立っているように思えた。確かに実際の年月日の間違いや年齢の記述違いはあっただろうとは思うが、なぜに違っていたのだろうとか、そこにどういう無意識的意図があるのだろうと読む方がよっぽど面白く感じてしまう

 ただ、解説や訳注で書かれているような登場人物のほかの資料から得られた素顔や後日談は興味を惹かれるものが多かったが。

 どちらにしても、治療の中で語られたことが外的現実を忠実に報告していることなのか、それともその人の心的現実の表れとみるのかで、精神分析を精神分析たらしめたところがあるので、色んな見方をしていけたら良いのかも知れない。

 本書の内容に戻るが、フロイトはヒステリーというものと、夢とを関連付けて論じようとしたのが本事例の最初の目的であったようである。その目的はある程度は達成されたが、結果的には事例は3ヶ月程度で中断になってしまっており、不十分であったとフロイトも書いていた。しかし、その中断といったところから、「なぜ中断になったのだろう?」とフロイトも色々と考えたのだろうが、ここから転移概念の提起を行っている。ここは転んでもただでは起きないフロイトの凄さが伺える。

 今後の精神分析療法はこの転移を軸に治療していく方向に動いていっており、そのきっかけがこの論文には書かれているのである。



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 1939年に発表されたフロイトの宗教論・文化論についての論文である。精神分析は神経症の治療技法として創出されたが、人間理解の方法として宗教や文化の解釈と再構成にも利用されることがある。本論文はその一つである。

 本書は精神分析的な視点からユダヤ教の成立史やモーセの出エジプトについて論じている。着想は独特であるが、現代的な歴史学や宗教学からは「事実に即していない」ということであまり取り上げられることは少ないようである。僕も詳しくないが、多分フロイトの言っていることは「歴史的事実」としては間違っているのだろうとは思う。

 しかし、本書を単なる歴史書や宗教書として見ると、その価値はあまりないように思うが、視点を変えて臨床のモチーフやメタファーとしてみるとまた違った色合いが見えてくるように思う。

 例えば、「モーセ、ひとりのエジプト人」や「もしもモーセがひとりのエジプト人であったとするならば・・・」などの章では、モーセの名の由来や出生についての探索が行われている。これは臨床の中で言えば、治療者が患者の生育歴や早期外傷体験の探索・想起などを行っているところが目に浮かんでくる。患者の語られる材料をもとに、自由連想を駆使し、一つ一つ確かめていく。これはきわめて臨床的なことである。

 また、モーセという人物を実在のものとせず、心的内容物のある象徴として見て、ユダヤ教をスクリーンとして、そこに一人の人間の無意識や乳幼児体験を写しだすことができているように思える。宗教における戒律や取り決めは個人の超自我に当たるだろう。

 すなわち、フロイトはモーセやユダヤ教の分析を行っているように見えて、それはメタファーとしてフロイトの臨床や分析技法を書き記していると理解することができる。本書を歴史書として見るか、臨床を記述している書として見るかで、かなり大きく異なってくるだろうと思われる。


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