発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 (精神分析 臨床心理 心理療法)
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共感と解釈というと、僕が心理臨床の勉強を始めたころは水と油で、全く違うものであり、相容れないと考えていました。しかし、そうではなく、お互いが相補的、もしくはほとんど同じものという感覚はとても理解できるものです。

そうはいっても、この二つの概念についてはそれぞれが色々な考えや思いをもっており、統一的なものとして定義したり、確定したものとして扱うことは難しいと思います。本書では12名の執筆者が思い思いのことを書いており、そこに共通性がありつつも、やはり全く重なり合うものではないように思います。

僕のつたない経験から述べると、解釈というのは世間的に知られているように、冷たいものでも、秘密を暴くものでも、一方的に働きかけるものではありません。共感も同じように、ただ理解するだけでも、感情を受け止めるだけでも、同じ気持ちになることだけでもありません。

解釈をする場合にも、一方的な押し付けではなく、治療者が今ここで何を感じており、それがどのような背景から出てきたのか。そして、患者の力動だけに触れるのではなく、その裏に隠された悲しみや傷つきや苦しさといった情緒に届くような介入が必要となってきます。そこには患者の感じている感情や情緒に対する自然で率直な治療者の思いが不可欠になってきます。

共感についても、ただ表面的な言葉だけをとらえた返し方でもなく、感情だけに焦点をあてた返し方では、共感とは言えないように思います。今ここで生起している感情を把握しつつも、そういう感情がどこから生まれてきたのか、どういう背景があるのか、どういう経過があったのか、などの個人的歴史を踏まえた上でようやく共感できるものと思います。

また、解釈も共感もそれが一時点の中で、できた!と完了するものではなく、継続的に進行していくものです。それも「解釈し続ける・共感し続ける」のではなく、「解釈しようとし続ける・共感しようとし続ける」といった強い意思の表れだと思います。そういう態度を持ち続けることが臨床の中で重要ではないかと思います。


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フロイトが精神分析を創始してほぼ100年ぐらいが経過している。その間、歴史や文化もかなり変化してきており、それにともなって精神分析も変遷をとげている。当初はヒステリーの治療技法・理解枠組みとして発達してきたが、時代が下るにつれ、パーソナリティの病理や精神病水準の病理を扱うようになってきている。その中で、エディプス水準よりも低い発達レベルの研究が進んできている。

このような歴史的背景から、現代における精神分析のトピックについて様々な観点から論じられている。家族の問題・発達の問題・性の問題・心理学の問題etc。多少なりとも精神分析の知識をもっていないと分かりにくい箇所はあるが、最新の精神分析研究(といっても1998年のものだが)が網羅されていると思う。

少し欲を言えば、昨今の問題である、PTSDや児童虐待、暴力、学校臨床、発達障害などのトピックがあれば面白かったのではないかと思う。


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学生相談についての理論とその臨床について書かれている。本書で特に強調されている点は、学生相談では病院モデルをベースにした治療型の心理臨床ではなく、生活をサポートしていくという教育モデルが必要とというところである。なので、個別援助だけではなく、集団援助をしたり、学生相談員が授業を受け持ったり、学外活動から進路・生活指導まで含めて大学内にコミットしていくことが求められているようである。

そのため、枠や構造を重視した内面探索的な心理臨床は学生相談では似合わないもののようである。

僕自身は病院での臨床をずっとしてきてが、今年から学生相談活動も業務の一環となり、そのスタンスの違いに少々戸惑っているところもある。今まではクライエントとの心理臨床外での接触はできるだけ控えつつ、面接室の中での援助がほとんどだったが、学生相談をしているとなかなかそれだけではやっていけないところあるよう。

学生相談独自の方法論やスタンスについて色々と試行錯誤していく必要があるのかも。


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 「乳児の対人世界 理論編」の後半部分をまとめた本です。理論編では、新生自己感・中核自己感・主観自己感・言語自己感の発達をまとめ、臨床編では、それを土台にして、実際の病理の表れや関係性の持ち方などを具体例を持ち出しながら論じられています。

 それぞれの発達に固着(スターンはこの言葉をつかってなかったようですが)した場合に、どのような病理現象になるのかが分かりやすく書かれていました。精神分析の中での発達論はただの発達心理学に留まらず、精神病理との関連で論じられるところにその特徴があります。事例提供の際の分析的フォーミュレーションにおいても、発達的観点が必ずと言っていいほど論点となってきます。

 これまでの発達論で有名なところというと、フロイトの口唇期・肛門期・男根期といったリビドー発達、エリクソンの信頼感などの8段階発達、ボウルビィのアタッチメント、マーラーの自閉期・共生期・分離個体化期、などが挙げられます。

 スターンはその中でもかなり早期の発達に目を向けています。また、その理論確立には、想起だけではなく、観察や実験によるデータも採用し、非常に高い科学性も持っています。

 僕の臨床感覚においても、これらの早期発達と現在の病理との関連は非常に重要であるような手ごたえはあります。しかし、面接の中で具体的なストーリーとして語られるのは、2歳児以降のことが多いように思います。スターンでいうところの言語自己感が確立された段階以降ですね。

 人間の記憶は言語を媒介としてなりたっているというのはどこかで聞いたことがあるのですが、それが顕著にあらわれているのだと思います。そして、2歳以前のことについてはストーリーとして語られることはあまりありません(統合失調症や精神病レベルの重度になるとたまにあると言えばあるのかもしれませんが)。中核自己感・主観自己感の感覚というのはストーリーとして語られることはあまり経験はありませんが、言語ではなく、関係性のとり方や、対人認知のあり方や、情緒的体験のあり方といった、前言語的な部分で特に臨床場面でリアルに生起されます。

 このあたりについて治療者の逆転移や連想を通して、理解していくことが必要となってきますし、時には解釈という形で患者に伝えていくこともあると思います。これらの体験を無意識に属するものとするのかしないのかは分かりませんが、体験の言語化という作業が非常に重要になってくると思います。といっても、それらの体験をすべて言語化していくことが可能であるとは思えませんし、現実的ではないかもしれません。それらの過去を今ここで治療者との間で再体験し、焼き直していくことも必要であるかもしれません。

 精神分析の治療において、個人の歴史を振り返り、今ここで体験しなおしながら、理解していく作業が重要であり、その道しるべとなるのがこのような発達理論であると思います。


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