発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 (精神分析 臨床心理 心理療法)
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最近ではほとんどの家庭でインターネットが引かれるようになり、世界と個人の距離がかなり近くなったように思います。その中でメールやWebを介したカウンセリングというものが色々と出てきました。

僕も以前にメーリングリストの中で実験協力者を募り、メールカウンセリングを実験的に施行したりもしてました。いつかはその結果をまとめようと思いつつ、未だに放り出したままですが(^-^;A

そして、最近ではEAPに関わるようになり、そこでもメールを用いてユーザーの援助をしなければ行けなくなりました。その勉強も兼ねてこの本を読んだところもあります。

本書では、インターネットや電話を介して、治療者と患者が直接会わずに何らかの媒体を利用して心理療法を行うことを非対面心理療法と名づけています。そして、この非対面心理療法のメリットやデメリットについて概観し、どういう援助技術が有効か?なども考察しています。

一般的に心理療法では治療者と患者の関係性を重視し、傾聴や共感を基本的には行っていきます。が、メールなどでは、なかなか傾聴と共感だけでは難しいようです。そこで行動療法などを利用して、トレーニング的意味合いを加味して、心理療法を施行していくことが比較的有効であるとしています。確かにメールで傾聴ってどうやってするのか分かりませんからね。

それと、妙木先生の精神分析的視点からの考察は興味深かったのですが、メールでは文章が残り、そこで見返したりすることから、洞察志向には向いているとしていました。ただ、メールでは今ここでの体験を扱うことができないので、転移解釈は難しいだろうとしていたところは納得です。

全体的な傾向としては、メールカウンセリングは将来性があり、特に行動療法を用いる方向としてはとても期待が持てるという感じで書かれているようでしたが、やはりまだまだ課題は多いのかなという印象です。

総論のところでは、著者が近未来のインターネットセラピーについての「予言」が書いており、それがユーモアに富んでいて面白かったです。特に「シナリオ3 アンドロイドセラピストの実用化」は必見です。

というところが本書の内容ですが、最後に、僕自身、メールカウンセリングに携わったのはホンの少ししかありませんが、僕個人の意見をちょっと書きます。

メールといった限られた情報の中では、患者が不必要な転移や空想を抱きやすいというのはあると思います。これは本書でもどこかで指摘されていました。情報が少なければ少ないほど、空想でそれを埋めようとするのかもしれません。この辺りから、現実検討力という問題が出てくるように思います。

here and nowの問題ですが、メールの場合ですと、どうしても「今ここ」での話ができにくいところがあります。メールで書かれて、それが届いた時点で、「あの時あの場所で」という風になってしまいます。そこにはビビッドな体験が削減されてしまい、情緒的交流が難しくなります。

さらに、治療者のミスという点に関してもメールはとても不利なように思います。治療者っていつもいつも適切で正しい介入ができるとは限りません。時にはミスをしたり、共感不全に陥ったりすることもあります。対面の場合ですと、治療者のミス対応があったときには、すぐに改善したり、訂正したりすることができます。しかし、メールの場合ですと、その訂正にタイムラグが生じてしまいます。そうなってくると患者の不信感を助長したり、余計な負担をかけっぱなしになってしまうことになります。対面だと、患者のレスポンスを見ながら、その辺りについてはすぐに修正できますから。

あと、アセスメントについてですが、メールだけだと情報量が限られてきますから、なかなか正確な見立てをすることができません。特に雰囲気というか対面した時の独特の感覚が重要なんだと僕は思っているのですが、そういうものがメールの場合には抜け落ちてしまいます。また人格障害の人などは、表面的には適応的であっても、内的世界がグチャグチャなときもあります。そういう時って、数回のメールだけではとてもじゃないけど、判断がつかない場合もあるでしょう。

逆にメールが有効な対象として、聴覚障害者との心理療法にはもしかしたらメールの適応が高いのかもしれません。ただ、実際にはしたことがないので、なんとも言えないのですが。

僕は現在はEAPにてメールによるユーザーの援助をしていますが、基本的にはカウンセリングや心理療法はしないようです。どちらかというと、情報提供や医療機関への誘導などがメインで、何往復もやり取りすることは少ないようです。その為、メールカウンセリングとは言わずに、メール相談と名前がついています。

メールによるカウンセリングや心理療法はこれからどういう形で進化していくのか分かりませんが、無手勝流にしていくのではなく、研究を積み重ね、可能なこと不可能なことを分けて、考えていくことが必要と思います。


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 精神分析療法、もしくは精神分析的心理療法をしていく上で、発達論的視点から患者を理解していくことはとても重要です。単純な言い方をすると、発達の後の方での失敗や固着は、病理が軽いと言えるし、発達早期の障害はより病理が重いと言えます。

 そして、その発達論はフロイトの頃より色々と論じられてきましたが、その論じられ方は患者の回想をもとに発達論ができあがってきたという経緯があります。それは、今ここで幼児期の頃をどのようなものとして体験し、経験してきたのかという患者の主観的理解が現在の病理を理解していくうえでとても重要であるからです。

 このように主観的ゆえに臨床的に価値がありますが、やはり客観的立場にたつ発達論者からは恣意的であるというふうに批判をされていることも事実です。そのため、回想から形成された発達論と、直接観察から形成された発達論はお互いを受け入れることなく平行線をたどっていたようです。

 しかし、精神分析の中にも乳児を直接観察して、そこから色々な知見を見出していく研究も徐々にされ始めていました。ボウルヴィ、スピッツなどがその先駆的な仕事をしてきたようです。

 そういう歴史的背景の中からスターンは本書で総合的な発達論を論じています。

 まずスターンは、乳児を「被観察乳児」と「臨床乳児」に分けました。被観察乳児は直接観察の中から乳児の発達や行動を理解していく際の対象です。臨床乳児は成人患者の回想から導き出される体験としての乳児です。スターンはそれら二つの乳児を両方ともつかい、統合していく作業を進めました。これらがスターンの発達論の出発点となっています。

 そして、スターンはそれらのデータから発達論を形成していきましたが、その中心は自己感においています。自己感は自分自身を全体として機能させていくオーガナイザーとして表現されています。その自己感がどのような働きをし、どのように発達していくのかが着目点です。

 まず初めの自己感は、新生自己感と呼び、出生直後からだいたい2ヶ月間のことをさします。乳児は生まれた直後から環境からの様々な情報を取り入れ、かなり積極的に環境に作用していこうとしているようです。

 2つ目は、中核自己感と呼び、2ヶ月~6ヶ月ぐらいの時期を指します。この頃にはすでに自分と他の人との区別をつけれるようになっているようです。

 3つ目は、主観自己感と呼び、7ヶ月~9ヶ月ぐらいの時期です。前の段階で自分とは違う他の人を理解しており、さらにその上で、他の人の心についての理解まで進めていきます。この頃には他者との心の触れ合いも近くし、いわゆる情動調律も体験できるようになっています。

 4つ目は、言語自己感であり、24ヶ月ぐらいをメドに発現します。言語を獲得した乳児がそれを使って他の人とコミュニケートしていきます。言語がお互いを理解していくのに役に立つと同時に、言語であるからこそその限界として理解のズレが生じます。言語が他者との相互理解を促進する道具でもあり、逆に阻害する要因にもなり、二律背反的な世界に住むこととなります。

 このようにスターンは発達の中心を自己感に置き、4つの段階を経るとしました。スターンの発達論の今までとは違うところは、これまでの発達論では、発達の段階が上がると、前の段階の発達は捨て去られるものとなっていました。しかし、スターンは、前の段階は捨て去られるものではなく、一度獲得したら半永久的に機能し続けるものだとしました。

 また、これまでの発達論では乳児は環境に対して受身的で、無力である、とされてきました。しかし、スターンが考えた乳児はそうではなく、かなり積極的で、環境に対して能動的で、進んで様々な情報を摂取し、思った以上に色々なことを理解し、体験しているようです。

 以上が理論編の本書で書かれていたことの要約で、次の臨床編では、実際の臨床場面での話が書かれているようです。精神分析における発達論は、発達がどのように進むのかだけで話は終わりません。各発達段階での失敗や固着などが現在の病理とどのように関連しているのか、というところに着眼点があります。スターンの4つの自己感の発達も同じように、各段階の自己感の病理がどのように現在の病理に関連してくるのかがとても重要になってくると思います。

 ですので、これからまた臨床編をゆっくりと読んで行きたいと思っています。


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