発展途上臨床さいころじすとの航跡blog版 (精神分析 臨床心理 心理療法)
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シュタイナーの著作を読んだ。前著のこころの退避からのさらなる発展について記されている。簡単に言うと、人は耐えがたい苦痛に晒されると、PSポジションでもDポジションでもなく、破壊的自己愛を基盤とした病理構造体を作り、そこに逃げ込む。

それによって苦痛を感じずにすむことができる反面、成長や発展が望めなくなってしまう。精神分析によってそこを取り扱うことにより、病理構造体から抜け出し、再度発達することは可能であるが、その際、患者は屈辱感や決まりの悪さを感じる。

その屈辱感や決まりの悪さの取り扱いについて、本書では様々な観点から論じている。



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ながらく絶版になっていたものが、昨年に増刷され、こうして読むことができるようになった。ケースメントはもともとはソーシャルワーカーで、その後、精神分析家・訓練分析家になった人で、いちおうイギリス独立学派に属している。訳者の松木先生はクライン派であるので、厳密には他学派による訳本となるが、ケースメントは本書のタイトルにあるように、何かの理論や技法を持ち込んでいるというよりは、臨床の中で考え、患者から学んでいるところからすると、学派を越えて、一つの臨床家としてのスタンスを示すものなので、学派はそこまで関係がないと言えなくもないだろう。ちなみに松木先生もクライン派ではあるが、もう少し柔軟なスタンスがあるように見受けられるように思える。

本書の中で登場する重要なこととして「試みの同一化」と「心の中のスーパーバイザー」がある。簡単にいうと前者は患者と同じように感じていき、そこでのあり方をモニターすることであり、後者は自分で自分を都度スーパーバイズしていくことである。そのような技法を用いながら、患者と精神分析家が一緒に考えていくのである。本書にはもちろんケースメントのケースが多数登場し、そのやりとりのリアルな描写は非常にイメージ喚起的である。そして、注目を引くのが、彼の解釈には精神分析家の失敗やとりこぼしを含め、それに対する患者の失望や怒りをきちんと取り上げていくことに特徴がある。これはクライン派や自我心理学の解釈と大きく異なるところではないかと思われる。そこにはウィニコットの環境の失敗のアイデアがあることは言うまでもないが。また、この解釈は人によっては自虐的すぎるという感想を持つ人ももしかしたらいるかもしれない。



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ビオンがダヴィストックで行った6回のセミナーの講義録である。録画されていた資料を基に、ビオンの妻であるフランチェスカが編集したのだが、当初から出版が予定されていなかったのか、全てが録画されていたわけではないようで、ところどころ記録が欠損している。そのため、前後の文脈が分からない箇所が多々ある。

内容については、直接精神分析についてビオンが語っているというよりは、哲学や思想、社会、生物学などから語っていき、実際に何をしゃべっているのか分からないようでいて、最終的には精神分析や人間そのものについて大きく関わってくる話になるという感じである。

ビオンはもちろん精神分析家であるが、彼の自由の思考は精神分析の枠内に留まらなくなっている。しかし、それでいてやはり精神分析に舞い戻ってきているという極めてアクロバティックな動きをしている。これこそが自由連想といっても良いのかもしれないが。



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解題によると、精神分析の観点からの自閉症理解というのは3つの文脈があるという。一つ目はタスティンであり、自閉の心因論からの理解である。二つ目はアルヴァレズであり、対人関係と発達研究を参照した理解である。そして、三つ目がこのメルツァーである。メルツァーは古典的な分析技法に忠実にのっとり、さらにはビックの代理皮膚や付着同一化の理解を参照して、自閉症の理解を進めている。

本書は分析事例がかなり豊富に、かつ詳細に記載されており、理論形成の根拠が比較的明瞭に示されている。そのため、納得できるかどうかは別として、理解は比較的しやすいのではないだろうか。限界はもちろんあるが。また、経過も5~10年という超長期的スパンで描かれており、それだけ深く広く理解を進めていくところに、ある種の自閉症の本質を垣間見せてもらえるように思う。

自閉症の特質を中核的自閉状態とポスト自閉状態に仕分け、さらには4つの次元から構成される心的次元論を展開し、単に生物学的で、生得的であると安易に結論をつけることを一蹴して、サイコロジカルに理解し、扱っていくその姿勢と理解方法は様々な示唆を与えてくれるように思える。

蛇足だが、マーサ・ハリスはメルツァーの2番目の奥さんだったとは知らなかった。



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 本書はクライン理論の完成形を解説しているものではない。どのように理論が積み重なっていったのか、それはクラインの生い立ちがどのように関わり、さらには当時の分析サークルの状況がどのように影響しているのかを含めて論じている。彼女の理論構築の思考プロセスに触れ、さらには彼女の意識で捉えていたことはもちろん、無意識の領域からの影響をも触れていくことができるものとなっている。例えば彼女はフェレンツィに治療分析・訓練分析を受けていたが、論文中では彼についてはほとんど言及はされていない。後の訓練分析家であるアブラハムについては明確に理論を継承し、言及はしているのとは対称的である。しかし、彼女の臨床や理論を精査していくと、そこには意識的には言及はされていないものの、明らかにフェレンツィに影響を受けたと思われる箇所が散見される。つまり、フェレンツィは彼女の無意識の領域に影響していたと言える。



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クリストファー・ボラスは独立学派・中間学派の精神分析家であると同時に、英文学の博士号を持ち、英文学の教授でもあるという異色の人物である。彼は3冊の小説と、1冊の戯曲集を含めて、14冊の書籍を発表している。本書のタイトルである対象の影はフロイトの悲哀とメランコリーの一節から採用されているものである。フロイトのそれは対象関係論の先駆けともなっており、本書のタイトルには相応しいものであろう。ボラスの理論は様々であると、有名なものとしては「変形性対象」「未思考の知」がある。

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ロナルド・ブリトンはリーゼンバーグ-マルコムから訓練分析を受けたクライン派の精神分析家である。彼の構築した主要な概念に「第3のポジション」「三角空間」がある。これは簡単に言うと、自己が対象との間主観的な関係にありながらも、その対象関係について検討することができるポジションのことである。しかし、それらは容易に超自我によって取って変わられ、自己を見失いやすいという問題も存在する。これらは原光景とも関連していると言われている(解題より)。

本書は「性と死」「自我と超自我」「ナルシシズム」の3部構成となっている。



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いわゆるポストクライニアンと言われる分析家が比較的最近に現した論文を集めたもの。それを元々は自我心理学系の分析家であるシェーファーがまとめているというのも面白いところである。

本書は18つの論文から成っているが、その内の6つはこれまでに既に訳出されているということでここでは割愛されている。といっても、その6つの論文が収録されている書籍は今では絶版になっているので、なかなか手に取ることが難しいのではあるが。また、原書ではその18つの論文は特に決まった順番やジャンルで掲載されてはいないようであり、そこで訳者自身が5つのセクションに分類し、全体の整合性をととのえている。そうすることで全体を通して読みやすくなっているように思う。

また、最後の訳者解題では、様々な精神分析やクライン派でのトピックやテーマ、概念をそれぞれわかりやすくまとめ、整理し、解説してくれている。こちらの方を先に読んでから、本文を読むと理解が深まりやすいのではないかとも思われる。現代の精神分析やクライン派のややこしい議論に馴染のない人や、そもそも興味はないが理解する必要に駆られている人は訳者解題だけでも読むと良いのではないかとも思う。



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フロイトは生涯で膨大な数の論文・エッセイを発表しており、それは世界各国で訳されている。数年前に岩波からフロイト訳の全集が出ているが、22~23巻にもなっている。その全てを読むのは、有意義ではあるが非常に骨の折れる作業でもある。また、一つ一つの論文の内容を理解するためには、その前後やつながり、後世の発展との関連性を踏まえることで、その理解には深みが増す。

本書はフロイトの論文の要約や紹介という側面もあるが、フロイトの論文を個々それぞれで読み進めていく上でのガイドという役割もあるだろう。本書では、53の論文が取り上げられている。それぞれの論文の背景やその時の情勢、人物関連、その後の発展といったことの解説が付け加えられており、理解する上での参考が非常に多く提示されている。そのような構成により、フロイトの論文・エッセイへ接近するハードルを低く感じさせられる。

ただし、本書を読むことで非常にわかりやすくなるが、それだけで終わることは片手落ちだろう。やはり、ホンモノはホンモノに当たらないといけない。つまり、フロイトの原著を読むことだろう。原著はドイツ語だが、SEという英語版もある。日本語でも読める。こうしたところにあたるための準備運動として本書を利用するのが良かろうと思われる。



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ジェンダーやセクシャリティに関する書籍はいろいろと出ているが、その心理支援に特化した書籍はこれまでになく、その意味でオリジナリティがあると言える。

セクシャルマイノリティーは社会的な圧迫や無理解による差別が多く、そうしたことを背景にメンタルヘルスを崩してしまうことが一般よりも多いといわれている。また、性別適合をする上で様々な課題があり、それについての心理支援だけではなく、包括的な支援も必要とされるので、心理学の知識以外にも生物学的・医学的・社会学的な知識も必要となってくる。

本書を執筆している著者陣は大学で研究しているだけではなく、実際の臨床現場で日々セクシャルマイノリティーに接しているいわば実践家によって書かれている。そのため、非常にリアリティのある内容となっており、これからの自分の臨床に実践力として役に立つものと思われる。特にホモフォビアといわれる治療者の中にも気付かない意識があることが多いことも指摘しており、セクシャルマイノリティーに関わる臨床をする上では、そうしたことを治療者自身も振り返り、把握しておかねばならないというのは大変説得力のある議論であると思われる。それは何もセクシャルマイノリティーに関わる治療者だけではないだろうが、自分の振り返りというのは常に必要なことかもしれない。

ちなみに本書ではセクシャリティではなく「セクシュアリティ」という用語で統一されている。些細なところかもしれないが。


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